世界流離日記

『世界流離(さすらい)日記』と読みます。海外旅行での喜怒哀楽の経験を中心に投稿していきますのでよろしくお願いします。なお、このブログの無断転載および画像の無断使用は禁止とさせていただきます。

#130 東日本大震災を風化させないために② (2012.7)

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2日目は被災地をひたすら北上しました。本当は宮古まで行きたかったのですが、大船渡まで行って南三陸まで戻って来ました。 

 

 

2012.7.31

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朝ホテルを出て、おさかな市場に行きました。そこで干物などのお土産を購入。入口には震災当時の様子が写真で掲載されていました。

 


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今日はまず気仙沼から陸前高田に移動。途中で大きい船が陸にあって、津波で流されてきたんだと実感しました。震災の時に気仙沼は造船所でひどい火災があったはず…。その形跡はありませんでしたが、間取りが何となく残る更地がひたすら続く道はありました。

  

 

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途中で復幸マルシェにも寄りました。仮設住宅の1階でお土産物店があったからです。 

 

 

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山を越えるとすぐ岩手県陸前高田市です。

 

 

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陸前高田に来てまずびっくりしたのが気仙沼以上の壊滅的被害です。気仙沼でも十分大きい規模でしたが、骨組みが残る建物が結構ありました。でも、陸前高田はひたすら更地で、骨組みはほんとポツポツあるだけでした。震災当時の速報で、『陸前高田は壊滅状態』って出ていた通り、まさに津波で何もかもを奪われた町のように見えました。

 

 

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土の山。陸前高田では、これがどこまでも続いていたのです。

 

 

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更地、土以外には瓦礫の山がたくさんありました。震災から一年半経過したのに、なんで?って位、そこら中に積まれてました。もちろん、復興は進んでるとは思いますが、集められた瓦礫の山があちこちに定期的に積まれてる姿は、宮城にはあまりない光景でした。

 

 

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頑丈そうな建物もことごとく大津波で破壊されていました。

  


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海岸沿いから離れた場所にある、津波の被害に遭わなかった綺麗な小学校の校庭には仮設住宅がありました。

 


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そんな光景を見ながら運転をし、橋を渡ると、たった一本の松が…。そう、『奇跡の一本松』です。行き方がわからず困ってたら、周りの人が教えてくれました。

 

 

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言われた通りに向かうと、『立入禁止』のロープのはるか先に松はあり、その手前ではショベルカーが土をならしてました。

 

 

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一本松付近で見かけた、仮設の防潮壁の中身はがれきです。

 

 

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建物に貼られていた「捜索終了」の紙。

 

 

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一本松のすぐ横を流れる気仙川は湿地みたいになっていて、松の根っこだけが残っていました。川沿いを歩いていたら家族連れに会い、松のもっと近くに行けることを知りました。

 

 

彼らは北上市から来たらしく、津波前の陸前高田の様子などを教えて下さいました。『奇跡の一本松』は70000本あった松の中で、かなり大きいものだったことと、その目の前にキャンプ施設があったからこの木だけ被害を免れたのではとのこと。他の松は幹が水面からちょっと覗いてる程度で、一本松以外は沼地みたいになってました。

 

 

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しかし、そんな一本松自体もかなりダメージを負っていて、ぐるぐる巻かれている状態。その年のお盆には撤去ってニュースを聞いてましたが、彼ら曰く近々再生にむけての作業が始まるとのこと。実際、枯死した一本松の大規模な復活作業が行われ、2018年現在でも陸前高田の復興のシンボルとなっているようです。ちょっと安心しました。

奇跡の一本松 - Wikipedia

 

 

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途中で見かけた歩道にあった鉄製のポールがぺしゃんこになってしまうほどの勢いだった、あの時の大津波

 

 

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その勢いに負けずに耐えた一本松。復興、そして風化防止のシンボルとして、これからも陸前高田の皆さんを元気づけてほしいと思います。私も一本松を見て、元気づけられました。

 

 

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それから、復興グッズを買うためにかなり内陸に向かったのですが、瓦礫の山はまだまだ続きました。また、仮設住宅や大型バスで店を構えてる飲食店もたくさんありました。当時は『被災地では同じ建物を同じ場所に2年間は作ってはいけない』という法律があるらしく、コンビニもこの仮設スタイルでした。 

 

 

 

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早速レンタカーのキーにつけてみました。RIKUTAKAと書かれているものは震災時に壊れたブイを使って作られているそうです。紐も色が気に入って買いました。

 

 

 

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めかぶラーメンを食べたら絶品でした!以来、めかぶにハマっています。

 

 

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陸前高田のあとは大船渡へ行きました。本当は宮古まで行くつもりが、思いの外リアス式海岸の道路に苦戦してしまい、南三陸に夕方に戻ることを考えてあきらめました。登坂かつ急カーブが続き、スピードがただでさえ出しにくい軽自動車では後ろに小さな渋滞を作ってしまうことが多々ありました。(ほとんどが片側一車線道路のため)

 


f:id:mura306:20180310105306j:imageこういう工事、リアス海岸線沿いでよくやってました。被災地はやたらと道が綺麗で新しかったです。ということは、「それほどの甚大な被害があって、修復工事をした」ということを意味しています。

 

 

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地震で隆起したアスファルトも多数見られました。被災地はがれき撤去だけでなく、地面の修復工事にも追われていました。

 

 

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大船渡も被害は甚大だったようで、津波で湾曲した橋がありました。

 

 

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三陸鉄道南リアス線の駅、恋し浜駅のホームが縁結びで有名な場所ということで、陸前高田から一時間かけて向かいました。

 


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恋し浜駅は、元々は小石浜駅だったのを地域活性化のために改名したそうです。ホームには、貝殻に書かれた願いがいっぱいありました。

 


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しかし、震災後は縁結びよりも、東北復興のお願い事が多く、私のもその一枚になりました。(これは私のものではないですが、とても上手に描いてあるので掲載しました)

 

 

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当時は南リアス線が運航していませんでしたが、2013年には全線復旧したそうです。NHKの朝ドラ、「あまちゃん」でも三陸鉄道が舞台になっていましたね。 

 

 
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越喜来小学校の前に津波に関するギャラリーがあったので立ち寄ると、震災当時の写真がいっぱい貼られてました。黒い波が来て、少しずつ町を飲み込み、押しては引いてを繰り返すうちに破壊されていく町…。心が痛みました。

 

 

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帰り道に陸前高田の横を通ったら、今まで我慢してきた悲しみやぶつけようのない怒りがこみあげてきて、車の中で一人泣いてしまいました。カーナビの嘘つき!地震のバカ!津波のバカ!図書館もガソリンスタンドも海水浴場もないじゃないか。自分で希望して被災地にやってきたのに、私は被災したわけでもないのに、被災者の方はもっとつらい思いを抱えていらっしゃるのに、精神的につらくなりました。

 


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その時に、瓦礫の山に雑草がたくさん生えていることに気付きました。もちろん、そのことには前から気付いていましたが、雑草のたくましさに気付いたのです。『葉っぱのフレディ』の話ではないですが、潮にさらされた劣悪な環境でも植物の生命のバトンは続いているのです。軽々しく言えるものではないですが、被災地の皆さんにも雑草たちに負けない強い気持ちでいてほしいと思います。もちろん、私たちが震災のことを忘れず、引き続き支援をしていかないといけないですね。

 

 

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夜18:00頃に南三陸のホテル、観洋に到着。ここを選んだ理由は「語り部ツアー」が行われていたからです。

 

 

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2日で328キロ走りました。

 

 

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ホテルのロビーに震災当時の写真が飾られていました。こちらは南三陸町

 

 

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こちらは気仙沼

 

 

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翌日に知ることになるのですが、ホテル観洋は高台に位置するホテルのため、津波の被害をほとんど受けなかっただけでなく、避難所として部屋を開放したそうです。

 

 

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夕食も豪華でした。ウニって苦手でしたが、ここのウニは新鮮でおいしかった! 

 

 

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翌日は語り部ツアーに参加したので、そのことについて書こうと思います。