#041 ルアンパバーンで竹橋を渡ってみた。(2012.12)
ラオスの観光地、ルアンパバーンには、竹でできた手作りの橋があり、乾季だけ渡ることができるという噂を聞き付けて、行ってきました。年末に行ったので、あちらは乾季です。
首都ビエンチャンからVIP夜行バスで向かいました。「ビエンチャン~ルアンパバーンの道は片側が崖になっているから、夜行だと転落事故があるから危ない」という
噂もありましたが、特に危険は感じませんでした。
3列シート(1列シート×3列)が2段というつくりでした。毛布や水、歯磨きセットなどのサービスも充実していて、足が伸ばせて快適でしたが、私の席は3B、つまり真ん中の列の二段目。ルアンパバーンまでの山道はキツく、急カーブが来る度に手すりで体を支える必要がありました。笑
下の段の人や、せめて壁のあるA席、C席のみんながうらやましかったです。満席だから、席も変えられなかったし…。出発寸前まで空いていた1階席で何食わぬ顔して寝ていればよかったかなぁ…?笑
ルアンパバーンに着いたのは托鉢が終わった頃の早朝でした。宿に荷物を置き、朝食を食べに出掛けました。
宿のすぐ近くにカオソーイの店があったので、そこで食べました。カオソーイはタイのカレー麺と同名ですが、ラオスのはちょっとスパイシーな担々麺みたいな感じで、汗が出ます。個人的にはパクチーも効いていて、好きな味です。麺ももちもちで幅広の米麺。短いルアンパバーン滞在中に何回も食べました。めちゃハエがいて、食べにくかったけども。笑
ルアンパバーンにはお寺がたくさんあるので、散歩がてら歩きました。写真上はルアンパバーンのシンボル、ワットシェントン。ちょっとエメラルド色っぽい屋根が目印です。写真真ん中は何と霊柩車。ゴージャスな外観と大きさに圧倒されました。
ラオスのお坊さんの袈裟は鮮やかなオレンジ色。
プーシーの丘からのルアンパバーンの眺めは素晴らしいらしいです。私は色々あって行きそびれましたが。笑
大通り沿いに小学校があり、壁が低いので中の様子がよく見えました。かくれんぼをする姿がかわいかったです。男子は走り回ってわんぱくに遊び、女子は輪になって遊ぶ様子は日本と変わりません。校庭でアイスが売られていて、大変羨ましい。笑
ちなみに、夕方になると、校庭を原付が走り回って、お迎えが行われます。笑
散歩後に宿に戻り、竹の橋について聞いてみると『あぁ、それなら数週間前に川に流されたよ。まだ直ってないんじゃないかな?』と言われました。笑
川に流された…。
とりあえず、見に行ってみたらと言われたので、ダメ元で見に行ってみました。
ありましたー!!直してくれた人、ありがとう!
竹の橋は5000キープ(=50円)。吊り橋が苦手な私は渡れるか心配でしたが、全く怖くなかったです。幅が狭い上、歩く度に少しバウンドしますが、それも楽しかったです。
お坊さんたちもこの橋を利用してます。
川を渡ると、おしゃれなカフェがあったので、少し休憩。暑い日だったので、マンゴースムージーが本当に美味しかったです。
帰りももちろん、橋を渡ります。帰る時の、橋までの路地が何か懐かしくて、童心にかえりました。
2日後に、旅仲間Aさんと合流した私は、竹橋をまた往復(同じカフェで休憩つき)しました。笑
国立博物館方面から竹橋への行き方は、以下の通り。
(ちょっと見にくいですが当時の私のメモを参考に…。)
①メイン通りであるサッカリン通り(Sakkaline Rd.)を北上すると、ワットセーン(Wat Sene)の手前にパヤームアンチャン通り(Phayameungchan Rd.)があるので右折
②直進するとナムカーン川沿いに出るので、竹橋が見えてくる
とりあえず、ナムカーン川沿いの道を歩けば見つかると思います。(流されていなければ…笑)
日没の時間帯になり、メコン川クルーズ(50000キープ)に参加してきました。私たちの船は手漕ぎボートではなく、写真奥にあるモーターボートです。
メコン川は予想通り、濁ってました。川沿いでは、ちびっ子達がバク転を何度も披露してくれました。
このクルーズはビアラオ付き。下戸の私はお土産にしようとしたら、既に栓が開けられてました。飲むしかない。笑
ビアラオは他のビールと比べて飲みやすく、私でも少しは飲めます。飲めるけど…。飲めるけどね…。
ごめんね、メコン川。半分くらいは飲んだけど、無理です。涙
若干酔っぱらい、(私はただでさえ船上では眠くなる)いつも以上に眠気と戦いながらも、日が沈むのを待ちました。そしたら、山に沈む美しい夕日をメコン川から拝むことができました。ガンジス川みたいに、さっきまで濁っていたメコンが嘘のように美しく夕陽を映しました。500円とは思えない、大満足なクルーズでした!!
ルアンパバーンには、かわいらしい雑貨がたくさんあります。昼間ならそこで買うのもよし。
夜になると、ナイトマーケットが開かれます。色鮮やかな布で作られたカバンや小物、ラオコーヒー(粉が底に沈殿するタイプ)、Tシャツ、アクセサリーなど、あらゆるお店があります。値段は交渉次第。ビエンチャンのマーケットよりも品揃えは豊富だったように思います。
食べ物屋も出ていました。揚げ春巻き(ヨー・チューン)もスムージーもおいしかった!!
次回は托鉢と、クアンシーの滝について書こうと思います。
#040 台湾で「さすらい」をしてみた。 (2014.12)
記念すべき投稿記事40回目のテーマは「民生」です。
私はかれこれ20年ほどユニコーン、とりわけ奥田民生氏(以下、OT)が好きです。あのゆるーい、自由気ままな感じがいいですね。我がブログタイトルに『流離(さすらい)』が入っているのも、勿論OTへのリスペクトからですからね。笑
そんな彼の代表曲である「さすらい」のPVが台湾で撮影されていることを皆さんはご存じでしょうか。私はそのロケ地を巡ったことがあります。OTファン以外にとっては本当にどーでもいい内容ですが、ご興味ある方はご一読ください。笑
まず、台湾には、孫文が中国革命で唱えた三民(民族・民権・民生)主義に則って、通りの名前が「民権西路」「民族西路」「民生東路」とかだったりするのです。
ということで、街中に民生が溢れているのです。
台湾、万歳!!
孫文様、万歳!!!
OT、万歳!!!!笑
1.猴硐(ホウトン)
PV撮影当時は「侯硐」という表記でしたが、現在では「猴硐」という地名に表記が変わりました。
猴硐は今では「猫の街」として観光地になっています。お店の中に猫が普通にいます。てか、「この猫も商品なのか?」という位、商品にまみれて眠っています。笑
猴硐駅は台北駅から電車で1時間ほど行ったところになります。運賃は67台湾ドル=255円。(1台湾ドル=3.8円)
私は中国語の発音に自信がないので、切符を買う時は行き先と枚数を書いて、筆談します。漢字が通じる国は本当にありがたいです。まぁ、それでなくても、台湾は日本語を話せるシニアが多くいらっしゃり、本当に親切にして下さるので旅行がしやすいです。
猴硐駅以外でもPVの撮影をしたのかもしれないですが、PV完成から20年近く経っていることもあり、残念ながらそれらしき場所は見つけられませんでした。
2.民生街
さすらいのPV後半で「民生街」という看板が一瞬だけ映るんです。どこにあるんだ、民生街??
とりあえずググってみたら、台北には民生街が少なくとも2つあることがわかりました。
①瑞芳駅周辺的 民生街
意外にも、瑞芳駅の目の前に「民生街」はありました。九份に行く時に、台北駅から電車とバスで行くことができるのですが、その時にバスに乗り換える駅が瑞芳駅です。実際、私も前日に九份に行った時にここを訪れているのですが、民生街の存在には気付きませんでした。笑
私は猴硐から瑞芳を目指しました。OTファンではないのに、こんなしょーもない私の自己満旅行に付き合ってくれた旅仲間Kさんに感謝。いつもありがとう。笑
瑞芳には駅前に屋台が並んでいてその奥に美食街があります。(確か、ここの住所が民生街で、私の検索にヒットしたような…?)
美食街内の胡椒餅屋さん、繁盛してました。胡椒餅はスパイシーでおいしいです。
昼ご飯はルーロー飯(20元)と汁ビーフン(45元)。やっぱり、屋台飯は安くてウマい!さすが、美食街!
私としては、たぶんここ瑞芳が「さすらいの『民生街』」だと思います。OTも猴硐の帰りに寄ったのかもねー。この日は生憎の雨でしたが、だからこそ、OTとの奇跡のシンクロが。偶然黒い傘を貸してくれたホテルのスタッフと、飲んでいたホットコーヒーを貸してくれたKさんにも感謝です。手が逆になってしまっているのもご愛嬌。笑
ここだけでも十分なのですが、翌朝一人でもう一つの民生街に向かいました。(さすがにKさんを付き合わせるのは申し訳なかったので、別行動で。Kさんは龍山寺を観光したようです。普通、そっちのが正解だと思います。笑)
②徐匯中学駅周辺的 民生街
地下鉄蘆洲線(オレンジ色)で向かい、徐匯中学駅で降りました。新しい路線なので、駅も電車もピカピカでした。
駅構内の地図にて、民生街、発見!!駅から10分くらい歩きましたが、とにかく排気ガスがすごかった記憶があります。思わずマスクをつけた位。笑
しばらくすると民生街の看板発見!でも、ここの民生街は、これだけではないんです。
右も左も民生街!!
瑞芳は駅前の通りだけだったのに対して、こちらはいくつかの通りが民生街になっていました。うーん、住みたいです。笑
ファミマにも民生。
「第二春」ってのがめちゃ気になります。笑
朝食をとっていなかったので、民生のついたお店に入りました。常連さんらしき方の料理がおいしそうだったので同じものをジャスチャーで注文したのですが、どうやら裏メニューだった模様。ゴマだれがおいしかったです。
さすらいのロケ地巡りをするなら、瑞芳ですが、民生街の写真が撮りたいならこちらですね。
3.忠烈祠
こちらは 忠烈祠。辛亥革命等での戦死者が祀られている、観光地だけども厳かな場所です。徐匯中学駅の方の民生街からタクシーで向かいました。
ここの観光の目玉は衛兵交代。毎時00分に行われます。無駄のない動きがかっこよかったです。彼らの歩いた道が地面のコンクリート上に残ってる程、力強い歩みをしているんだなぁ、とほれぼれ。
さすらいPVの時と、扉の色は変わっていませんでした。今は交代の儀式自体は遠くからしか眺められないのですが、昔は間近で見ることができたのですね。今は入退場と、儀式後に衛兵さんに近づくことはできます。一切応答はしないですが。笑
4.圓山大飯店
この撮影場所は、台北屈指の高級ホテル、圓山大飯店だと思われます。貧乏旅行者の私は遠くから見たことしかないですが。笑
5.中國電影文化城
故宮博物院近くにかつてあった、中國電影文化城。残念ながら、2006年2月に閉園してしまったようですが、太秦映画村の台湾版みたいな感じだったと思われます。今は跡形もなく、朽ちた空き地になっているようで…。
ただ、台南に台灣電影文化城(台影文化城)ができたので、ここに行けば似たような風景があるのかもしれません。私は行ったことないですが。
おまけ
①民生炒飯
「民生炒飯專賣店」は台湾一おいしい炒飯店に選ばれたこともある有名店。最寄り駅がないのでタクシーで向かいましたが、運転手さんはちゃんと場所を知ってました。
注文したエビ炒飯は塩加減もちょうどよくて、パラパラで、でもエビはプリプリで本当に本当においしかったです!
②民生看板 あれこれ
台湾は「民生」に溢れています。OTファンは是非訪れてみて下さい!
#039 台湾でマスキングテープを買ってみた。 (2014.12)
私はマスキングテープ(以下、マステ)コレクターです。日本でも新しいものを見かけたら思わず買ってしまうのですが、噂通り、台湾はマステが色々売られてました!
まず、台北の桃園空港の出発ゲート内で色々売られています。
中国語の挨拶と、1~10の数え方のマステはセットで売られてました。
ここら辺は単品だったはず。一個45台湾ドル=170円。
私のお気に入りはこちら。『台湾』と書かれているので、マステ好きの友達へのお土産におすすめです。
上のマステは台湾名物、臭豆腐が描かれています。
↑こちらが臭豆腐。何とも形容しがたい、匂い(臭い?)がします。でも、匂いはヤバいですが、食べてみると意外においしかったです。厚揚げがちょっとクリーミーになった感じ。
臭豆腐の屋台は100メートル先にあっても臭いでわかります。笑
…話がそれましたね。笑
一番下は『半沢直樹』のマステ。
セブンイレブンで売ってました。
誠品信義店というお店が入っているesliteというデパートにマステが売られているという噂を聞き付けて言ってきましたが、かわいいと思ったものは日本製ばかりでした。台湾製のも売られてましたが空港で見かけたマステばかりでした。
乗継で桃園空港を使う時は、是非マステをゲットしてくださいね♪ただし、台湾性の品質が良くないものもあり、ものによっては綺麗にテープが剥がれないこともありますので、そこは要注意です、
番外編1
実は香港でもマステが売られています。2015年3月現在、一番上のマステは空港で売られてました。香港の通りの名前が書かれていて、かなりかわいいです。残りのマステはG.O.D.という雑貨店で買いました。こちらも香港の質屋、スターフェリーなど、レトロな模様がかわいらしいです。ただ、とても小さい巻きのマステだから、すぐなくなりそう…。
こちら、G.O.D.のセントラル(中環)店です。ここで購入しました。
番外編2
日本だと、倉敷がアツイです。mt発祥の店、TANEという店があります。mtのマステは恐らく全種類置いてあります。一番初めの写真の真ん中についている、日本語と日の丸のついたマステは3個セットでここで買いました。
個人的には「如竹堂」がオススメです。ここは倉敷オリジナルのマステがたくさん売られています。
如竹堂では、無料でオリジナルうちわを作ることができます。時間制限(確か15分以内)はありましたが、マステを自由に貼ってカスタムすることができました。(2016年3月現在)
みなさんも、是非「かわいいご当地マステ」を探す旅をしてくださいね!
#038 インドでアノーキーミュージアムに行ってみた。 (2011.12)
インドにはANOKHI(アノーキー)というテキスタイルブランドがあります。インドの物価としては高級店らしいのですが、日本人の感覚からすれば格安でかわいい布製品が購入できます。系統としてはPaul&Joeといった感じでしょうか?模様や服の形はインドっぽいところもありますが、「本家」の10分の1で買えます。ハンカチは100円くらいで買えてしまうし、細かい模様が一面にちりばめられていて、とてもかわいいのです。
HPもあります。
デリーはもちろん、インド中に支店がある(でも、ベナレスにはない)のですが、本店はジャイプール。
本店は広くてインテリアもおしゃれでした。
カフェも併設しています。
私がアノーキー本店で買ったのがこちら。15000円くらいだったと記憶しています。買いすぎ?笑
さらに、ジャイプールには、アノーキーミュージアムというテキスタイルの博物館まであるのです。
この看板が目印。アンベール城から結構近かったと思います。私は車で向かいました。
ミュージアム内にもお店があり、購入ができます。
テキスタイルミュージアムなので布地が展示されていたり、
ショッピングバッグの展示も。
道具も展示されています。
内装もいい感じ。
そして、このミュージアムでは自分でオリジナルハンカチを作ることができるのです。(確か、Tシャツも作れたはず。)模様は決まっているので選べません。当日予約でできました。てか、他に作っている人がいませんでした。笑
ちなみに、某ガイドブック2011年版では「ハンカチは無料で作ることができます」って書いてありますが、おもいっきり有料ですので注意です。値段は忘れましたが、1000円もしなかったはず…。
まずは練習用の布で作ります。スタンプを押す感じで作っていきます。
枠はこんな感じ。
内側にも模様スタンプを打って、練習用の布、完成。
インストラクターさんが付いてくださるので安心して作ることができる…。
訳ないじゃん。笑
「オレ、お茶してくるから、頑張ってー。」と言って、インストラクターは途中でいなくなりました。涙
15分くらいで戻って来ましたが、その間に本番用の布のスタンプの向きを間違えた私。そして、それを険しい顔で確認するインストラクター。↑
イヤイヤ、アンタのせいですよ??号泣
内側にもスタンプを押します。不在を反省したのか、手を添えて教えてくれるインストラクター。(でも、絶対反省する訳ないよね。笑)
何だかんだでできました。若干向きが違うのが目立つけど、ノープロブレム!!
インクを乾かすために、アイロンがけをしてくれました。
完成した作品がこれ。いかにも芸術家という感じのインストラクターでした。
練習用の布は彼が色を付けてくれ、お土産にしてくれました。向かって一番奥が彼の作品なのですが、「ほしい!!お願い!!」と頼んだら、内緒でくれました。旅仲間Yちゃんとじゃんけんをしたら私が勝ったのでゲット。笑
入場料は2011年当時で30ルピー。インドでアノーキーのテキスタイルに魅せられた方にはオススメのミュージアムです。
#037 世界中のマクドナルドに行ってみた。
マクドナルド @中国
私は日本国内では滅多にファストフードを食べないのですが、海外旅行中にその国の料理に飽きたり、いい店が見つからないときに利用します。最近では、ご当地マックを食べに行くこともあります。ということで、今までに食べたマクドナルドのメニューを紹介します。
1.タイのサムライバーガー (2013.3)
「タイにはサムライバーガーというメニューがあるらしい。」という話を何かの本で読んで以来、気になっていたサムライバーガー。
どんなハンバーガーかと思いきや、てりやきポークバーガーでした。まぁ、日本人が好きな味です。
カオサンの24時間営業のお店で食べました。
ドナルド先輩がタイスタイルで迎えてくれます。笑
3月末に行ったからか、ソンクラーンを楽しむドナルド氏のポストカードが売られていたので購入。笑
2.UAEのマックアラビア (2007.8)
ドバイ空港にて購入。
チキンが中に入っています。ヘルシーですね。
10番に注目。ビッグマックがチキンバーガーになっていました。
3.インドのティキバーガー (2013.3)
他宗教国家のインドにはベジ用のハンバーガーがありました。
中身は野菜コロッケの入ったハンバーガーです。インドでは、緑の丸はベジマークです。よーく見ると、ポテトの紙袋についていますね。
ちなみに、ノンベジマークは赤丸。
旅仲間Iさんはこれを注文していました。
人口の8割がヒンドゥー(牛NG)、2割弱がムスリム(豚NG)のインドではチキンバーガーが充実していますね。
インドではマクドナルド=ファミリーレストランなことにもびっくり。笑
4.アンドラのテンプラバーガー (2016.8)
以前にもアンドラ編で紹介しましたが、アンドラやスペインにはテンプラバーガーがありました。単品で7.5ユーロ。まぁ、なんて恐ろしい子!!笑
どんなもんかと期待したら、ほぼチキンタツタでした…。全然天ぷらじゃないじゃん!でも、おいしかったです。
日本でもおなじみのメニューもあります。
私が見かけたアンドラのマクドナルドは2店舗だけでしたが、どちらも緑色の外観をしていました。景観を気にしているのかな?笑
5.スペインのCBO (2016.8)
バルセロナ空港で購入。なぜマクドナルドを利用したかというと、クロアチア行きのゲートは本当にレストラン&お土産店が少なくて、どこも大混雑。マクドナルドももちろん然りだからか、セルフレジを使って注文ができました。液晶画面を見ながら、自分で注文してお金を払った後、店頭でレシートを渡す形式でしたが、ますます混乱していたように思えました。笑
もちろん、店頭でも注文できます。
CBOとは何ぞや?と思ったら、Cheese Bacon Onionの略だったはず。まずまずでしたが、こちらも1個600円くらいした記憶があります。
申し訳ないですが、ここからは写真が少なめです。
6.スロベニアのマックスキャンピ (2011.8)
サイドメニューのエビフライです。エビ好きにはたまらない♫是非、日本でも販売希望!
2009年にチェコでも見かけました。
更に申し訳ないですが、ここからはメニュー名が不明です。
7.オーストラリア (2004.12)
私はオーストラリアではハンジャ(HUNGRY JACK'S)派なのですが、たまにマクドナルドにも行ってました(ハンジャの一部の店にはドリンクバーがある)。マックOZという、紫色のビート(カブ)の挟まったメニューがあったはず。SOLOのレモンスカッシュは思い出の味。
ちなみにこちらがハンジャ。バーキンがオーストラリアだとなぜかハンジャになってます。笑
8.アメリカ (2004.2)
ニューヨークにて。女子高生らしきアルバイトに「砂糖いるの?いらないの?」と若干キレられ、「いる。」と答えたら、3つもくれました。てか、投げつけられました。涙
ニューヨークはあんまりいい思い出がないなぁ。
9.イギリス (2005.8)
イギリスではファストフードによくお世話になります。当時は日本撤退していたしバーキンをよく利用してましたが、マクドナルドにもたまに行きました。なかなかボリューミー。
↑こちらはバーキン @イギリス。
10.韓国 (2012.3)
韓国のマクドナルドにはプルコギバーガーがあります。私は残念ながら食べたことがありません。
でも、ロッテリアでエビ&プルコギバーガーを食べました!エビ好きの私にはエビカツがおいしかった♬
仁川空港で食べられます。
11.トルコ (2010.5)
こちらも、中には入っていませんが、ドンドゥルマ(伸びるアイス)がありました。
以上、過去の旅行写真を振り返りながら挙げてみました。ご当地マックを巡る旅も面白そうですね。
#036 ブータン経由でインドに入国してみた。 (2017.3)
#031から続いたブータン旅行ですが、今回でラストです。
3月21日午後 カリン出発
遂にカリンを出発する時が来ました。 行きと同じ道で、国境の街、サムドゥプジョンカを目指します。往路は途中で視界が見えなくなりましたが、復路はどうでしょうか…?
なお、酷道を恐れ、Mさんと私はキラを脱いだ(着物みたいに結構締め付けられる)のですが、T氏だけはKからプレゼントされたゴを着てサムドゥプジョンカを目指しました。
その前に、カリンの観光名所、織物センターに寄りました。ゴやキラの生地はもちろん、布織物を使ったお土産が売られています。布は細かい模様が織り込まれており、思わず買いたくなりましたが、値段を見てびっくり。 高いものだと数万円しました。
ポーチや小物入れなら安価で手に入れることができたので、私はこの2点を購入。いずれも800円前後。
サムドゥプジョンカに向かう道は天候に恵まれ、景色を楽しむことができました。
ダルシンがたなびいていたり、
野生の猿に遭遇したり…。
順調にサムドゥプジョンカへ向かっています。
往路同様、途中でトイレ休憩がありました。私たちの青空トイレはここ。車を停めたところから逸れ、坂を少し下りました。
その間、ドライバーのジャンボさんはなぜか竹を集めていました。
トイレ休憩の3分後、カーブに沿う山道を見た私は衝撃の光景を目の当たりにしました。車窓に見たことある風景が…。あの下り坂は…。そう、私たちの青空トイレはカーブを越えた車道から丸見えだったのです。きゃー。号泣
しばらくすると景色が変わったと同時に舗装が無くなりました。行きにも見たよ、こんな光景。涙
落石しないことを祈るのみ…。
土砂崩れの跡が何ともリアル。
そんな中、野良牛発見。君たちは落石が怖くないのですか?笑
行き同様、狭い車道に対向車が。でも、行きに何度もこの光景を遭遇し、通れることはわかっているのでノープロブレムだと思えます。笑
気が付けば日の入りの時間。残念ながら曇りがかっていましたが、これはこれで神々しくて美しかったです。
3月21日夜 サムドゥプジョンカ到着
19:00前に無事にサムドゥプジョンカのホテル(MENJONG HOTEL)に到着しました。
ロビーにまたしてもあの動物画が。
チェックイン後に部屋に行かず、ブータン土産を買いに街に繰り出しました。カリンと比べるとサムドゥプジョンカは少し都会で、色々なお店やレストランがありました。
国王夫妻グッズがほしかったのでガイドのコクトさんの案内の下、お店を探すとようやく発見。ブータン人がつけているようなピンバッジは残念ながら見つかりませんでしたが、国王夫妻のキーホルダーや国旗など、ブータンらしいお土産がありました。国旗は龍が刺繍されているので全盲の人が触っても形がわかるようになっているため、Mさんが購入してました。T氏の探していたポーグッズは見つからず。あったら私も買っていたな。笑
ホテルに戻り、夕食をとりました。ちなみに、このホテルは行きに昼食をとったところなので、奥にある赤い料理は、ブータン初日に食べておいしかった豚の角煮です。
このコーンスープは中華風で優しい味でおいしかったです。
T氏はブータンビールを自腹注文(アルコールはツアー代金に含まれていないため)し、Mさんと私はマンゴージューズを注文しました。中身をグラスに開けてびっくり。量と色が明らかに異なっていました。多くておいしそうな方(右側)をMさんに献上し、私は少なくて怪しい方を飲みましたが、ノープロブレムでした。笑
ブータン料理のモモを食べていなかったので自腹注文しようとしたら「今日はモモを作る人がもういないので明日の朝提供します。」という返事が。翌朝の楽しみになりました。
口コミを読んだらイマイチっぽい感じでしたが、部屋はいたって普通でした。荷作りをして就寝。
3月22日 サムドゥプジョンカ出発
出発前に朝食をとりました。3人分とは思えない、大量のトーストにビックリ。
そこに大量のモモが運ばれてきました。ベジとノンベジを一人1つずつ(三人で3つずつ)注文したつもりでしたが、一人3つずつはあるような…?モモは中にスープの入ってない小籠包みたいな感じで食べやすいです。が、1つで結構ボリュームがあるのでさすがに完食できませんでした。笑
ちなみに追加料金なしで食べられました。ガイドのコクトさんに感謝です。
行きと同じ車でした。調べたら、made in IndiaのMahindraって会社の車だったようです。ガイドのコクトさんとドライバーのジャンボさんは既に首都に戻ってしまったので、行き同様インド人ドライバーのBJの下、7:00過ぎに出発。私が助手席に座ったので、行きと比べて後部座席もゆったりと座れました。
ホテルから3分ほどで国境到着。
3日ぶりの国境で出国手続きをします。
行き同様、出国審査をする建物では犬が日向ぼっこしていました。
ブータンの出国完了後、インド側の入国審査所まで向かう道は一気にインドになりました。
入国審査所に到着しました。
子どもたちが通学バスを待っていました。身なりからして、カーストの高い子どもたちなんだろうなぁ。
スムーズにインドに入国し、グワハティ空港を目指します。道路に野良ヤギがいるのもインドでは通常運転。
動かなくなったトラックをみんなで押していました。
あ、オートリクシャー発見!!乗りたい衝動を抑えて、旅路を急ぎます。
グワハティまで残り43キロになったのですが、BJがガソリンスタンドに寄り、スタッフに何か尋ねたら断られました。表示を見るとエンプティ―マークが点灯中。敏腕ドライバーBJは時には高速道路を逆走してまでガソリンスタンドに入ったのですが、そこでも断られ、かれこれ8か所ほどのガソリンスタンドにフラれています。嫌な予感がするも、「ノープロブレム!」というBJ。いや、フラれるたびに困った顔してんじゃん。笑
10軒目ぐらいでしょうか?ようやくお目当てのものが見つかったようです。
「どうして断られてたの?」って聞いたら「ディーゼルオイルがほしかったんだ。」とのこと。え、ディーゼル車ってインドではマイナーなのですか?ちょっと意外。
ディーゼルオイルを無事に給油し、グワハティ空港を目指します。マリオカートか?と錯覚するような障害物はきっとスピード対策なのでしょうね。バナナの皮とか亀の甲羅とかが転がってなくてよかったです。笑
高速道路を横切るインド人たち。日本では違法ですよー。笑
荷台に乗るインド人たち。気持ちよさそうだけど、積載量オーバーではないですかね?笑
空港に近づいてきました。グワハティでも、インドの人口の多さを感じます。
10:00前にグワハティ空港に到着。BJとお別れし、空港内に入りました。
行き同様、グワハティからバンコクまでドゥルックエアーに乗りました。航空券を見てビックリ。手書きじゃん!
12:10にグワハティを出発しました。なお、航空券をもらってから待合室で待ったのですが、そこからそのまま出国審査→出発ゲートという流れになり、お土産は一切買えませんでした。他のゲートだとお店が多少あったように見えましたが…。最後にインド土産が買えなかったのがちょっと残念。
3月22日午後 バンコク到着
その後16:00過ぎにバンコクに到着し、旅行最後の夜にさんざん遊んだのですが、このことを書くと皆さんの私たちに対するイメージが変わりそうなので、二人に配慮して割愛させていただきます。笑
まぁ、とにかく〆のバンコクの夜は楽しかったということです。2時まで遊んでたからね。笑
3月23日夜 日本帰国
5泊6日のブータン旅行(バンコク経由)を終え、無事帰国しました。私が車のキーを紛失するというトラブルがあり、警察に電話したり、荷物を漁りまくったりしましたが、結局は駐車場の車に置いてあってひと安心。最後までお2人には迷惑をかけまくりました。色々あった旅行でしたが、Yちゃんが元気そうにしていたのが何よりの収穫でした。1年後の再会の日が楽しみです。
#035 ブータンの学校に潜入してみた。 2日目 (2017.3)
ブータンに入国して3日目なのですが、カリンを昼には出ることになっているので、朝のうちに荷作りを完了させてから、朝食をとりました。
3月21日 午前
朝食
すいとんの中にドライビーフが入っていました。このドライビーフは前夜も登場したのですが、食感がマトンみたいで私は大好きな味です。
出発準備
昨日同様、ゴとキラに着付けてもらいました。 Mさんと私は、キラを交換したので、2日目の私は鮮やかなキラを着用しました。
そんな中、隣接校の生徒がYちゃんの家を訪問しました。どうやらKの家の近くに住んでいる子みたいで、Yちゃんの家に泊まったKの代わりに、K家秘伝のアラと呼ばれる蒸留酒を持ってきてくれました。本当は前日にKの家にお邪魔するときにいただくはずだったものを我々のお土産用にペットボトルに入れて持ってきてくれたのです。
教師の私物を、生徒を使って運ばせるという行為、日本ならアウトだよね。しかも、中身は3キロほどの酒。ましてや、謎の外国人へのお土産。笑
彼にはお礼に日本のお菓子をあげました。
昼にはカリンを出発するので、まとめておいた荷物を玄関先に置いて出発。Yちゃんの家ともお別れ。忘れ物がないか、改めて家の中を見回します。
そしたら、T氏が発見してしまったのです、私たち女性陣の部屋の扉に描かれているポーを。私たちはありがたいお部屋で眠っていたのですね。ブータンの家には手描きでカラフルな宗教画が描かれているのです。
出発
Yちゃんの家を8:00過ぎに出発しました。 Yちゃん家の朝食の残りをもらった野良犬が気持ちよさそうに日向ぼっこをしながらくつろいでいます。
Yちゃんの家を出て少し歩くと、牛除けの柵があります。
ミュンセリン盲に向けて歩きます。キャンプの時に嗅ぐような、煙の臭いがなんだか懐かしいです。
途中で見かけた、かわいらしい野良犬。思わずカメラを向けてしまいました。
朝礼
8:30になり、昨日同様に朝礼開始。彼はベルボーイとして、チャイムの代わりにベルを打ちます。授業の前後も授業を抜け出してベルを打ちに行きます。 彼は英語の時間でも見かけましたが、真面目で責任感のある好青年でした。
昨日同様、体操の後お祈りの時間があり、心が洗われるような気持ちになりました。
1時間目 英語
前日の授業の続きです。Kが黒板に書いた通り、今度はブータンの児童が日本の生徒に返事を書いたり動画を撮ったりする番です。
前日に宿題だと言ってあったので、みんなきちんとまとめてきました。清書をしています。
ブータンの点字板はドイツ製で、一度にたくさんの文字を打つことができます。日本のだと数行おきに板をずらさなければならないので、これは便利だと思いました。
ベルボーイも一生懸命書いていました。
もちろん、公用語だということもあるんだけど、日本の生徒と比べてスラスラと英語で返事を書く姿はあっぱれ。海外旅行をしていて私自身も感じることですが、自分の国について説明できるってのはとても大事なことだと思います。
全員、動画も撮りました。ちょっとシャイな子も一生懸命頑張っていました。
彼らの返事をMさんがまとめて回収し、4月の授業で返事を渡したそうです。私が中学生の時にオーストラリア人と文通をしていた友達がいて、その文通相手の友だちを紹介してもらい、数年間文通をしたことがあります。自分の気持ちを知っている英語で何とか表現して投函し、 返事が来た時のワクワクした気持ちは今でも忘れません。日本とブータンの子どもたちも、きっと当時の私と同じ気持ちだったんじゃないかなぁ。実際、オーストラリア旅行に無意識にハマったし、きっと彼らもお互いの国を今後も意識するはず。心温まる、Mさんらしい授業でした。明るいMさんの授業はみんなを元気にするパワーがあるのです。
2時間目 美術
こちらも、前日と同じメンバーでの授業です。「現地にあるものを見て、授業を考える」というT氏が前日に閃いたのは、ペットボトルに豆を入れてマラカスみたいな楽器を作るというものでした。Yちゃんが3種類の豆を用意し、それぞれ大きさも色も異なる豆を児童たちが1種類選び、それぞれペットボトルの中に入れました。みんなで振ると、シャカシャカシャカ!!!とものすごい音がして、子どもたちは大興奮。豆ってそんなに音がするんだね。
その後2人組でペットボトルを組み合わせて、巨大なマラカスを作りました。ペットボトルをカッターナイフで切る作業はまだ難しいとのことで、前日に私たちで切っておいたものを児童たちがガムテープで固定しました。
豆って種類によって音が全然違うんだね。私も児童たちと一緒に勉強になりました。全盲の児童も豆を左から右に流して音と豆の動きを楽しんでました。
この2人はとにかく元気で、思いっきりシャカシャカ振っていたら…。
ペットボトルから豆が出てきてしまいました。笑
テープを止めるのが緩かったんだね。こういう失敗を糧に子どもたちは成長します。
前日は粘土を使った初めての創作活動で、今日は身近にあるものを使った創作活動。どちらも児童たちが本当に楽しそうにしていたのが印象的でした。日本から持ってきた最先端のものを使った授業ではなく、ブータンでも手に入る身近なもので美術の楽しさを教えようとするT氏の姿勢は勉強になりました。日本でも、閃きから生まれるT氏の美術の時間は楽しいのです。私は頭が固いから、うらやましい限り。
休憩時間 お別れの会
教員のティータイムの時間に児童に集まってもらい、お別れの会を開いてもらいました。たった1日半のミュンセリン盲の滞在でしたが、私が逆に彼らから学んだことが多くありました。彼らは純粋で勤勉で礼儀正しく、そして何より楽しそうで幸せに溢れてました。ブータンが幸福度(GNH)世界一の国であるというのが納得できました。日本は最先端の文明に囲まれているが故に、当たり前の幸せを見逃してしまっているのかもしれません。と言っても、一度文明に触れてしまった私たちはそれのない不便な生活に戻るのはもう難しいのでしょうが…。
バルション村へ
ガイド&ドライバーと2日ぶりに合流し、ミュンセリン盲からバルションと呼ばれる村まで行きました。我々の荷物は既に車に積まれていました。カリンから車で15分ほどタシガン方面へ向かいました。
バルション村にあるラカン(お堂)に入る手前にあった、六道輪廻図。 生前の行いによって、死後の輪廻転生の行き先が決まるという図です。
地獄か、餓鬼か、畜生か、修羅か、人間か、天上か…。
この絵は畜生かな?カオスです。
大きなお堂でした。敷地もとっても広いです。
天上にも仏教画がありました。
堂内は撮影禁止なのですが、Kがいたので撮影許可が出ました。おそるべし、Kコネクション。笑
大きな銅鑼がありました。
配色も装飾もとても凝っていて綺麗です。日本の寺院にはない配色ですね。
ポー発見。 本日2回目。ありがたやー。
かなり使い込まれた経典。ブータン人は暗誦しているのだろうか。
パドマ・サンババという、チベット圏に初めて仏教をもたらした人物だそうです。険しい像のその下に、国王夫妻の写真が。
お供え物もカラフル。
壁面の仏教画について説明を受けました。ブータンでは、お坊さんやガイドさんはもちろん、一般市民も自分たちの宗教や宗教画について説明することができます。日本にいると宗教を感じる機会は少ないし、その必要性も感じないのですが、やはり外国に行くと日本人の宗教観が異質なんだろうなぁと思います。私は何でもありの日本人の宗教観が好きですが、やはり外国人には不思議がられますね。
帰ろうかと言っていたら、お茶でもどうですか?と言われました。お坊さんたちにお茶を注いでもらい、クッキーと共においしくいただきました。おそらくこれも、Kコネクション。ありがたいです。笑
前記事で触れた、4つの動物画がまたありました。配置は違いますが、絵の意味は同じです。
お堂の駐車場に桜の苗があり、つぼみが膨らんでいました。春はもうすぐかな。
3月21日 午後
カリンのバザールにある食堂でランチをしました。このお店でKのお姉さんが働いています。私はドライビーフのカレーを注文。おいしくて、お土産にドライビーフを買って帰りたかったけど、残念ながら肉無し月だったため買えず…。 また食べたいです。
YちゃんがT氏へドマと呼ばれる噛みタバコをプレゼント。私は嗜まないのでわかりませんが、ミャンマーのキンマみたいな奴かなぁと想像しています。 T氏が帰りの旅路で嗜んでましたが、かなりキツかったようです。
名残惜しかったけれど、ここでYちゃんと涙のお別れ。カリンのバザールでは手に入らないブータン土産を準備してくれただけでなく、キラや手紙もあって、思わぬサプライズに感動しました。Kからのメッセージで"Life is discovery."と書いてありました。確かに人生は発見の連続であり、こうやってYちゃんを通してKやYさんと出会ったのも、ブータンで感じたことも私の人生の上での新たな発見なんだなーと思いました。これからも旅を通してこういう発見を大事にしていきたいです。
カリンのバザールを出て、私たち3人は行きと同じルートでサムドゥプジョンカを目指しました。行きのワクワクした気持ちとは異なる、楽しかった思い出と共に浮かぶYちゃん達との別れの淋しさ。Yちゃんが帰国する来年に、お互いもっと成長した姿で会えるといいな。
#034 ブータンの学校に潜入してみた。 1日目② (2017.3)
3月20日 午後
ミュンセリン盲学校訪問1日目の後編です。給食後に移動しました。
5時間目 隣接校の授業参加
ミュンセリン盲学校の敷地に隣接する普通小中学校では、Yちゃんの先輩のYさん(日本人。K同様、前夜に杯を交わした仲)が勤務しています。Yさんの貴重な授業時間をいただいて、授業に潜入させてもらいました。
普通校なので、教室に入ると生徒たちがたくさん座っていました。みんな大人っぽい。ここでも自己紹介を英語でしました。私は日本食の話をしてから、好きなブータン料理を聞いてみました。彼らの答えはもちろん…。
「エマダッツィ!」笑
キラとゴを着るのにどれくらいの時間がかかるのかも質問してみました。めっちゃ早着替えできる子がいたな。
その後、生徒たちから私たちへの質問タイム。「何歳ですか?」という質問をされ、何歳に見えるかを逆に聞いたところ、めちゃ若い年齢を言われ、キャーー♫と、テンションが上がる可愛らしいMさん。笑
その後「来世でもブータンに来たいですか?」という、チベット仏教の輪廻転生の考えをもつブータン人ならではの質問や「ブータンのどこが好きですか?」という質問も。
ちょっとやんちゃそうな男子生徒から「日本の歌を歌ってください。」というリクエストをされ、君が代でも歌うのかと思ったら、Mさんの「ポップな歌と静かな歌、どっちがいい?」に対して「ポップな方!」と少年が答えたので、AKB48のヘビーローテーションのサビをMさんと私で振付きで歌いました。私はかなりうろ覚えだったけど、Mさん、即興でその曲をセレクトし、完璧にできたあなたはやはり偉大ですわ。笑
6時間目 隣接校 校内見学
Yちゃんは授業の準備に行ったので、Yさんが隣接校の案内をしてくださいました。敷地内にこんな絵がありました。以降も2か所でこれと同じような絵を見かけました。共通しているのは、象の上に猿、猿の上に兎、兎の上に鳥がいるところ。鳥が落とした種を兎が耕し、猿が水を撒いて育て、成長した木を象が守り、実がなる頃には自分だけでは取ることもできない高さになってしまい、この4匹が力を合わせて果実を取って食べる、という話のようです。ブータンではポピュラーなお話なんだとか。
古いサッカーボールが「第二の人生(球生?笑)」を送っていました。水も漏れないし、素敵な活用法だよね。日本の学校でも是非再利用してほしいです。
職員室に行くと、笑顔で出迎えて下さいました。ブータンの方は本当にみんな温かくて、田舎に帰ってきたような感覚になります。
職員室は2階にあるので、そこから外を見ると衝撃の光景が。Yさん曰く、「ブータン名物・青空テスト」だそうです。 バスケットボールコートであぐらをかいてテストを受けているように見えました。
気になってバスケットコートに向かったのですが、残念ながら途中で子どもたちとすれ違うことに。どうやら、青空テストは終了のようです。
「ハロー、マダム!」と、初対面の謎の外国人(=私たち)に対しても笑顔で礼儀正しく挨拶をするブータンの子どもたち。
テストはしっかりできたのかなー?
隣接校にもマニ車がありました。
7時間目 体育
盲学校に戻り、Yちゃんの体育の授業を見学しました。場所は、午前中に見学した、あの芝生グラウンド。努力家のYちゃんは毎回指導案を英語で作り、児童たちを全力で指導しています。
グラウンドに児童たちがぞろぞろやってきました。びっくりしたのは、校舎からグラウンドまでの間に用水路があって小さい橋がかかっていたり、坂道があったりするのですが、彼らは白杖なしで難なくグラウンドまで到着していたところ。ブータンの子どもたちはたくましいなぁ。
まずは体操から。ジャージに着替えた子、ジーパンに着替えた子、裸足で来た子、ビーサンで来た子など、人それぞれです。
子どもたちが体操している傍らで、犬がグラウンドで気持ちよさそうに寝ていました。何かが起こる予感…。笑
運動会で「台風の目」の競技を行うため、今日は転回の練習をするとのことです。日本の盲学校でもそうですが、視覚障害のある子が走るには音源が必須で、児童たちはその音声がする方向に向かって走ります。
KとYさんがポール役となり、名前を呼んで走る方向を示してました。先ほどまで寝ていた犬が名前を呼ばれてないのになぜか走っています。数分後、この犬は全速力で走って来た児童に蹴られ、吹っ飛ばされました。笑
走者が転回した後は、次の走者が名前を呼んで進行方向を示します。これがなかなかできなくて、リレーが上手くつながりませんでした。一通りした後、Yちゃんがみんなを集めて、もっと声を出すように指導していました。その後行った2回戦ではみんな声を出していたので、1回戦よりはスムーズにできていました。
初めて会った頃、Yちゃんは社会人経験がそれほどなかったので、私が先輩として色々教えていました。そんなかわいらしい後輩だったYちゃんが、今やブータンで外国語を使って一生懸命指導している姿を見て、何だか嬉しくなりました。かっこよかった。私も頑張らないとなー。
学校見学終了
本当はこの後Kの家に遊びに行く予定だった(Kはカリン生まれカリン育ち♪地元の人は大体友達♪) のですが、時間が無くなってしまい、残念ながら中止になりました。ご家族が色々と準備して下さっていたようで、申し訳なかったです。代わりに昨夜行けなかったカリンのバザールでお土産探しをしました。
午後に行った隣接校をさらに5分ほど上っていくとカリンのバザールがあります。途中でまたしてもリサイクル鉢が。タイヤもこうやって再利用できるんだね。
途中で飼い牛発見。のびのびと歩いています。
夕方になったので、彼らも帰宅の時間かな。
マニ車にはいろいろな種類があります。これは一度に複数のマニ車を回せるので効率的ですね。
バザールに向かう途中でガイドのコクトさんと遭遇。彼は一日何をして暇つぶしをしていたのだろうか。ドライバーのジャンボさんは一日車の掃除をしていたとのことだけども…。てか、ゴを着てくれないと誰だかわかりません。笑
カリンのバザールに到着。小売店が何店舗かありました。
唐辛子が大量に売られているのもブータンならでは。
お菓子を購入しましたが、標高が高いので袋がパンパンに膨らんでいました。
バザールで購入したのがコチラ。真ん中にあるのはピーチワイン、缶はビール(DRUK11000)です。
バザールでお茶しながらコクトさんと明日の打ち合わせをした後、Yちゃんの家に帰宅。夕食ができるまでみんなで飲みながらまったりタイム。Yさん作のチャンパ(おつまみのこと)がめちゃおいしくて、3人とも感動♫作り方は、インスタントラーメンを砕き、付属の粉末スープと混ぜ、ライスフレーク・刻みトマト&玉ねぎ・油・チリパウダーを加えて混ぜるだけ。汗が出るけど、止まらなくなる味です。
本日の夕食メニュー。真ん中の鍋に入っている、ドライビーフがマトンみたいで私とTは大ハマり。左の鍋は川魚のフライです。
明日にはカリンを出発するので深夜近くまで飲み食いしながら色々話していたのですが、酔いが回ったのか、高山病なのか、旅疲れなのかわかりませんが、急に謎の頭痛に悩まされました。まぁ、寝たら治りましたが。
翌日も盲学校を訪問します。Yちゃんと再びお別れの時が迫ります。
#033 ブータンの学校に潜入してみた。 1日目① (2017.3)
日本からバンコク経由でインドのグワハティ空港に到着し、陸路でブータンのサムトゥプジョンカから入国しました。サムトゥプジョンカからカリンまでの移動はひたすらグネグネ(時々ボコボコ)の山道でしたが、「これぞ海外旅行!」って感じの、非日常的な体験が楽しかったです。
ブータンへの訪問目的はカリン(Khaling)で働く友人Yちゃんに会い、職場訪問をすることでした。Yちゃんと私は元々同じ職場で働いていて、2人で一緒にインド旅行をするほど仲良しでした。その後お互い転職した私たちが偶然にもまた同じ職場になり、そこにいたのが今回一緒に旅をした2人なのです。縁ですね。4人で仕事でもプライベートでも仲良くしていた中彼女は退職して、2016年夏からブータンで働き始めたのです。その職場が今回訪れたミュンセリン盲学校です。我々3人も日本の盲学校で勤務しているので、学校見学と同時に授業をさせてもらいました。
では、盲学校訪問1日目を振り返ります。
3月20日 午前
朝食
朝ごはんは豆のお粥でした。前日の夜のスープと同じ、ちょっとだけスパイシーなところが体を温めてくれて、おいしかったです。
民族衣装キラ
民族衣装のゴ(男性用)とキラ(女性用)に着替えて、盲学校に向けて出発。ゴは日本の着物をひざ丈にしたような形状をしていますが、キラは布を巻き付けて、襟のあるジャケットを羽織る感じです。T氏のゴは、Yちゃんの同僚のKの私物を拝借(→後にKからプレゼントされる)。キラは旅行会社から貸してもらっており、Mさんのは鮮やかなキラでしたが、私はシックなデザインのキラで、どちらも色々な色や模様が織り込まれた美しい布でできていました。もちろん、私一人では着られないので、Yちゃんに着付けてもらいました。ブータンでは、大人も子どももゴかキラを着ています。
移動
前夜は真っ暗で全く見えませんでしたが、朝外の景色を見たら、のどかな風景が広がっていました。アジアの途上国というと排気ガス等で空気が悪いことが多いのですが、カリンの空気はとにかくおいしかったです。
盲学校までの道は細い畦道がひたすら続き、ぬかるんだ泥道があったり、木の板で橋や梯子がかかっていたりして、視覚障害者にはなかなかハードな道のりのように思えました。この環境に慣れている児童たちはスイスイと歩くようですが…。
5分ほど歩いてミュンセリン盲学校に到着。いくつかの棟に分かれています。ちなみに、ブータンには盲学校が1校しかいないので、ブータン中の視覚障害をもった児童たちがここで教育を受けています。
私たちが到着してほどなくすると8:30にベルが鳴りました。朝礼の始まる合図です。
朝礼
はじめにみんなで体操をしていました。アキレス腱伸ばしのやり方が日本と違ってました。全盲の児童もいるので、職員が指導や補助に入ってました。
みんなで「one, two, three,four...」とカウントしながらやっていました。
体操の後はロの字型に並び直し、お祈りの歌と国歌をみんなで歌います。アカペラで歌う国歌がとても美しい曲で、思わず鳥肌が立ちました。美しい自然の中に響く、彼らの美しい声。私たち日本人と比べて、ブータン人の愛国心と宗教に対する思いを強く感じました。
我々が学校訪問をすることはYちゃんが事前に学校側に伝えておいてくれたので、朝礼の後にそれぞれが簡単な自己紹介をしました。ブータンの公用語はゾンカ語と英語なので英語で話しました。
1時間目 英語
Yちゃんが時間割を調節してくれたので、1時間目は英語の授業でした。まずMさんが君が代と我が勤務校の校歌を聞かせました。恐らく、彼らが初めて聞く日本の歌だったはず。それから、日本の盲学校の生徒が書いた英文をブータンの盲学校の児童に読んでもらい、返事を書いてもらいました。
アルファベットは点字でも墨字(点字ではない文字=筆記具やパソコンで書かれた文字)でも全世界共通の形なので、みんなワクワクしながら読んでいました。盲学校に限らず、日本の生徒たちは普段英語を勉強しても実際に使う機会がないものですが、英語という共通語を介して異国に住む同じ年齢くらいの学生との国際交流はとてもいい機会だと思います。さすがMさん。彼らは日本に対してどんなイメージを持ったのかな?返事を書いてくるのは翌朝の授業までの宿題にしました。
2時間目 美術
2時間目はT氏による図工の授業でした。日本の盲学校では図工や美術の時間に粘土を使うことが多いのですが、ミュンセリン盲学校では美術教育がこれまでありませんでした。過去形なのは、私たちが訪問する少し前からYちゃんが図工の授業を担当することになったからです。
T氏が日本から持参した2種類の粘土(油粘土と土粘土)を使って、2つの粘土の違いを触覚や嗅覚から感じさせた後、児童たちが手のひらで丸めたり、机に打ち付けたり、指で穴を開けてみたり、紐を作ったりしていました。粘土を触るのが初めての児童たちはとても楽しそう。慣れない英語を使って授業をするT氏もとても楽しそうで、それが児童たちにも十分伝わっていました。さすがグローバルT、やるねー。
紐から蛇に変身させ、「誰が一番上手に蛇を作ったか?」という発表会が行われ、みんなで触りやっこしました。とある弱視の児童がリアルな蛇を使っていてびっくり。他の児童も「本物みたいだー」と大絶賛していました。
休憩時間
2時間目の後にティータイムの時間があるので、私たちも職員室に混ぜてもらいました。ここでも、ティ―タイムのお供はジャ(ミルクティー)にビスケット。寒いカリンでは温かい飲み物が本当にありがたいです。続々と職員室に戻って来る先生方に日本のお菓子を配りました。
うまい棒納豆味は意外にもブータン人に好評でした。Yちゃんも感激。笑
ちなみに、この方がミュンセリンの校長先生です。
3時間目 校内見学
YちゃんとK(ブータン人)が私たちを案内してくれました。ちなみにKとは前夜からYちゃんの家で一緒に飲んでいるので、既に仲良しです。笑
外には芝生コートがありました。ここでYちゃんの体育の授業が行われているそうです。
ブータンの国技であるダツェ(アーチェリーみたいなスポーツのようです)の的がありました。成人男性の足の大きさくらいの、とても小さい的でした。
グランドはぱっと見綺麗に見えますが、割れたレンガやビール瓶、大きな石などが転がっていて、視覚障害者がケガしないか不安になる環境でした。しかも、このビール瓶は職員が夜の宴でここのグランドを利用しているからのようで…。うーん。
グラウンドの外は崖と川でした。ボールを使う授業をやった暁には、ホームラン必至な状態です。
敷地内にチベット仏教の仏具であるマニ車がありました。これを時計回りに回すと、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ意味になるのだとか。私はこのチベット仏教の、いい意味でゆるーい考え方が好きです。
最後に寄宿舎を見せてもらいました。改装中ということで家具が外に置かれていました。
寄宿舎の入り口にあった「ポー」の絵。ブータンに来る前に寄ったバンコクでも同じような「シンボル」があり、我々の話題をかっさらってましたが、ここブータンでもポーはありがたい存在。魔除けや子孫繁栄として、信仰されています。ということで、私たちが今から入る寄宿舎は男子用ということですね。笑
2階建ての寄宿舎には大部屋から中部屋までさまざま。大部屋はベッドがギュウギュウ詰めでした。これも改装中だったからだと思います。
とある部屋の天井には数学や理科の公式が張られていました。以前勤めていた方が作られたそうです。天井に貼られていた文字を盲学校の生徒は読めるのかなぁ。
床が時々きしみ、二条城の「ウグイス張り」みたいな音がしました。
4時間目 授業見学
Yちゃんは授業だったので、Kが校内案内をしてくれました。教室に入って、授業を見せてもらいました。
校内のとある教室では本を読んでいる児童がいました。まだフォニックスをやっていないのか、w-h-a-t- i-s…と、アルファベットを読む練習をしているようでした。
その点字版がこれ。ブータンの点字紙は日本のものと比べて大きく、正方形の形をしていました。
他のクラスに行くと、パーキンス(タイプライター)がありました。日本では点字板とパーキンスが主流で、1人1台支給されていますが、この盲学校ではパーキンスは1台しかないとのことです。
給食
給食の時間になりました。ご厚意で私たちも同じものをいただけるとのこと。今日のメニューはカレーとスープでした。
児童たちは自分の番号のついた食器をもって並びます。
先生方が次々に配膳していきます。ここで驚いたのが、先生方が児童一人ひとりが食べる量や好き嫌いを把握していること。量を少なめにしたり、スープだけを配膳したり、カレーとスープを同じ食器によそったりと、児童生徒の実態をちゃんと把握しているんだなーと感心しました。
日本みたいにみんなで一緒にいただきますをする習慣はないので、もらった人から食べ、食べ終わったら食器を洗って帰るという感じでした。
白いカレーもスープもそれほど辛くなかったです。手前のカレーはYちゃんがくれた、前夜の夕食の残りのカレーで、近くのレストランで注文してくれたものです。インドカレーに似ていたけど、お肉が柔らかくておいしかったです。
その中でも私が一番気に入ったのはエゼと呼ばれる、野菜とチーズを和えたものです。それほど辛くありません。
なんと校長先生のお手製のエゼは、パクチーたっぷりで本当においしかった!Kを見ていても思うのですが、ブータンの男性は本当によく働き、動きます。
それは子どもたちも一緒で、全盲や重複障害の児童のお世話係は教師ではなく児童でした。日本でももちろんそういうことはあるのですが、ブータンの子どもたちは、日本では教師がする仕事のようなことも男女ともに行っていました。自分のことを後回しにして友達のお世話をするミュンセリン盲の子どもたちってすごいなー。
私たち以外誰もいなくなった食堂に、新たな「お客様」が。犬は床を、ハトやスズメは机の上を「パトロール」します。それぞれ縄張りがあるんですね。笑
残飯は食堂の外で犬や鳥の餌になります。時間になると犬たちが集まってきて、Kの周りに来ます。盲学校周辺の野良犬は食に困りません。Yちゃんの家でも、残飯は野良犬のものだったし…。
本当は一日分をまとめて投稿をしようと思っていましたが、まだまだ長くなりそうなので、午後については#034で書こうと思います。
#032 インド経由でブータンに入国してみた。後編 (2017.3)
インド経由で無事にブータンのサムドゥプジョンカに到着しました。ここからはいよいよ待ちに待ったブータンです。
3月19日午後 ブータン入国 (サムドゥプジョンカ到着)
ブータン入国後すぐにレストランにて遅めの昼食をとりました。メニューはカレー、鶏肉とインゲン豆のゴマ和え、豚の角煮、ブロッコリーを茹でたもの、山盛りごはんです。世界一辛いというブータン料理ですが、辛さを抑えてくれたみたいで、全く辛くありませんでした。私は写真中央の鶏肉とインゲン豆のゴマ和えと、その下にある豚の角煮の味が気に入りました。角煮は結構油っぽいのですが、玉ねぎをとろとろに煮込んだものが入っていて、それが甘くて絶品でした。
ちなみに食事は公定料金に含まれているので、お金はかかりませんが、アルコール類を注文すると追加料金が発生します。
レストランから出ると、ドライバー(ジャンボさん)と車が変わっていました。ドライバーが3人共通の知り合いNさんに似ていたので、そのことで盛り上がりました。旅行会社からは日本車のH-1だと言われていたのに、どー見てもメイドインコリアの〇ュンダイじゃん、これ。乗り心地にうるさい旅仲間T氏は若干ご立腹でした。笑
韓国産のバンでカリンを目指していざ出発。サムドゥプジョンカの市街地を抜けたらすぐにぐねぐね道が始まりました。 予想よりもだいぶ早かったですね。しばらくは直線の道が続くと思っていましたよ。号泣
ちなみに、ガイドのコクトさんはタシガン州という、カリンのある地域出身なんだそう。ただ、カリンにガイドで行くのは久しぶりのようで、「前ここを通ったのはいつですか?」と聞いたら「1年前だね。」という答えが返ってきました。笑
路肩には野良牛が。インド国境から逃げてきたのでしょうかね?まさかブータンでも野良牛に逢うとは思いませんでした。 笑
片側1車線のぐねぐね道ですが、この道は舗装されているし、道路幅が広いし、かなり綺麗な道です。この程度なら、私が小さい頃に住んでいた地元にあった道のレベルだし…。あとでもっとすごい国道…いや、酷道を経験します。 笑
途中でキャラの濃いおじさんを発見。なぜか車道で木を引きずり中…いや、木の散歩中かしら?通行の邪魔をしまくってました。笑
ブータンにはダルシンと呼ばれる旗が多くたなびいています。赤青黄緑白のカラフルなものや白だけのものもあるのですが、経典が書かれた旗がたなびくことで、経文を一度読んだことと同じ意味があるのだとか。翌日目にするマニ車同様、こういうチベット仏教の考えが私は好きです。
遠くを見てみると、山肌に白い線を発見。これ、よーく見ると土砂崩れの跡ですよね??
サムドゥプジョンカを出発して1時間ほどで、道の舗装がなくなりました。 写真では全く伝わらないのですが、でこぼこ道なので、体がひたすら上下に揺れます。そして、カーブの度に体が持っていかれそうになります。笑
車窓の右側を見ると崖、左側を見ると岩石がむき出しの山。 「落石注意」という看板もあったけど、注意しようがないよね?号泣
出発前にガイドのコクトさんから、「トイレに行きたくなったら早めに言って下さい。」と言われていました。出発して2時間ほどでトイレタイムを取ることに。ワゴンが止まりました。
公衆トイレなんてここブータンの山道にはないので、トイレットペーパーをもって草むらへ行きます。 青空トイレなんて、ミャンマー旅行以来です。笑
旅仲間Mさんは初体験だったようで「快感!!」と大満足でした。笑
この後も、コクトさんオススメの青空トイレスポットに立ち寄りました。川沿いの細い道を進み、川のせせらぎを聞きながらの青空トイレは何ともいとをかしでした。笑
標高が上がってきたので、外に出ると寒かったです。サムドゥプジョンカでは長袖1枚で過ごしていましたが、セーターとダウンジャケットが必要な寒さになってきました。
道幅も狭くなってきました。片側一車線のはずなのに、どう見ても一方通行の道幅ですよね? 砂埃もすごいし…。
対向車が来ました。インド産TATAのトラックです。すれ違えるか心配しましたが、ブータンの山道ではこんなの慣れっこみたいで、ギリギリのところですれ違っていました。
前日に雨が降ったのか、道がぬかるんでました。この時は乾季だったのでよかったですが、雨季に山越えをすると車が立ち往生することもあるみたいです。
更に進むと霧が発生しました。景色が見えなくなり、若干不安になります。
正面を見ると、ほぼ真っ白。大丈夫か、これ? しばらくすると一旦おさまって一安心。
木の枝やバラックで作られた家屋が時々見られました。住んでいる人の顔や肌の色から、インドから来た労働者の家族が暮らしているようでした。ブータンの肉体労働はインド人の力で支えられているようです。
再びTATA登場。
車の左側は崖ですからね。外の景色を見ていると色々不安になります。笑
ガイドさん曰く、国道(=酷道)をダイナマイトを使って道幅を広くしたり、舗装をしたりする工事が政府主導でティンプーから順に始まったんだとか。だからやたらトラック(大抵インドのTATA)とすれ違ったのかなぁと思いました。この数年で酷道はなくなってしまうかもしれない。便利だけど、快適になるけれど、ブータンの自然は失われてしまう…。ブータン人にとって、どちらが幸せなのだろうか?モンゴルのウランバートルでも同じことを考えました。
一人しんみりしていたら、T氏の提案でゲームをしようということになり、英語しりとりを開始しました。3時間くらい、3人で続けました。tennis→study→year みたいに最後尾のアルファベットを次の単語の初めとつなげていく感じでやり、「ン」で終わる英単語は使わないっていうルールでやったのですが、yで終わる単語は多いのにyで始まる単語が少ないことに途中で気づきました。そのくせ、Yemenもyenもyurnも使えないし…。途中からyで終わる単語をお互いに避けるという優しさが自然に生まれました。これぞチームワーク。yeahとかyolk(卵黄)まで使ったから、たぶんyで始まる単語は出尽くしたね。笑
17:30に友人Yちゃんとカリンのバザールで待ち合わせる予定でしたが、そもそもサムドゥプジョンカ出発が14:30頃だったこともあるし、視界が再び悪くなったりしたりで、カリンに着いたのは真っ暗な20:00頃でした。5時間以上、ほぼぐねぐね道(時々ぼこぼこ道)でした。笑
3月19日夜 カリン到着
カリンのバザールに到着したら、Yちゃんと同僚(YさんとK)が出迎えてくれました。1年ぶりの感動の再会。Yちゃん、元気そうでよかった!Yちゃんは私たちが車酔いになっていないか心配だったようです。
車で近くまで行けないので、カリンのマーケットから少し歩いてYちゃんの家に到着。重い大荷物はコクトさんやジャンボさん、Yちゃんの同僚のKが運んでくれました。この時は真っ暗でよく見えなかったのですが、翌朝改めて見ているとカリンはのどかな田舎町でした。
まずはティータイム。ブータンではジャ(インドのチャイのこと)のお供は専らビスケットです。真ん中にあるのは干し芋。
Yちゃんと同僚2人でごちそうを準備してくれていました。ありがたい。ちなみに、料理の後ろに置かれているのは、私たちが持参した日本土産の一部です。笑
昼食と違って、ノンチリではないブータン料理との初めての遭遇です。1つのお椀に好きなだけよそって食べるスタイルはミャンマーの僧侶たちの食べ方と似ていました。右側は豆のスープで、豆のやさしい味の後にちょっとだけピリッとします。左手前の唐辛子が、ブータンの国民食である「エマダッツィ」。ごはんはチュムマープと呼ばれる赤米。
エマダッツィは唐辛子のチーズ煮込みです。これはだいぶ辛いので、私はほとんど食べられませんでした。でも、どの料理も思ったよりは食べやすかったです。もっと辛いと思っていたので…。
Yちゃんはカリンの空き家を職場から手配してもらっているので、ここで一人で住んでいます。壁にチベット仏教のカラフルな絵が描かれています。
キッチンはこんな感じ。シンクの蛇口の水が止まらず、ひたすらチョロチョロと水が出ていました。 もちろん、お湯なんて出ません。
寒いから薪ストーブが大活躍。ストーブの横に大きいバケツがあるのは、お風呂用のお湯をストーブの上で沸かして運ぶためです。
トイレはブータン式。和式トイレとほぼ変わりませんが、違う点は水洗トイレではないので、自分で水を汲んで流さないといけないところです。お風呂はトイレの手前で椅子に座り、沸かしたお湯を浴びるスタイルです。昔、住宅に住んでいた時にシャワーがなかったので、浴槽からお湯を組んで洗髪をした時のことを思い出し、懐かしくなりました。
久しぶりで4人で再会し、互いの近況報告をしつつ、Yちゃんの同僚2人とも仲良くおしゃべりをして、楽しいひと時を過ごしました。翌朝はYちゃんの職場訪問をするので、日付が変わる頃には就寝しました。