世界流離日記

『世界流離(さすらい)日記』と読みます。国内外の旅行での喜怒哀楽の経験を中心に投稿していきますのでよろしくお願いします。なお、このブログ上の画像の使用は禁止とさせていただきます。

#134 エジプト文明に触れてみた。(2010.5)

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エジプトの第一印象は最悪でした。2日目で好感度を挽回できるか?

 

 

5月17日 
朝早起きして、Gのせいで昨夜あきらめたシャワーを浴び、ツアーへ参加しました。 なお、夜中のうちにGはいなくなっていて一安心です。

 

 

日本語ツアーなのに参加者はまさかの私だけだったため、現地の日本語ガイドさん、ドライバー、私の3人でツアー開始。シニアの団体とかと一緒だと思ったのになー。

 

 
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ギザのピラミッド群の入場料が£60≒1200円。結構します。で、ピラミッド内部に入るにはさらに追加料金を払わなければなりません。

 

 

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クフ王のピラミッドは、他のピラミッドと違い、入場制限(先着150人)があるため、開場時間の8:00ちょっと前にチケット売場に並びました。そしたら一番乗り♪なお、2010年当時の入場料は£100(ポンド)≒2000円でした。

 


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1番にゲートに入り、写真を撮りまくりました。昨日、エジプト人の「洗礼」を受け、エジプトが嫌いになっていたし、写真などで何度も見てきた光景なのに、ピラミッドを目の当たりにするとやはり圧倒&魅了されてしまいました。私と同じくらいの高さの無数の石を、クレーンもない時代にどうやって積み上げたんだろうなぁ。なお、クフ王のピラミッドだけで2.5tの石灰岩が230万個ほど積んであるようです。一つ一つの石が大きいため、入場するのも結構一苦労です。笑

 

 

ピラミッドの内部は暗くて冷たく、梯子を渡って斜めに上っていく感じでした。で、クフ王の棺があった所に行き、戻って来る感じでした。棺の周りで怪しい宗教集団が謎の儀式をしていてやや怖かったです。で、彼らが十字架を抱えながら次々と棺の跡地に横たわっていくので、私も真似っこしてみました。霊感のない私は何も感じることができませんでしたが。笑

 


そんな感じで、中に入っても見所らしき所はほとんどありませんでしたが、ピラミッドの内部に入れただけで満足です。

 

 

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なお、帽子をかぶっている風のカウラー王のピラミッドは£25=500円と、クフ王の4分の1の値段で内部に入ることができるようです。ちなみに、カウラー王はクフ王の息子。安い日本語ツアーでは、カウラー王の内部見学のみの場合が結構多かったので、パンフレット等で要確認してくださいね。私はカウラー王の方には入ってないので比較できませんが、行くなら是非入場制限のあるクフ王へ!笑

 

 

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なお、クフ王(右)<カウラー王(左)のように見えますが、実際にはクフ王(138.75m)>カウラー王(136.4m)です。傾斜の関係からか、錯覚します。

 

 

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なお、メンカウラー王のピラミッドは当時閉鎖されていました。65mしかないので、他の2つと比べるとかなり小さいです。メンカウラー王はカウラー王の息子らしい。マトリョーシカのように、ピラミッドの大きさが代々小さくなっていきます。笑

 

 

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その後、スフィンクスへ。改めて見ると、有名なこの構図は、カウラー王のピラミッドだったんですねー。

 

 

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遥か昔はスフィンクスに着色が施されていたらしいのですが、今は風化のためほとんど残っていません。でも、よーく見ると顔に跡が残っています。ガイドさんが色々な写真ポーズを知っているため、スフィンクスとチューしたり、されたりする写真を撮りました。 

 


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あ、噂通り、スフィンクスの視線の先には、ケンタッキーフライドチキンがありましたよ。その名も、ケンタッキー・フライド・チキンのスフィンクス店。笑

 

 

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なお、ギザのピラミッド群ではラクダに乗ることができます。私はやりませんでしたが、1980年代に私の祖父母がラクダに乗っている写真が実家にあります。笑 

 

 

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景色や砂の色の美しさならモロッコのメルズーガ砂漠の方がオススメです。

 

話はエジプトに戻り、ギザの3大ピラミッドはこんな感じですが、エジプトには90基ものピラミッドがあり、ツアーによってはピラミッド10基ほどを巡るツアーなどもありました。まぁ、私は3大ピラミッドが見られただけで大満足なので、次の観光地に移動します。笑

 

 

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移動中に、食用のラクダが車で輸送されている様子に遭遇。何だか切ない。

 

 

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その後は、考古学博物館へ行きました。ここは古代エジプトの貴重な遺産が収蔵されています。有名どころでは、やはりツタンカーメンの黄金マスクですかね。入場料は£50≒1000円ですが、ミイラ室に入るには£100が追加でかかります。また、残念ながら写真撮影は禁止されているので注意です。ツタンカーメンのマスクとか、装飾品とか、お棺とか、本当に綺麗で魅了されたため、思わずパンフレットを買っちゃいました。一見の価値ありです。

 

 

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その後、イスラーム地区へ。ムハンマド・アリ・モスクのランプが可愛らしかったです。

 

 

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最後にハン・ハリーリで買い物。エジプトのマーケットには値段がないため交渉が必須なのですが、当時の私はうまく値切れず、ガイドブックに書かれている相場よりもかなり高い値段を言われました。やはり日本人は高く請求されますよね…。

 

 

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この黄金のペンは10本まとめ買いしたため、1本£1≒20円で買えました♪



その後ホテルへ戻り、ツアーは終了しました。ホテル近くにあるガイドさんオススメのコシャリの店に行き、夕食を食べることにしました。

 


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コシャリとは…。

上段…濃い味の豆入りミートソース(フライドオニオン載せ)

中段…スパゲティを細かく刻んだみたいな麺

下段…ごはん

を混ぜながら食べるエジプトの伝統食です。

 


まぁ、おいしいけど、ちょっと濃いですね。値段は£3≒60円也。やすっ!
前日のガンバリマクリ(エビフライ)の30分の1の値段です!

 

1人でコシャっていると、かなりじろじろ見られ、またしても『写真撮ろうか?』って色々な男性に言われました。行く末はわかってる(=チップ請求)ので断固拒否。かなりしつこかったですが。イスラム圏では、女性の一人行動はあまりないらしく、ましてや地元食堂に外人女性が一人でいるなんて…って感じのようです。これがインドだと、「俺の写真を撮ってくれ!」「彼も撮ってくれないか?」と写真祭りになるんですけどね。笑

 

 

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店を出るとホテルまでわずか数百メートルの距離なのに、タクシーやら物請いやらが次々に寄ってきて、ようやく部屋に戻れました。

 

 

で、そこで発見してしまいました。Gを…。しかも2匹…。増えてる。涙

 

 

騒音は相変わらずすごいし、どこが4ツ星ホテルだ!!半泣き状態で、奴らと戦ったけど逃げられ(ちなみに、Gと戦ったのはこの時が人生初)、ビクビクしながらもシャワーを浴びたら、直後に停電。20~30分は停電し、懐中電灯を夜な夜な照らす羽目に…。

 

 

相変わらずクラクションが激しい中就寝。クーラーを付けないと暑いけど、時間が経つと寒いし、でもタイマーないしで、何から何までデ〇タピラミッドホテル最悪。

 

 

…と、2010年当時は思いましたが、電気が安定して供給されていること、騒音が少ないこと、物の値段が決まっていること、チップで親切を買わないこと…など、逆に言えば日本の良さを改めて知るいいきっかけになったのはこのエジプト旅行かもしれません。そして、その1年半後にインドに行き、日本の常識が全く通用しない面白さを知ります。笑

 

 

そう、せっかく海外に行くんだから、日本と同じじゃつまらない。私が海外のリゾート地に全く興味を示さないのは、不便や文化の違いを感じながら旅行を楽しみたいからなんだろうなぁ。だから、当時は嫌で嫌で仕方なかったエジプトも、インドを経験した今なら楽しく廻れるような気がします。笑

#133 エジプトでカラマリマクられてみた。(2010.5)

トルコ旅行の続きです。トルコ旅行についてはコチラをご覧ください。↓

 









 

2010年5月16日

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イスタンブールのアタチュルク空港からカイロへ向かいました。機内放送で、気温43℃と聞いて私を含め乗客一同愕然としました。まぁ、実際には空港から即チャーター車で移動だったので、あまり暑さを感じませんでしたが。

 

 

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空港が既に砂漠の国っぽくなってました。

 

 

この中東旅行ではトルコ→エジプト(今、ココ)→マルタ→チュニジア→モロッコUAEを1か月で廻ったのですが、要領よく廻りたかったのと、中東一人旅に若干の不安を感じていた(当時はヨーロッパ中心であまり途上国を訪問していなかった)ため、移動は主に飛行機を使い、現地ツアーを予め申し込みました。まぁ、トルコでは色々あって旅程が変わりましたが(#123参照)、これもいい思い出。退職したばかりなので、退職金を握って贅沢に廻ってきたのです。

 



という感じなので、空港で冷房のガンガンに効いた送迎車に乗り、カイロ市内に向かいました。宿泊ホテルはピラミッドが見える4ツ星ホテルとのこと。

 


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高速を降りて、いよいよホテル周辺かと思ったら、いきなり未舗装の砂の道になりました。砂埃もすごいのですが、ボコボコ道でびっくり。砂漠の国に来たんだなぁと実感しました。そして、ピラミッドも砂漠の中にそびえ立って…。

 

 


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と思ったら、普通に街中にあるんですね。笑

 

 

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近くで見るピラミッドはやはり迫力がありました。 既に夕方だったので、ピラミッドが光に照らされるという、光と音のショーにタクシーで向かいました。

 


タクシードライバー『ショーを安く見える方法を知っているぜ』と教えてくれたのが、単に近くのレストランから眺めるというものでした。笑

 

 

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それくらい、私でもわかりますがね。笑

 

 

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で、開始時刻の20:00になり、いつ始まるかと意気込んだものの、なかなか始まらず…。マンゴージュースだけで時間をつぶすのも限界が…。

 


40分ほど経過したら、ピラミッドがようやく光り始めました。英語放送の時間のはずが、ドイツ語放送なので、何言ってるかさっぱり?? でした。会場に行って見なくてよかったです。たぶん、ピラミッドの歴史とかを話していたんじゃないかなー、と。

 

 

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で、この光と音のショーですが、香港の夜のようなショーを想定していったら…超ショボかったです。うん、感想はそれだけです。笑

 

 

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で、同じタクシーでカイロタワーへ行きました。別にタワーに興味はさほどないのですが、ドライバーに薦められたので行ってみただけです。

 


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降りたところに馬車がいたので写真を撮ってたら、馬車の持ち主に『馬車に乗った写真を撮るよ。ノープロブレム、ノーマネー!』って言われました。しかし、写真を撮った後、チップを要求されました。仕方ないので小銭を渡したら、タクシードライバーに少なすぎるって言われ、半ギレ。こいつら、グルだな!

 


気分不快なままタワーへ行き、エレベーターで頂上まで行きました。ここでも同じことが。 スタッフが写真を撮ってくれるって言ったからお願いしたら『チップくれ』だって。ますます不快になりました。スタッフだから大丈夫だろうと、一瞬でも信用した私がバカだったわ。しかも、金をとるくせにブレブレだったし。

 

 
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ちなみに、カイロタワーの屋上は綺麗ですが、わざわざ高いお金を払ってまで見に行く程でもありません。いわゆる、タワーからのよくある眺めです。外に出て景色を見る感じになるのでとにかく寒いです。そう、砂漠の国の夜は冷えるのです。



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夕食はエジプト料理屋へ連れて行ってもらいました。ガンバリマクリを注文。ちなみに、アラビア語でエビフライのことです。ガンバリ=エビ、マクリ=フライなのです。姉妹品としては、イカフライはカラマリマクリ。日本人には覚えやすいですね。このガンバリマクリ、エジプト料理の中で一番おいしかったです。量が多かったし、90ポンド(1800円)もして高かったですが、食べる価値ありです。

 


ホテルに戻ったら、タクシードライバーに高い料金を請求されました。 馬車男・タワー男・タクシー男の3英傑のせいで、一気にエジプトのイメージが悪くなりました。

 

 

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4つ星ホテル、デルタピラミッドホテルの入り口には警察官がいて、セキュリティガード付きでした。

 

 

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そんな4つ星ホテルの浴室には小さいGが…。 Gはセキュリティチェックで一番通したらいけないやつじゃないか。警察官、仕事しろっ!!笑

 

 

そんな感じなので風呂にも入れずにエジプト1日目は終了しました。

 


更に…。寝ようとしてもクラクションがうるさくて寝られなーい!

 


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こんな交通標識もある位、エジプト人はすぐにクラクションを鳴らすから、合奏のごとくまさに毎秒どっかで鳴ってるのです。毎秒ですよ、毎秒!!窓を閉めていても、テレビを付けていても、それを越えて聞こえるてくるのです…。ドレミドレミ♪とか、音が凝っているのもまた腹立たしい。

※この時は衝撃でしたが、1年半後、インドで同じ思いをします。そして、気にならなくなります。笑

 

早速エジプト初日で濃いキャラのエジプト人たちにカラマリマクリ、彼らと戦うのにガンバリマクった一日でした。もう、イヤ。早く抜けたい。 

#132 東日本大震災を風化させないために④ (2012.8)

2012.8.2

被災地旅行4日目、つまり最終日です。

 

 

 

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松島に宿泊した翌朝、初日に丸長寿司の若大将に薦められた奥松島に行ってきました。ここは霊観っていう絶景ポイントで、山に登って撮りました。

 

  

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で、塩竃に再び寄り、同じく薦められた「塩釜水産物仲卸市場」に行ってきました。ここでは、買ったばかりの好きなお刺身をごはん+味噌汁で食べられると聞いていたので、朝食を食べました。

 

 

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お刺身を選ぶと、その場で捌いてくれます。私が買ったのはマグロとホタテなんですが、本当に新鮮で甘くておいしかったです!

 

 

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この市場はプロも買いに来るらしく、観光客とプロが同じ場所で買うことができる貴重な場所らしいですよ。実家へのお土産として、マグロの切り身2種類を送りました。翌日には新鮮なままで届きました。

 

 

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三陸の珍味、ホヤも売られていました。私は食べなかったけど、酒のつまみにいいそうですよ。

 


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その後は大崎市三本木のひまわりの丘へ。ここでは、毎年8月にひまわり祭が行われ、辺り一面がひまわりに包まれます。その面積は全国二位なんだとか。

 

 
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ひまわりアイスを食べたところ、キャラメルコーティングされた種が入ってておいしかったです。

 


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私、ひまわりの花が大好きなんです。見ているだけで元気になれます。

 

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途中でスーパー銭湯に寄りつつ仙台へ戻りました。遅いランチに冷やし中華を食べました。冷やし中華発祥の地は仙台なんですよ。もっと言えば、龍亭が元祖なのだとか…。一年中食べられてるそうです。食材を自分で載せるスタイルは高級感が漂い、上品な味でおいしかったです!

 

 

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で、レンタカーを返し(走行距離484キロ)、仙台駅周辺をぷらぷらしてから、地下街でお土産を買いました。

 

 

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塩竃の丸長寿司の 若大将に薦められた、喜久福のずんだ餅もゲット。帰りのバスの中で食べました。生クリームとずんだの相性抜群でした。

 


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夕食は利久で念願の牛たん。普段食べてる薄っぺらい牛たんは最早食べられないって位、分厚い牛たんは食感も味も絶品でした。仙台牛たんは、麦飯とテールスープがお決まりのようです。

 

 

その後仙台駅21:00発の夜行バスに乗り、名古屋に戻りました。

 


色々感じて、泣いて笑った5日間でしたが、東北、特に被災地に行って本当によかったです。観光支援をするはずが、逆に地元の方から元気や親切を頂きました。普段はあまり国内旅行をしない私ですが、海外旅行1回分以上のお金を被災地で使いました。少しでも被災地の支援になっていたら幸いです。あれから7年経った今、復興は進んでいるのでしょうか。私は、被災地が復興していることを楽しみに、必ずまた訪れたいと思います。

#131 東日本大震災を風化させないために③ (2012.8)

2012.8.1

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朝、ホテル主催の震災語り部ツアーに参加しました。南三陸町の震災当時の被害(人口17766人中、555人死亡、3100人行方不明)と現状、それからテレビで報道された場所にも行きました。

 

 

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皆さんが一番記憶にあるのは、防災対策庁舎(高さ12メートル)だと思います。津波の避難所になっていたため、近所の住民が避難してきたものの、最後まで『逃げろ、逃げろ、高台に逃げろ』と繰り返しアナウンスしていた24歳の女性をはじめ、42人中32人が亡くなった場所です。避難先であったから、多くの住民が逃げてきたのになんと屋根まで津波がやって来たそうです。ここを復興のモニュメントとして残したいという町の思いと、それに反対する遺族との意見が異なり、2012年9月には取り壊し予定だそう…。

 

 

しかし、それから話し合いが何度か行われ、現在では2031年まで宮城県が管理保存することになったそうです。

南三陸町防災対策庁舎 - Wikipedia

 

 

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三陸の他の3階建ての建物を見ても、津波の水位が記録されていました。こんな高さまで波が来たなんて…。

 

 
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戸倉小学校は震災前日の余震後に職員会議をしたこともあり、避難先を裏山(消防車の上の神社)に決定したそうです。その結果、津波が来る前に裏山に避難した結果、早退者1名以外の児童全員が無事だったそうです。ちなみに、津波は消防車の場所までは到達したらしく、震災当時の場所のままで消防車は止まっているそうです。

 

 

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ホテル観洋は高台に位置しているため、3階までが津波の被害に遭っただけで済んだそうです。宿泊者に加え、地元の人の避難先としても開放したとのことですが、物資不足に直面し、大変苦労されたそうです。

 

 

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他にも、老人ホームの寝たきりの方を近くの高校のサッカー部員がおぶって避難させた話も聞きました。私の知らない話も多数あったので、本当に貴重な話が聞けました。

 

 

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被災した夜、電気がなくて真っ暗な中、夜空の星と翌朝の日の出が本当に美しかったそうです。この絵はホテルに飾ってありました。

 

 

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南三陸町にあるモアイ像。2体あって、少し被災していますが、チリ地震以降の友好の証だそうです。

 

 
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その後、石巻市に向けて移動を開始しました。しばらくして、北上川の上の橋を渡ると、左手に見覚えのある丸い建物がありました。よく見ると慰霊碑もある…。そう、そこにあったのが、大川小学校でした。偶然、横を通ったので、立ち寄りました。

 

 
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大川小学校は、震災により児童108人中74人が死亡(うち、4人は行方不明)、職員も13人中8人が亡くなっています。裏山の足場が悪く、川の堤防まで避難したところ、津波が堤防を越えて浸水し、大多数の方が被害に遭われました。大川小は北上川のすぐ横に位置しているのですが、海からは距離があるため、まさか大津波が来るという予想はされておらず、近所の住民の避難先にもなってたそうです。

 


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教師の指示を聞かずに裏山に逃げた子が助かり、指示を聞いた子が助からなかった…。当時、私も小学校で勤務していたので、他人事とは思えませんでした。

 

 

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避難訓練を何度もしていても「想定外」のことは起こり得ます。大川小の件については「マニュアル通りの避難をしなかったら助かっていた」という非難も理解できますし、「『未曽有の震災』だったからこそ予測できなかった」という、学校側の言い分もよくわかります。

 

 

私がその場にいたら…、自分の児童たちが被害に遭ったら…って色々考えると、涙が止まりませんでした。

 


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校舎はあの日のまま時が止まっていて、誰も何もない床や壁の抜けた教室を見るとやるせない気持ちになりました。どうか安らかに。

 

 

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それから、今日の宿のある松島まで移動し、車を置いてから電車で再び石巻へ行きました。夜に花火大会があるからです。

 

 

石巻では、15000発の花火大会が毎年催されていました。震災の起きた2011年は中止され、2012年は5000発に縮小されましたが2年ぶりに開催されることになっています。そのことを何かで知った私は、それに合わせて石巻に来ることにしたのです、

 

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なお、2012年当時の路線図がこちらです。駅で切符を買いましたが、松島海岸駅~矢本駅まではバスで輸送代行が行われていました。

 

 

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漫画家、石ノ森章太郎さんの出身地ということで、仮面ライダーロボタン、サイボーグなどの像が並んでました。

 


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マンガ館もありますが、当時は休業中でした。

  

 
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石巻の中心部は、歩道橋の半分くらいの高さまで浸水したようですが、復興が進んでいるからか、南三陸陸前高田のような光景はありませんでした。

 

 

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花火会場付近では昼に催し物が行われていました。中学生の子どもたちによるソーラン節では恐らく中古の大漁旗で作った衣装で踊ってる姿に思わず涙。

 

 

会場では様々なB級グルメの屋台があったので、食べ歩きをしました。

 

 

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カキクリームバーガーと牛タンつくね。

 

 

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石巻スペシャル。ブルーハワイ+練乳+イチゴ+マンゴー

 

 

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石巻やきそばも堪能。どれもおいしかったです。

 

 

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復興に関するモニュメントがちらほらありました。 

 


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諏訪湖や長岡からの花火の提供もあり、本当に美しかったです。

 

 
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特に、中越地震から復興した長岡からのフェニックス花火はエネルギー溢れるものでした。「私たちも復興を遂げたので、あなたたちも絶対にあきらめないで下さい」っていう長岡からのメッセージに涙。

 

 

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地元の方々が笑顔で空を見上げる姿が見られてよかったです。 2年ぶりの開催。5000発の中に、石巻の方々の魂を感じ、私も元気をもらえました。

 

 

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花火終了後、電車とバスで松島に戻りました。3日目の宿は「ホテル絶景の館」です。

 

 

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3日間の移動距離がこちらです。翌日はいよいよ最終日です。

#130 東日本大震災を風化させないために② (2012.7)

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2日目は被災地をひたすら北上しました。本当は宮古まで行きたかったのですが、大船渡まで行って南三陸まで戻って来ました。 

 

 

2012.7.31

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朝ホテルを出て、おさかな市場に行きました。そこで干物などのお土産を購入。入口には震災当時の様子が写真で掲載されていました。

 


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今日はまず気仙沼から陸前高田に移動。途中で大きい船が陸にあって、津波で流されてきたんだと実感しました。震災の時に気仙沼は造船所でひどい火災があったはず…。その形跡はありませんでしたが、間取りが何となく残る更地がひたすら続く道はありました。

  

 

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途中で復幸マルシェにも寄りました。仮設住宅の1階でお土産物店があったからです。 

 

 

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山を越えるとすぐ岩手県陸前高田市です。

 

 

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陸前高田に来てまずびっくりしたのが気仙沼以上の壊滅的被害です。気仙沼でも十分大きい規模でしたが、骨組みが残る建物が結構ありました。でも、陸前高田はひたすら更地で、骨組みはほんとポツポツあるだけでした。震災当時の速報で、『陸前高田は壊滅状態』って出ていた通り、まさに津波で何もかもを奪われた町のように見えました。

 

 

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土の山。陸前高田では、これがどこまでも続いていたのです。

 

 

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更地、土以外には瓦礫の山がたくさんありました。震災から一年半経過したのに、なんで?って位、そこら中に積まれてました。もちろん、復興は進んでるとは思いますが、集められた瓦礫の山があちこちに定期的に積まれてる姿は、宮城にはあまりない光景でした。

 

 

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頑丈そうな建物もことごとく大津波で破壊されていました。

  


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海岸沿いから離れた場所にある、津波の被害に遭わなかった綺麗な小学校の校庭には仮設住宅がありました。

 


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そんな光景を見ながら運転をし、橋を渡ると、たった一本の松が…。そう、『奇跡の一本松』です。行き方がわからず困ってたら、周りの人が教えてくれました。

 

 

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言われた通りに向かうと、『立入禁止』のロープのはるか先に松はあり、その手前ではショベルカーが土をならしてました。

 

 

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一本松付近で見かけた、仮設の防潮壁の中身はがれきです。

 

 

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建物に貼られていた「捜索終了」の紙。

 

 

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一本松のすぐ横を流れる気仙川は湿地みたいになっていて、松の根っこだけが残っていました。川沿いを歩いていたら家族連れに会い、松のもっと近くに行けることを知りました。

 

 

彼らは北上市から来たらしく、津波前の陸前高田の様子などを教えて下さいました。『奇跡の一本松』は70000本あった松の中で、かなり大きいものだったことと、その目の前にキャンプ施設があったからこの木だけ被害を免れたのではとのこと。他の松は幹が水面からちょっと覗いてる程度で、一本松以外は沼地みたいになってました。

 

 

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しかし、そんな一本松自体もかなりダメージを負っていて、ぐるぐる巻かれている状態。その年のお盆には撤去ってニュースを聞いてましたが、彼ら曰く近々再生にむけての作業が始まるとのこと。実際、枯死した一本松の大規模な復活作業が行われ、2018年現在でも陸前高田の復興のシンボルとなっているようです。ちょっと安心しました。

奇跡の一本松 - Wikipedia

 

 

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途中で見かけた歩道にあった鉄製のポールがぺしゃんこになってしまうほどの勢いだった、あの時の大津波

 

 

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その勢いに負けずに耐えた一本松。復興、そして風化防止のシンボルとして、これからも陸前高田の皆さんを元気づけてほしいと思います。私も一本松を見て、元気づけられました。

 

 

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それから、復興グッズを買うためにかなり内陸に向かったのですが、瓦礫の山はまだまだ続きました。また、仮設住宅や大型バスで店を構えてる飲食店もたくさんありました。当時は『被災地では同じ建物を同じ場所に2年間は作ってはいけない』という法律があるらしく、コンビニもこの仮設スタイルでした。 

 

 

 

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早速レンタカーのキーにつけてみました。RIKUTAKAと書かれているものは震災時に壊れたブイを使って作られているそうです。紐も色が気に入って買いました。

 

 

 

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めかぶラーメンを食べたら絶品でした!以来、めかぶにハマっています。

 

 

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陸前高田のあとは大船渡へ行きました。本当は宮古まで行くつもりが、思いの外リアス式海岸の道路に苦戦してしまい、南三陸に夕方に戻ることを考えてあきらめました。登坂かつ急カーブが続き、スピードがただでさえ出しにくい軽自動車では後ろに小さな渋滞を作ってしまうことが多々ありました。(ほとんどが片側一車線道路のため)

 


f:id:mura306:20180310105306j:imageこういう工事、リアス海岸線沿いでよくやってました。被災地はやたらと道が綺麗で新しかったです。ということは、「それほどの甚大な被害があって、修復工事をした」ということを意味しています。

 

 

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地震で隆起したアスファルトも多数見られました。被災地はがれき撤去だけでなく、地面の修復工事にも追われていました。

 

 

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大船渡も被害は甚大だったようで、津波で湾曲した橋がありました。

 

 

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三陸鉄道南リアス線の駅、恋し浜駅のホームが縁結びで有名な場所ということで、陸前高田から一時間かけて向かいました。

 


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恋し浜駅は、元々は小石浜駅だったのを地域活性化のために改名したそうです。ホームには、貝殻に書かれた願いがいっぱいありました。

 


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しかし、震災後は縁結びよりも、東北復興のお願い事が多く、私のもその一枚になりました。(これは私のものではないですが、とても上手に描いてあるので掲載しました)

 

 

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当時は南リアス線が運航していませんでしたが、2013年には全線復旧したそうです。NHKの朝ドラ、「あまちゃん」でも三陸鉄道が舞台になっていましたね。 

 

 
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越喜来小学校の前に津波に関するギャラリーがあったので立ち寄ると、震災当時の写真がいっぱい貼られてました。黒い波が来て、少しずつ町を飲み込み、押しては引いてを繰り返すうちに破壊されていく町…。心が痛みました。

 

 

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帰り道に陸前高田の横を通ったら、今まで我慢してきた悲しみやぶつけようのない怒りがこみあげてきて、車の中で一人泣いてしまいました。カーナビの嘘つき!地震のバカ!津波のバカ!図書館もガソリンスタンドも海水浴場もないじゃないか。自分で希望して被災地にやってきたのに、私は被災したわけでもないのに、被災者の方はもっとつらい思いを抱えていらっしゃるのに、精神的につらくなりました。

 


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その時に、瓦礫の山に雑草がたくさん生えていることに気付きました。もちろん、そのことには前から気付いていましたが、雑草のたくましさに気付いたのです。『葉っぱのフレディ』の話ではないですが、潮にさらされた劣悪な環境でも植物の生命のバトンは続いているのです。軽々しく言えるものではないですが、被災地の皆さんにも雑草たちに負けない強い気持ちでいてほしいと思います。もちろん、私たちが震災のことを忘れず、引き続き支援をしていかないといけないですね。

 

 

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夜18:00頃に南三陸のホテル、観洋に到着。ここを選んだ理由は「語り部ツアー」が行われていたからです。

 

 

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2日で328キロ走りました。

 

 

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ホテルのロビーに震災当時の写真が飾られていました。こちらは南三陸町

 

 

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こちらは気仙沼

 

 

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翌日に知ることになるのですが、ホテル観洋は高台に位置するホテルのため、津波の被害をほとんど受けなかっただけでなく、避難所として部屋を開放したそうです。

 

 

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夕食も豪華でした。ウニって苦手でしたが、ここのウニは新鮮でおいしかった! 

 

 

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翌日は語り部ツアーに参加したので、そのことについて書こうと思います。

#129 東日本大震災を風化させないために① (2012.7)

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東日本大震災から7年の月日が経過しました。震災直後と比べて、自分自身もそして世間も震災について考える時が少なくなったように思います。今でも震災の被害に遭われた方が苦労をされているはずであり、決して風化させてはいけません。今回は震災後に一人で行った東北旅行について自分なりに書きたいと思います。今はもっと復興が進んでいることを願って…。

 

 

私は震災から1年以上経った夏に、1人で被災地を訪れました。当時はボランティアで東北に行く人も多い時でしたが、私が選んだのはボランティアではなく、『被災地でお金を使う』観光支援でした。非難を承知で言うと、被災地の現状が見たかったし、そこから何か感じるものがあると思ったからです。実際、色々考えさせられ、行ってよかったと思っています。

 

 

当時のガイドブックには被災地周辺の情報はほんの数ページしか掲載されていませんでした。震災前のガイドブックを見て、追加情報を手に入れましたが、結局営業していない店がほとんどでした。だからこそ、当時の最新版では情報が少なかったんだなー、と現地で思い知らされました。あるはずのお店が無くなったり、閉店している…。悲しいけど、これが現実なんだな…、と。

 

 

2012.7.30

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7月29日の夜に名古屋発の夜行バスに乗り、翌朝7時半に仙台に到着しました。仙台駅近くでレンタカーを予約していたので、早速取りに行きました。普段軽自動車に乗っているので、今回も軽自動車を選択しましたが、後ほど、それが失敗だったと知ります。

 


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4日間で484キロを走りました。

 

 
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仙台で伊達政宗像を拝んだ後、お寿司を食べに塩竃へ行きました。

 

 

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塩竃はマグロの打ち上げ量日本一の街なので、新鮮なマグロが食べられるのです。この丸長寿司さん、実はガイドブックを見て私が行こうとしていたお寿司屋さんのつもりで入ったら違う寿司店だったという不思議な縁で入ったお店でしたが、ここの大将たちにとても親切にしていただきました。

 

 

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開店してすぐの時間帯だったのでお客さんは私1人だけ。カウンターに座って、回らないお寿司を1人で堪能しました。まぐろづくし8貫を注文したら、色々なまぐろの部位が色々な調理方法で食べられました。今まで食べたまぐろと比べて、やわらかくてあたたかくて(冷蔵しなくても済む距離に市場がある証拠だそう)、新鮮で絶品でした!

 

 

丸長寿司の若大将は本当に気さくな方で、私が観光で被災地を廻ると聞いたら、震災当時のことを教えて下さりました。仙台ではほとんど感じなかった震災の爪痕が、塩竃には残ってました。湾があるから、比較的被害は軽かったそうですが、それでも40人の方が亡くなり、お寿司屋さんにも170センチの弱い津波が押し寄せ、1週間引かなかったそうです。

 

 

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実際、店の近くには津波の跡が残ってました。

 

 

ガイドブックの情報があまりにも乏しいので困っていることを話すと、北上するには高速道路を使ったほうがいいことと、当時の高速無料区間の情報などの被災地情報を大将親子からかなりもらい、松島へ向かいました。帰宅後、このお寿司屋さんにお礼の手紙と私の地元土産を送ったところ、お礼のハガキを頂き、温かい気持ちになりました。偶然の縁に感謝。また再訪したいです。

 

 

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松島は私にとって、日本三景のうちの一景目です。訪れて初めて、日本三景に選ばれる意味がわかりました。

 


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ボートに乗ったら、ひたすらカモメがついてきます。他の人がこぼした餌(かっぱえびせん)でカモメにあげてみたけど、彼らはプロカモメなので、一瞬で私の手元から奪っていきました。

 

 

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松島訪問の際は是非「かもめの玉子」をお土産に。本当は岩手県大船渡市のお土産品らしいですけどね。

 

 

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松島のお土産店で飾ってあった「津波こけし」。潮の影響か、白くなっていました。

 

 

f:id:mura306:20180310124427j:plain松島を堪能した後は、今日の最終目的地の気仙沼に向けて出発しました。お寿司屋さんから、三陸自動車道が一部無料だから絶対使った方がいいと言われたので、(高速道路の運転が大の苦手だけど)泣く泣く石巻まで高速走行しました。

 

 

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石巻で下道になったら、震災復興で何回か片側通行になりました。当時、テレビで見た石巻の病院などの横を通り、だんだん被災地に来たことを実感します。

 

 
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それを確実に感じることになったのが南三陸町の海沿いを走った時。新しく山を切り開いて売地してるみたいにひたすら更地が広がってたり、車の瓦礫の山があったり…。

 

 

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来た大津波の高さが、木の色で一目瞭然です・・・。

 


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家の瓦礫はほぼ完全に撤去されてるんだけど、逆にそれが無を強調してました。残ってる建物があっても、それが何なのかもわからない状態。丸長寿司の大将が『被災地はどこも同じ感じですよ』って言ってた意味が本当によくわかりました。そこも更地に雑草が生えていて、人がいないのです。

 

 

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ホテル周辺はナビが示す地図も全然違ってて、あるはずだった線路や信号や番地はありませんでした。

 

 

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私が気仙沼で宿泊したホテル一景閣。当時、震災後営業再開した数少ないホテルで、節水節電でご迷惑を…と書いてありましたが、全く問題なく快適に過ごせました。

 

 

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ホテルの前は工事中でした。

 

 

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でも、逆にないはずの番地がありました。それが、復興屋台村の気仙沼横丁です。仮設住宅を店にしたような場所でした。

 

 
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ちなみに、笹の後ろのポールは、震災当日の津波の高さなんだとか。

 


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私が行ったホルモン屋さんは、みんなホルモンとビールで楽しそうでした。私も気仙沼ホルモンを堪能。小腸もレバーも何でもありです。

 

 

帰りは街灯がほとんどなくて、真っ暗。あいにく曇ってましたが、晴れてたら星が綺麗だろうなぁ。

 

 

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初日の走行距離は156キロでした。

 

 

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被災地一日目で『がんばろう東北(宮城や地域の名バージョンも多くあり)』のような看板を本当にいっぱい見かけました。

 


ほとんどのトラックに「がんばろう」ステッカーが貼ってあったし、地域全体で必死に復興に勤しんでるように思えました。

 

 

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南三陸町では『津波のバカ!でも、がんばっぺ!』って看板も見かけました…。これが地元の人の本音なのだろうけども、自然災害なだけに怒りや悲しみのぶつける先がないのでしょう。

 

 

被災地の現状と被災地の皆さんの天災に対する前向きな姿勢に色々考えさせられた一日でした。

#128 ブルーモスクは朝一番で行くべし。(2010.5)

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イスタンブールにあるスルタンアフメット・ジャーミィ(Sultanahmet Camii)、つまり通称ブルーモスクと呼ばれるモスクです。イスラム国家のため、イスタンブールにはモスクがもちろんたくさんあるのですが、6本のミナレットがあるのはここだけです。次の目的地のエジプトに向かう直前に行ってきました。 

 

 

5月16日
カッパドキアやらイスタンブールまでの12時間、トイレ休憩で1回起きただけで、あとはずーっと爆睡。トルコの長距離バスはかなり快適ですが、バス内のトイレが施錠されていて、使えなかったときは焦りました。

 

 

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イスタンブールに朝8時前に到着。エジプトに向かう飛行機が13時発なので、以前泊まってたホテルに向かったら快く迎えてくれ、荷物を置かせてくれただけでなく、朝食やシャワーを無料で使わせてくれたり、空港へのシャトルバスの手配をしてくれたりしました。感謝!

 

 

なお、カッパドキアで出会ったお姉さまとは、私がエジプトから帰って来てからイスタンブールで会うことになっています。若干時間のロスが否めませんが、エジプトからマルタへの空路が上手く行かなかった関係で一度イスタンブールに戻って来る旅程にしたような気がします。まぁ、そのおかげでお姉さまたちと再会できるのでいいんです。(お姉さまたちはトロイ経由でイスタンブールにゆっくり向かい中)

 

 

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身軽&リフレッシュした私は、ブルーモスクへ向かいました。真っ青な晴天にモスクが映えます。

 

 

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実はモスクに入るのは初体験。内部の美しさに感動しました。

 

 

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私が訪問したのは朝9:00頃。お祈りをしている人がちらほらいらっしゃいました。

 

 

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こちらは女性用のお祈りの間。男女別なのがやはりイスラム社会。

 

 

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ステンドグラスが美しい。少しだけ、イスラム教に触れることができたかな。

 

 

その後グランドバザールに行ったけど、シャッターが閉まってばかり… どうやら、日曜はお休みのようでした…。

 

 

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代わりに宿近くのエジプシャンバザールへ。スパイス、お茶、ロクムなど、何でも手に入ります。

 

 

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そうこうしてたら時間になったので、宿の前の例のロカンタで激ウマチキンスープを再び食べてからホテルに戻ると、すぐに迎えが来て、空港へ行きました。エジプトでも色々あったのでそのことはまたいつか…。

 

 

5月19日

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前日にエジプトから帰国した私は夕方までイスタンブールを観光し、お姉さまたちと再会しました。スマホがそれほど普及していない時代だったのでカッパドキアで集合場所と時間を決めておいたところ、難なく会えました。

 

 

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なお、その時にお姉さまたちから聞いたことなのですが、彼女たちは夕方にブルーモスクを訪れたそう。すると、足の裏の匂いがモスク内に充満していて、とても長居できる状態ではなかったようです。だから、偶然なのですが私が朝一に訪問したのは正解でした。全く臭くなかったですよ。

 

 

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ということでブルーモスクに行くなら朝一がオススメ!空いていたし、のんびり過ごせますよ。

#127 カッパドキアで洞窟ホテルに泊まってみた。(2010.5)

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カッパドキアには洞窟ホテルたるものがあります。正確には、岩を削って洞窟風にしたホテルですが…。カッパドキアのツアーは日本で事前に申し込んでおきました。追加料金を払うと、洞窟ホテルに泊まることができたので、せっかくなのでそちらを宿泊予約しました。
 
 
5月14日
エフェスを出た翌朝、カッパドキアのバスターミナルに到着すると、迎えが既に来ていて、ツアー集合場所のホテルに行き、朝食をとりました。
 

そしたら、聞き慣れた言葉が…。そう、日本人女性2人がいたのです。バイキング形式の朝食をとる時に話し掛けたら、一緒に朝食を食べてくれることになりました。彼女たちは東京から来た人達で、私より少し年上のお姉様たち。2人とも、気さくな方で、すぐ仲良くなれました。
 
 

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それから他の人たちも合流し、バスツアー開始。まずはローズバレーに行き、ハイキングをしました。ガイドブックで見てきた奇岩群がそこにあって、綺麗でした。
 
 

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次はキノコ岩へ。名前の通り、シメジそっくりの岩がかわいかったです!自然にできたものとは思えません。
 
 

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エリンギみたいな形のもありました。
 
 

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あと、ラクダ岩も有名ですね。自然の産物ってすごいなー。


ガイドさんはトルコ人のおじさんで、英語ガイドなんだけど、日本語も話せるため、
私たち日本人にジョークばかり言って来たのが面白かったです!ドライバーは私をいたく気に入ったらしく、『俺の女』扱い。まぁ、どの日本人にも言ってるだろうけどね…(本人は否定してたけど)。
 
 
 

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途中でトルコ陶器の工房に立ち寄りました。食器、タイル、ランプなど、綺麗な装飾が施されたものがたくさん並んでいました。
 
 

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私は国花のチューリップが付いたものを購入。
 
 

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昼ご飯は洞窟レストラン?で。テスティ・ケバブ(Testi Kebabı)は、素焼きの壺で煮込まれたシチュー料理。目の前で壺を割ってくれました。お肉がやわらかくておいしかったです。
 
 

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カッパドキアツアー1日目はそんな感じで終了。洞窟ホテルまで送ってもらいました。
若干僻地にあったような気がしないでもないですが、送迎があったので問題なかったです。
 
 

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部屋の中はこんな感じ。できて間もないからか、とても新しかったです。また、石で作られているので、何となくひんやりとしています。今までのホテルには一切なかった液晶テレビNHK(国際放送だけど)に感動!
 
 
ただ、カーテンがあまりにも薄すぎて、中が丸見えでしたが…。あと、鍵の施錠がとにかくやりにくかったです。笑
 
 

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夕食は少し歩けば店があるらしいけど、トルコ料理にはやや飽きてきたし、外に出るのも億劫だったので日本から持ってきた赤いきつね緑のたぬきを食べました。スーツケースの中でお荷物だったし、今思えば、ティーポットがあったホテルはここだけだったから、食べて正解でした。
 
 
洞窟ホテルカッパドキアならではの名物ホテルだと思います。色々な洞窟ホテルがあるので、予算や立地などで是非検討して下さい。
 
 
 
5月15日
早朝に気球ツアーに1人で参加しました。かなりいい体験ができたので、大満足♫
詳しくはコチラ↓。


 

気球ツアーが終わり、ホテルで朝食をとったら昨日のドライバーが迎えに来てくれ、 昨日同様お姉さま方と合流し、ツアー2日目開始。 

 

 

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しかし、気球ツアーの打ち上げで一口飲んだコイツ↑のせいで…。

 

 

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千鳥足気味の私。ガイドさんがエスコートしてくれました。笑

 

 

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しかし、カッパドキアツアー2日目もハイキングが続きました。まずはレッドバレー。カッパドキアでは歩きやすい靴が必須です。

 

 

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ハトの谷では、ハトの餌が売られていました。イスタンブールでもそうだったけど、ハトに餌をやる人がトルコでは多かったような…?

 

 

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そんなハトの谷で見つけた木。飾られているのは…。

 

 

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ナザール・ボンジュウ(Nazar boncuğu)と呼ばれる、青い目玉の魔除け。災いをはねのけると信じられているそうです。トルコ土産の定番ですね。

 

 

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カッパドキアではこんなお土産も売られていました。今思えば買ってこればよかったなー。

 

 

その後の昼食も、午後ツアーもずっとだるくて、体調最悪。色んな洞窟に入ったのですが、正直よく覚えてません…。シャンパン、恐るべし。一口飲んだだけなのに。涙

 

 

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で、ツアー終了。ガイドさんが、当時建設中の自分のホテルを見せてくれるとのことなので、3人で行くことに。行ってビックリ!めちゃデカい!! てきぱきと指示を出すおじさんの姿はガイドの時のおちゃらけた姿とは全然違い、社長の姿でした。 以来、彼のことを『社長』と呼ぶ私たち。

 

 

さらに、お姉さま達のホテルも社長が経営してることが発覚し、ますますビックリ!
昼間はガイド、夜はホテル経営ってこと?すごいわ!きっと今では洞窟ホテルも繁盛していることでしょう。笑 

 

 

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で、お姉さまたちと3人で夕食に行き、イスタンブールで再会することを決めました。

 

 

ホテルに戻り、ドライバーが私をバスターミナルまで送ってくれることになってるのですが、『ターキッシュナイトに友達と行くから、ホテル出発を10分早めていい?』って。笑

 

 

ターキッシュナイトとは、ベリーダンスショーのことで、綺麗なお姉さまたちが妖艶なダンスを披露して下さるところのようです。昨日は私のことを「俺の女」とか言ってたのにトルコ男性はみんなターキッシュナイトがお好きなようです…。私をバスターミナルに落っことして、ドライバーは彼はターキッシュナイトへと消えていきました。

 

  

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20:00、イスタンブールに向けてバスが出発。30リラ(1800円)って、トルコ国内線で払わされた荷物超過料金と同じじゃん!(←まだ根に持ってるw)

#126 エフェスで遺跡巡りをしてみた。(2010.5)

5月13日
翌朝9時に迎えが来て、エフェス遺跡巡りツアーへ。なお、パムッカレで一緒だったドクター夫妻はいませんが、Sさんはいるので安心です。


 

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イスタンブールで出会ったアリというトルコ人(日本語ペラペラ)が、パムッカレよりもやたらとエフェスを薦めてきました。日本人が熱海温泉よりも登呂遺跡を薦める感覚でしょうか。よくわからん。紀元前7年ごろから作られた、ローマ遺跡で有名な街がエフェスです。

 

アリについてはコチラ↓


 

ここだけの話なので小さい声で言いますが、正直、私は古代遺跡にはそれほど興味がないのです…。あ、しまった、つい大きい声になってしまった!だって、ローマでも見てきたし、石の遺跡をさほど目新しいものとも感じられず…。あ、また大きい声に…。

 

 

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引き続き、小さい声で言いますが、エフェスの見どころと言えば、この遺跡だけなのです。だから、拠点地として来たものの、来たからにはエフェス遺跡に行くしかないのです。笑

 


Sさんも同じ気持ちのようで、ガイドさんがとにかく熱く説明してくれたけど、日中のエフェスはかなり暑くて私たちは完全にうわの空…。というか、私たち以外にも、 ツアーにいたインド人夫妻は、勝手に失踪して、話も聞かずに先にスタスタとゴールしてましたからね。笑

 

 

しかし、エフェスの名誉のためにも、当時の記憶とガイドブックを頼りに、エフェス遺跡について紹介していきます。

 

 

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『ケルスス図書館』2世紀に建てられた図書館。ここがエフェス遺跡の目玉らしいです。

 

 

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『娼館の広告』 世界最古の広告らしい。足の形の左上にあるハートが可愛らしい。当時は図書館から娼館への秘密の通路があったということで、いつの時代も男性は助平なのです。笑

 

 

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『公衆トイレ』実際に座ってみたところ、冷たいし、硬いし、とても踏ん張れそうにありませんでした。あらためて、文明の発展に感謝した瞬間です。笑

 

 

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『オデオン』1500人を収容した小劇場。当時は屋根があり、コンサートや集会が行われていたそうです。

 

 

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ハドリアヌス神殿』メドゥーサに注意。笑

 

 

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『ニケ』勝利の女神ニケ、発見。ナイキの名前の由来となった神様として有名ですね。

 

 

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聖母マリアの家』聖母マリアはエフェスで余生を送ったとされているらしいです。

 

 

遺跡見学はこんな感じでした。その後、バスで2か所の工房に連れていかれました。

 

 

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まずはトルコ絨毯工房。正直、イスタンブールで絨毯屋にはさんざん行ったのですが、ツアーに組み込まれているので、仕方なく話を聞きました。次々と床に並べられていく絨毯を見ながら「誰も買わないのにな…」なんて思っていたら、先ほどツアーを抜け出したインド人夫婦がまさかの一枚お買い上げ。笑 

 

 

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続いて皮工房へ。謎のファッションショーを見学。エフェスに来て、何見てんだかって感じでした。笑

 

 

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夕方に遺跡(&工房見学)ツアーが終了。Sさんはイスタンブールへ、私はカッパドキアへ夜行バスで移動するので、ここでお別れです。またいつか再会できますように。

 

 

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エフェスの遺跡巡りは、ローマやギリシャの遺跡が好きな方にはオススメだと思います。日中は40度近い気温なので、熱中症には気を付けて廻って下さいね。

#125 パムッカレで温泉に入ってみた。(2010.5)

イスタンブールに4日ほど滞在する予定が、トントン拍子でエフェスにいました。まぁ、金で解決です。笑

 

 

なお、エフェス(Efes=トルコ語)なのか、エフェソス(Ephesus=ギリシャ)なのか、地名が二種類あって混乱させられますが、ここではとりあえずエフェスで行きたいと思います。笑

 

 

 5月11日 

トルコのエフェスにいるのに、なぜかPARISホテルにチェックインした私は、夕食を食べに街へ繰り出しました。土地勘が全くないので、ぷらぷら適当に歩いてレストランを探しました。 

 

 

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キノコとチキンのトマト煮、超おいしかった!さすがは、世界三大料理の一つ、トルコ料理。ちなみに、あと2つはフランス料理と中国料理ですよ。トルコはアジアとヨーロッパの折衷料理ってことで選ばれてるとかなんとか。 

 

 

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で、私が味わってたら、何やら視線が…。そう、野良猫たちに囲まれてたのです。気が付けば5匹位の猫が私をじ~っと見てる。パンをまずやったら、見向きもしない。そう、奴らの狙いはチキンのみ。仕方ないからちょっとあげました。

 

 

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こんなに見てこなくても…。他の客は、ラブラドールレトリバーの野良犬がくっついてたから、それよりはましだったかなぁ…。 笑

 

 

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トキの夫婦が巣作りをしていました。

 

 

イスタンブールで組んだ例のツアーは、イスタンブール~(イズミール)~エフェスの交通費と宿泊費のみなので、現地のツアーはエフェスで申し込みました。1日目はパムッカレへの日帰りツアー、翌日はエフェスの遺跡巡りです。確か、宿の近くの旅行会社で申し込んだはず。

 

 

5月12日
本当にツアーが行われるのか、若干不安だったけど、朝からパムッカレツアー開始。バスの中は日本人どころか、アジア人は誰もいない…。と思っていたら、パムッカレ直前で数人が合流して、その中に日本人が3人いました。 家族かと思ったら、ドクター夫妻と一人旅の女性Sさんでした。Sさんとは出身地と腕時計が同じというミラクルで、年齢も近かったので、すぐに仲良くなれました。ドクター氏から、『インドに行くならラッシーには気を付けなさい』と言われ、当時はピンと来ませんでしたが、その数年後、確かに私は汚染ラッシーでゲロリスト&ゲリラ部隊になりました。笑

 

 

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パムッカレは石灰岩でできた温泉が有名で、外を流れる温泉は水着があれば無料で中に入れます。日本の露天風呂を想像して入ったら…超浅かったです。仰向けで、かろうじて胸まで隠れる程度でした…。泥が肌にいいとのことなので、塗りたくりました。笑

 

 

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なお、こちらは「パムッカレ・テルマル」と呼ばれる、有料の遺跡温泉。底にあるのはローマ時代の遺跡らしいです。30リラ(1800円)くらいだったかな。高いと思ってやめてしまいました。笑

 

 

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パムッカレ、確かに真っ白でとても綺麗ですが、とにかく暑かったです。白い地面が余計に反射して熱くさせているような…?

 

 

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そして、ガイドブックにある絶景写真のような風景はなかったです。先ほど確認したら、「パムッカレ がっかり」とかで検索されているようですが、期待しすぎてはいけません。笑

 

 

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と言っても、自然が織りなす真っ白な光景は、見るとやっぱり「おぉー」ってなります。エフェスを通った際は水着持参で是非パムッカレの日帰りツアーに参加してみるといいと思いますよ。