#083 モスタルで「平和の橋」を渡ってみた。 (2011.8)
モスタル(Mostar)は、サラエボから南西に位置する都市で、バスで約3時間弱かかります。
私はサラエボからバスで向かいましたが、クロアチアの観光地であるドブロヴニク(Dubrovnik)から日帰りツアーも出ています。
モスタルのシンボル的存在なのが、このスターリ・モスト(Stari Most)。この美しい橋にも、ボスニア内戦で破壊された悲しい歴史があります。
予定よりも少し遅れ、17:45にモスタルのバスターミナルに到着しました。モスタルには1泊予定なので、必要な荷物をボストンバッグに入れて、スーツケースはコインロッカーに預けました。
山の頂上に巨大な十字架を発見しました。モスタルもボスニア・ヘルツェゴビナの都市なのでイスラム教徒が多いはずなのですが、この十字架は2000年にクロアチア人(=カトリック教徒)によって作られたそうです。詳しくは後で書きますが、この町では宗教や民族による住み分けがされているのです。
ここでも、ボスニア内戦で被害を受けた建物がいまだに残っています。
このモスクは中に入ろうとしたら、ムスリムしか入らせてもらえませんでした。残念。
橋の方面に更に歩くと、土産物店が立ち並んでました。地面には石をはめ込んでいるので、ゴツゴツしていてちょっと歩きにくいです。スーツケースを預けて来て正解でした。
イスラム国家なだけに、アラビアーンなお土産がいっぱい売られていました。ヨーロッパにいることを忘れてしまうような雰囲気です。それから、モスタルもクロアチア同様、ラベンダーの産地のようです。
中には、内戦グッズと思われるものも…。
『DON'T FORGET』という石碑には『内戦の悲劇を忘れてはいけない』という意味があるのでしょう。
いよいよ、スターリ・モストのすぐ近くまでやってきました。
とても綺麗なこの橋は、1993年11月にクロアチア人兵により破壊され、2004年に再建されました。そして、2005年にはこの地区がボスニア・ヘルツェゴビナで初の世界遺産に登録されました。
スターリ・モストはとても滑りやすい素材でできています。そのためか、凸凹の段差が滑り止めの役割をしているようにも思えました。それでも滑るけれども…。この時も「スーツケースをバスターミナルに置いてきてよかった」と心から思いました。笑
橋の下には、ネレトヴァ川が流れています。橋の高さは24メートル。毎年夏には飛び込み大会が開催されているそうです。これができるようになったのも平和な証拠ですね。
橋を渡ったところにあった、『DON'T FORGET '93』の文字。左後ろの写真が橋が壊された後に作られたつり橋だと思われます。
モスタルでは、橋の西側がムスリム人地区、東側がクロアチア人地区で住み分けがされています。バスターミナル側から橋を渡った私は、たった今クロアチア人地区に入りました。つまり、先ほどの十字架のある側です。今まであったエキゾチックな雰囲気はなくなりました。こちらも内戦の銃弾痕がいまだに残っています。なお、クロアチアの主な宗教はキリスト教ですが、クロアチア人地区にもモスクはあります。
私が宿泊した宿(Kriva Cuprija)がこちら。クロアチア人地区にあります。カッパドキアで泊まった洞窟ホテルのような、石を削って作られた部屋でした。豪華なビュッフェ朝食付き。(€39)
夕食は宿の近くのレストランで取りました。この辺りでは鱒が捕れるからか、名物となっています。私も鱒のグリルを注文しました。焼き加減もよく、おいしかったです。レモンを絞って味を変えてもこれまた絶品。付け合わせのほうれん草のソテーもいい脇役ぶりでした。(29KMマルカ≒1600円)
満腹で大満足した私は、再び橋を渡って、ムスリム地区に向かいました。夕暮れになると街がライトアップされていい感じでした。個人的意見ですが、イスラム国家が最も美しく見える時間帯は日没直後の夕暮れだと思っています。アラビアンなランプと、街中に流れるアザーンが本当にいい味を出してくれるのです。
帰り道(確か、クロアチア人地区)に、ジェラートのお店があったので買いました。これは何味のジェラートだと思いますか?
答えは、コーラ味。感想は… 二度と買うことはないと思います。めちゃ甘いコーラ味で、マシュマロのような食感でした。笑
翌朝、ネレトヴァ川のほとりまで行き、スターリ・モストを下から眺めました。改めてみると、高くて細い橋です。
ほとりにこんな石碑がありました。おそらくボスニア語で書かれているのですが、数字とスターリ・モストという言葉を拾った感じだと、『1993年の11月9日にスターリ・モストが破壊された』という旨が書かれているように思えます。(※あくまで予想です)
橋の東側には展望台みたいなところがありました。あと、内戦中の写真を展示したギャラリーも。そこにあった写真には、避難する子どもの写真などだけでなく、兵士や死傷する市民の姿もあり、私の想像を遥かに超えた残酷なものばかりでした。今でもはっきりと覚えているのが、ひれ伏す市民に対して冷たい銃口を向ける兵士の写真と、真っ白な雪が積もった土に真っ赤な血が大量に流れている写真です。
橋を渡り、ムスリム地区に入ってすぐの所にも、ギャラリーがありました。こちらは固定ビデオカメラで撮影された、スターリ・モストがクロアチア人によって破壊されていく映像を無料で見ることができます。クロアチア人兵士たちが何度も何度も砲撃を重ねていき、橋が徐々に破壊されていく姿には心が痛みました。そして、とどめのロケット弾により、橋は粉々になり、川へと崩れていくのです…。
2004年にユネスコの協力により橋が再建されるまで、弧のない橋の両端で宗教や民族による住み分けがされていました。橋は復元され、通行は可能になりましたが、今でも住み分けは実質行われています。島国の日本に生まれた私には、宗教や民族の大きな対立というものを経験したことがないし、『橋を越えた先は異なる国や民族だから行ってはいけない』というイメージができないのですが、民族や宗教による考え方の違いから今日も戦争が起きているように思えます。なかなか根が深く、難しい問題であるし、ボスニア内戦の概要しか知らない私には偉そうに語る資格はないのですが、少なくとも「お互いの違いを認め、理解しようとする」ということができたら、世界はもっと上手く回るのではないかと思います。
ドブロヴニク行きのバスが12:30に出発なので、バスターミナル方面に戻りました。スターリ・モストを北に行く(バスターミナル付近)と、ネレトヴァ川がより美しい色で流れていました。
ドブロヴニク行きのバスは4番のバス停から出発していました。(25KM≒1400円)
サラエボに続き、モスタルでも日本から贈られたバスが走っていました。
バスは定刻に出発し、ほどなくしてクロアチア国境に到着。警察官がパスポートを回収してスタンプをもらい、無事に入国しました。
このモスタル→ドブロヴニク行きのバスですが、満席だった上、ぐねぐね山道が続いたので、普段バス酔いしない私でも少し気分が悪くなりました。酔いやすい方は酔い止めを飲んでから乗ることをオススメします。
以上、ランダムに2011年夏の旧ユーゴ旅行を挙げてきましたが、廻った順は以下の通りです。
↓
モスタル(今回)
↓
ドブロヴニク
↓
↓
↓
↓
↓
↓
という流れで廻りました。なお、ドブロブニク2011は省略しましたが、昨年8月のクロアチア旅行記はまとめてありますのでよろしければこちら↓をどうぞ。
クロアチアは景色も美しいし、ごはんもおいしいので、個人的にはオススメの観光地です。ただ、その美しい街並みの裏には内戦から復活した悲しき歴史があるということを忘れずに旅をしてもらえたらと思います。そして、お時間があればボスニア・ヘルツェゴビナにも是非寄っていただきたいです。
#082 サラエボで戦場跡地を巡ってみた。 (2011.8)
サラエボ(Sarajevo)はボスニア・ヘルツェゴビナの首都です。この地では、2つの大きな戦争が勃発し、戦地となりました。1つ目は1914年に始まった第一次世界大戦。サラエボ事件がきっかけで世界大戦にまで拡大してしまいました。2つ目は1992~1995年のボスニア内戦。中学生だった私は当時その惨状を全く理解していませんでしたが、それでも「サラエボから中継です」という言葉をニュースでしょっちゅう耳にしたことは覚えています。なお、そのサラエボからの中継地だった場所がこの写真のホリデイインホテルです。
このブログで2011年夏のクロアチア旅行について時々書いていますが、実はザグレブに着いてすぐにサラエボに夜行バス(約200kn)で移動しました。バスターミナルでバスを待っていると、見知らぬ人に「なんでサラエボなんかに行くんだ?」と不思議がられました。理由は単にクロアチアから近いから行ってみただけなのですが、内戦の跡地を見てみたいという思いも正直ありました。うまく言えないのですが、とにかく「楽しかったー!」だけの旅で終わらせたくなくて、戦争などの負の歴史から目を背けてはいけないと思ったからです。仕事柄、子どもたちにも見せたいと思いました。
元々、クロアチアもボスニア・ヘルツェゴビナも、同じ国でした。それが、今は無きユーゴスラビア連邦です。
『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と呼ばれていたほど、多民族・多宗教の国家でした。1991年から次々とユーゴスラビアから独立し、今では地図上にユーゴスラビアという国は存在せず(国連でのマケドニアの正式名称として「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」は残っているようですが…。)、「スロヴェニア、マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ」の7つの国家(※コソボの独立を認めていない国もありますが、日本は独立承認国です。K氏によると、日本人は独立を認めているからビザなしでコソボに入国できるそうです。)にそれぞれ独立しています。サッカーがさかんな地域なので、日本で大活躍したピクシーことストイコビッチ氏はセルビア出身、現日本代表監督のハリルホジッチ氏はボスニア・ヘルツェゴビナ出身です。
スロヴェニアやマケドニアの独立ではそこまで血が流れなかったようですが、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナでは多くの死傷者が出ました。特に、ボスニア内戦では、1992年から1995年の約3年半で20万人の死者と200万人の難民が出たそうです。
私がサラエボを訪れたのは2011年で、ボスニア内戦終戦から15年ほど経っていた頃でした。それでも、バスの中から見たサラエボの景色には、恐らく内戦で破壊された廃屋の姿がありました。
22:00にザグレブを出発し、翌朝6:00頃にサラエボのバスターミナルに到着しました。ロッカーに大きい荷物を預けて、バスで一緒だった韓国人Jadeと一緒に廻りました。彼女とは年齢が一緒だったこともあり、すぐに仲良くなりました。
サラエボ中央駅でトラムに乗り、中心部に向かうことにしました。旧社会主義国によくある、無機質な建物が並んでいました。
新しいようで少し年季の入ったトラムがやって来ました。MIKADOと書かれた広告が気になります。チョコレートのようですが。帝?笑
トラムは先ほど少し触れたホリディインの前を通りました。内戦当時、記者たちは皆このホテルに宿泊していたそうです。ホテルの前の大通りはスナイパー通りと呼ばれているのですが、これはボスニア内戦の頃、ここを通る者は全て(動物さえも)撃たれたことから来ているそう。よーく見ると、今でも銃弾の跡があるのがわかります。ここから当時命がけの中継が行われていたのですね。
ボスニア・ヘルツェゴビナの主な宗教はイスラム教なのですが、モスク以外にもカトリックやセルビア正教(画像2枚目)の教会やユダヤ教のシナゴーグが徒歩圏内に集まっていました。旧ユーゴ内でも地域によってメジャー宗教が異なっていたからこそ独立運動が起こったのかなぁ、とも思ってみたり。そう思うと、多宗教でも国がちゃんと成り立ち、お互いを認め合っているインドってすごいなぁ、と改めて思います。
トラムを降りると、もうサラエボ中心部でした。ミリャツカ川沿いを歩くと…。
橋、発見。これが有名な『ラテン橋』です。何で有名なのかというと…。
この場所が、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件の現場(※正確には、橋を渡った北側にある、この石碑付近が事件現場)だからです。1914年6月28日にここでオーストリア皇太子夫妻が暗殺され、最終的には世界中を巻き込んだ第一次世界大戦が勃発してしまいました。戦争のきっかけというのは本当に些細なことだったりします。当時も、まさかこの暗殺事件から世界戦争になるだなんて、予想していなかったことでしょう。
このラテン橋も内戦で破壊されたので、現在架けられているのは2004年に再建されたものだそうです。大理石で作られています。
ラテン橋を渡って北側を歩いてみると、新市街がありました。古いものもありますが、大半はとても綺麗です。綺麗ということは内戦で破壊され、再建された街並なのではないかと思ってしまいます。
至る所に銃弾の跡が残っています。サラエボ市民は内戦中の3年半をどれだけの恐怖や悲しみを抱えながら生活をしていたんだろうか…。
有名な『ツァレヴァ・モスク』の手前にも内戦の爪痕が残っていました。
時々、名前の書かれたプレートやお墓を見かけました。作成された年を見ると、内戦中に亡くなった方のものであることがわかります。
大戦の犠牲者を偲ぶ永遠の炎(Vječna vatra)はサラエボ五輪の時から現在も絶やさずに灯され続けています。それでも、内戦中は燃料不足のため消えていたとのことなので、サラエボの平和のシンボルだと私は思っています。
1984年に社会主義国初の冬季オリンピックが開催されました。それがサラエボ五輪です。サラエボにはそれを記念した五輪博物館があるので、行ってみることにしました。
中心部から離れてるのでタクシーに乗って向かいました。途中で野良犬の集団に遭遇。
こちらが五輪博物館です。すぐ近くにスタジアムもあります。
近年のものから東京五輪のものまで、歴代オリンピックのポスターがズラリ。
内戦前のオリンピックなので、当時のサラエボは『ユーゴスラビア』の一都市でした。マスコットキャラクターの『ブチコ(Vučko)』は、ユーゴに生息しているとされた幻のオオカミがモチーフになっているのだそう。
すぐ隣ではサッカーをやっている学生らしきグループがいました。
しかし、この後私は衝撃の光景を目のあたりにします。私の眼前に無数に現れたのは、どこまでも続く、悲しき内戦の産物でした。
それは内戦の被害者の方々の墓地でした。内戦中にお墓を作る土地が不足し、やむなくオリンピックの補助グラウンドを墓地に充てたそうです。当然ながら、お墓に刻まれている亡くなられた日は1992~95年に集中しており、ここで内戦が起き、多くの被害者が出たことを改めて肌で感じた瞬間でした。思わず感涙。どうぞ安らかに。
そんな中、一本の木を見つけました。石碑に『桜』という漢字が刻まれていました。日本のボランティア団体が2002年に植樹したもののようです。戦争の過去は消えませんが、この桜の木が大きく咲き誇る頃には世界が平和で溢れていることを願うばかりです。
なお、サラエボにはJAPANと書かれた路線バスが走っていました。日本の中古バスがサラエボで新たな人生を歩み、今日も市民を乗せて走っています。
五輪スタジアムから戻って来てから、再度トラムに乗っていたら、パンッ!! という轟音が車内に響き渡りました。銃声か?地雷か?と怯えていたら、ただのタイヤのパンクでした。笑
自分で選んだとは言え、元戦地を見ていると食欲が全く湧かないのですが、とりあえず昼食を取りました。チェヴァプチチ(ćevapčići)と呼ばれる料理です。味付けや食材がやはりイスラム国家なんだなぁと感じる味でした。中のお肉がジューシーでおいしかったです。トルコのキョフテみたいな感じ。
私は8時間ほどのサラエボ滞在の後、モスタルというボスニア・ヘルツェゴビナの都市にバスで向かいました。(18KM(マルカ)≒990円)
ここでJadeとお別れ。彼女はサラエボに数泊した後にセルビアに行くようです。
モスタルへの道は山越えが中心でした。14:30にサラエボを出発し、モスタル到着は17:00到着予定。
サラエボを出てしばらく経つけど、今何時だろ?携帯で確認しよっと。えーっと、携帯はどこだっけ?(ごそごそ)
あれ? あれれ??
け、携帯がない。
どこを探しても私の携帯はありませんでした。サラエボに着いてからの記憶を反芻すると、「永遠の炎」は携帯のカメラで撮影したことが判明。そこから一度も使っていないはず。
結局見つからないためいまだに原因不明ですが、可能性としては
①『永遠の炎』の後、街中で落としたor盗まれた
②タクシーの中に置いてきた
のどちらかだと思われます。ガラケーではあるものの、以降の道中で待受画面にしたいような絶景を携帯で撮影できなかったのが悲しかったです。
サラエボには、今もなお内戦の爪痕が残り、街を歩くと心が痛みます。ただ、戦争を知らない私たちが戦争の悲惨さを知るには実際に目で見てそれぞれ感じることが大切なのではないかと私は考えているので、行ってよかったと思います。
この後、モスタルでも内戦跡地を訪れたので、また書こうと思っています。
#081 プリトヴィッツェ国立公園を歩いてみた。 (2011.8)
プリトヴィッツェ国立公園はクロアチアの首都ザグレブから南へ110kmのところに位置し、大小16の湖と92の滝が園内にあるそうです。
前日の深夜に到着した時はあまりの真っ暗闇に泣きそうになりましたが、翌朝に宿の周りを歩いてみて納得しました。森の中だから暗くて当然ですね。笑
我が宿(Hotel Bellvue)から5分ほど歩いたところにバス停があり、その近くのインフォメーションセンターでチケット(110kn)を購入しました。 なお、画像下側のULAZ ENTRANCE②という所が入口②で、私はここから乗りました。
※1kn(クナ)≒15円
結構混んでいましたが、朝8時頃ということですぐに乗れました。
バスはSt4という所で停まりました。プランクトンの関係で午前中は入り口①から反時計回りに廻るコースがオススメだとどこかに書いてありましたが、そこまでこだわりのない私はここで降りました。笑
全てを見ようとすると1週間くらいの滞在を要してしまうほど広く、園内のハイキングコースもさまざまあります。私と同じバスに乗っていた日本人ファミリーが「昨日このコースで廻ったから、今日はこのコースで歩くよ!」と言っているのが聞こえたので、ハイキングが好きな人は長期滞在をする場所なのでしょうね。確かに、のどかで空気もおいしく、景色も美しいので、自然とハイキングが好きな方には最適の観光地なのかもしれません。
普段は超インドア派の私も、8:40にハイキングを開始。入り口①を目指します。木でできた道がいい感じです。
写真を一気に載せてしまいましたが、小川や湖、滝などが次々と現れます。水がとても澄んでいて、中を泳いでいる魚がはっきりと見えます。自然にはさほど興味がない私でも、「綺麗だなぁ…」と心が洗われます。
花も咲いていました。 普段は仕事などに追われ、立ち止まって野に咲く花を見る余裕がないですが、たまにはこうやって自然と向き合う旅もいいですね。
湖の色はそれぞれ異なります。時間帯にもよるのかもしれませんが、セルリアンブルーに輝く湖にも出会えました。自然が織りなす色に思わずうっとり。
水面が完全なる鏡になっていた湖もありました。
公園内は遊覧船やバスも走っているので、全て徒歩で廻る必要はありません。私は利用しませんでしたが、遊覧船は長蛇の列をなしていました。気温30℃越えの夏場の観光シーズンには、遊覧船を待つのも一苦労のように思えます…。
ちなみに、遊覧船乗り場(P2)の近くの湖はあまりにも澄んでいて、魚がこれだけはっきりと見えました! !
一番有名な滝が、このヴェリキ・スラップ(Veliki slap)です。そのまま見ても十分迫力があるのですが、階段を上って高台から見ると滝底が見えて、よりダイナミックに見えました。
12:00頃、ハイキング終了。写真を撮りながら、のんびり歩いて3時間半くらいかかりました。
入り口①から入り口②までの無料シャトルバスに乗り、宿に荷物を取りに行きました。入り口②と①からザグレブ行きのバスが出ており、進行方向からして入り口②の方が先に停まるので、比較的バスの席が空いているとのこと。12:50発のバスに乗るために急いで準備をして、12:40くらいから待っていました。
しかし、待てど暮らせどバスが来ません。中には、ヒッチハイクを試みている人も…。そして、13:30頃にようやくバスがやって来ました。中は結構混んでいましたが、運よく座れました。(75kn)
ザグレブのバスターミナルに15:40頃到着したので、ザグレブ駅までトラムで移動し、駅でスーツケースをコインロッカーから取り出し(重いのでプリトヴィッツェには持って行きませんでした)、電車のチケットを買いました。本当はザグレブ16:00発の電車を狙っていましたが、一本見送って18:14発の電車でスロヴェニアの首都のリュブリャーナに向かいました。(101.85kn)
スロヴェニアに向かった理由は、ユリアンアルプスの絶景を見るため。しかし、ツアーに置いて行かれ、散々な目に遭いました…。気になる方は↓をご覧ください。笑
#080 真夜中にプリトヴィッツェに到着してみた。 (2011.8)
先にこれだけは言わせて下さい。深夜2時半頃にプリトヴィッツェに到着すると、真っ暗で本当に本当に怖いのでやめましょう。
(私も好きで真夜中に着いたわけではないのですが…。)
プリトヴィッツェ国立公園は、クロアチアを代表する観光地であり、1979年に世界遺産に登録されています。紺碧色に輝く湖群がとにかく美しくて、マイナスイオンを感じながらのハイキングがとても気持ち良い場所です。
首都ザグレブからバスで2~3時間で到着できることもあり、日帰り旅行も可能ですが、私は一泊しました。旅程としてはロヴィニ(Rovinj)→ザグレブ(Zagreb)→プリトヴィッツェ(Plitvice)をバスで乗り継ぎました。前回も書きましたが、クロアチアのバスは首都発着が基本なので、ロヴィニ→プリトヴィッツェの直行便がないのです。
ロヴィニはイストラ半島の西岸にある港町です。ポルトガルのポルト歴史地区に似た、オレンジ屋根群が美しい街です。ロヴィニからフェリーでヴェネツィアに行けるので、現地で予約をしようとしたらまさかの満席で行けませんでした。
色々な旅行会社を当たってみましたが、結局取れなかったので、フィッシュピクニックという日帰りツアーに申し込んだらアジア人は私一人で超アウェイ状態。しかもみんな複数参加ばかりなので、一人でぼーっとしながら過ごしていたのですが、船内でジプシー・キングス(Gipsy Kings)のボラーレ(volare)が流れたら、みんながノリノリで踊り始めました。私はもちろん傍観していたのですが、おじさん(たぶんイタリア人)に「お前も参加しろよ!」と言われ、肩をもたされ、船内を長蛇の汽車ぽっぽで廻ったことがロヴィニでの一番の思い出です。帰国後に「KIRIN淡麗生」のCMが流れる度に、あの長い汽車ぽっぽの光景が脳内再生しました。笑
あと、そのツアー中に船内から見た光景も衝撃的でした。岸壁にあったヌーディストビーチで、全裸の老若男女がいっぱいくつろいでいたのです。シドニーのボンダイビーチにもトップレスギャルがたくさんいましたが、ガチのヌーディストビーチはチン百景だということを知り、また一つ賢くなりました。笑
港町だけあって、海鮮類は新鮮でおいしかったです。フィッシュピクニックでは、盛り付けこそ雑(日本人として、魚の向きが気になる…。笑)ですが、取れたての魚を焼いて出してくれました。街中では、大好物のスキャンピ(手長エビ)を、殻の剥きすぎで指が痛くなるまで食べまくりました。笑
ロヴィニに2泊してからプリトヴィッツェに向かうために首都にバスで行きました。が、火災と自然渋滞により到着が1時間半くらい遅れました。
そのため、事前におさえておいたザグレブ16:00発のバスに乗り遅れました。次の便はなんと23:30発。とりあえず、チケットを取り直し(95kn)、プリトヴィッツェの宿に到着が遅れる旨を電話しておきました。
バスターミナル周辺で7時間半も時間をつぶすのも何なので、荷物を預けようとコインロッカーに行ったら、知っている顔が。フヴァル島からの帰りのフェリーで少し話をした日本人のK君でした。彼も私と同じ位の時間にバスに乗る予定で時間を持て余しているようなので、夕食を一緒に食べたりバスターミナルで色々話したりして過ごしました。
この時K君から聞いたインドの旅話が、私をこの4か月後にインドに導いてくれた気がします。今思えば、このクロアチア旅行で予定が狂った時に出会った2人からインド話を聞いたことがきっかけで、私はインドを旅行し、インドに魅せられました。何だかんだでトラブルがいい縁を作ってくれた気がします。そう思うと、トラブルも悪いだけのものではないと前向きに思えます。
K君は私の出発の少し前にウクライナに行ってしまったので、プリトヴィッツェには一人で向かいました。直行便ではなく、Jenera行きのバスなので運転手に「プリトヴィッツェ」と行き先を告げてから乗りました。23:30の定刻通りにバスは出発しました。乗客は他にも何人かいたので、プリトヴィッツェで降りる人は他にもいるだろうと思ってました。
席を倒してウトウトしていたら、「プリトヴィッツェ!!」と言われたので降りる準備をすると、降りたのは私一人だけ…。
しかも、バスが出発すると、一気に辺りが真っ暗になりました。まさに、街灯一つすらない車道に一人ポツンと降ろされました。あまりにも真っ暗すぎて、宿がどこにあるのかもわかりません。
軽くパニックになり、独り言で「怖い!」「どうしたらいいんだろう?」とか無意識に発してもだーれもいない。更に、明かり代わりになる携帯電話は旅行初日に紛失@ボスニアヘルツェゴビナ。
とりあえず車道を少しだけ戻ると、車道から逸れた細い道の先に街灯らしき明かりが見えました。それを頼りに向かってみると、ホテルの表示が。そして、それが私の予約していた宿でした。
深夜3時ごろ無事にチェックイン。そのままベッドに倒れこみ、爆睡しました。そして、4時間後の7:00には起床し、国立公園散策に向かうのでした。
大事なことなので2回言います。深夜にプリトヴィッツェ着のバスには絶対に乗らないように!笑
#079 天空都市、モトヴンでトリュフを堪能してみた。 (2011.8)
クロアチアにある都市、モトヴン(Motovun)は高台に位置する天空都市です。竹田城跡みたいに、時期によっては街が雲海に包まれるとのこと…。そんな幻想的な景色に憧れ、ちょっと不便な場所にあるけども、フヴァルから公共交通機関で向かいました。
緑&青の洞窟ツアーでさんざんな目に遭った格好のまま、まずはフェリーでフヴァル島からスプリットへ。
フヴァル20:00→スプリット22:00 (47kn)
※1kn(クナ)≒15円
時系列的には↓の続きです。 思いつくままに旅日記を書いていて申し訳ありません。
そして、スプリット22:45発の夜行バスで首都ザグレブに向かいました。クロアチアのバスは首都に一旦戻って乗り換える必要があるのです。ザグレブに到着したのは翌朝5:15頃でした。(175kn)
モトヴンまでの直行バスはありません。歩き方によるとパズィンから1本でモトヴンに着くはずだったのですが、乗継ぎ祭りでした。
ザグレブ(Zagreb)6:30→パズィン(Pazin)10:14
パズィン13:10→ポレチュ(Poreć)14:00
ポレチュ14:15→モトヴン15:20
と、10時間近く移動しているようで、実は後半5時間は近場をぐるぐるしていました。
「さっき見たぞ」って景色や看板に何度か遭遇し、実際に同じバスターミナルに戻ってきたこともありました。特にリエカ(Rijeka)のバスターミナルにはよく寄りました。笑
普通の乗り合いバスのため、乗り換えの度に40knほどの運賃を請求されるのですが、時間が経過するだけで一向にモトヴンへと進みません。しかも、乗り換えの度に休憩をはさまれ…。ドライバー、働け。笑
文句を言いつつも、何とかモトヴンに到着。バスの中から、モトヴンの街が見えた時は少し感動しました。
バス停から少し上り坂を登っていくと、お店がたくさんあります。
そして、トリュフを売っている店を発見。そう、モトヴンではトリュフが取れるらしく、産地として有名らしいのです。
ギネス認定証、発見。どうやら、世界一重いトリュフがここモトヴンで収穫されたみたいです。
トリュフと言えば、世界三大珍味の1つ。結婚式の料理くらいでしか三大珍味と縁がない私ですが、正直おいしさがよくわかりません。特にフォアグラ。濃厚すぎて、私は食べられません。キャビアとトリュフは可もなく不可もなくという印象で、特に料理の味を変える存在だとは思ってませんでした。
でも、きっと本場のトリュフはおいしいはず!
ということで、モトヴンで注文したディナーがこれ。宿のレストランで食べたビーフステーキのトリュフ添え(200kn)です。ステーキは絶妙な焼き加減でおいしかったのですが、本場でもトリュフのおいしさや必要性がイマイチわからなかったのは、私が庶民だからなのか、馬鹿舌だからなのか、その両方なのか…。涙
翌日の昼に食べたクリームペンネのトリュフ添え(15€)も、おいしかったのですが、特に主張してこない控えめなトリュフ氏は、やはり私には有っても無くても変わらない存在でした。ごめんなさい。
我が旅では恒例行事である「サンセット鑑賞」をした後、宿(Hotel Kastel,976.5kn)で早めに寝て、翌朝の雲海に備えました。なお、歩き方にはこの宿しか載っていませんが、街にはSOBEも含め、他にも宿泊施設もあるのでご安心を。
翌朝7時前に宿を出て、外に出ました。雲海は出ているかしら…?
うーん、残念ながら霧がうっすらと出ている程度。まぁ、竹田城跡もそうですが、秋冬の前日昼との気温差が大きい時に雲海が現れることが多いらしい(by地球の歩き方)ので、実はダメ元で訪れていたのです。雲海は見られなかったけど、高いところからの眺めはとても気持ちよかったし、早朝の空気はおいしかったので満足♪、ということで!笑
クロアチアの雑貨はおしゃれで可愛いです。ドブロヴニクやザグレブではハートをモチーフにしたお土産が多く売られていましたが、イストラ半島(クロアチア西側)では、アートなお土産物屋さんが多かったです。手作りの一点物が売られていたりします。
ギャラリーやアトリエが多数。
手作りおもちゃや雑貨がたくさん売られていました。
これは何かというと、中にラベンダーが入ったポプリです。振るとシャカシャカ音がします。
かごに入ったオカリナ型のものもラベンダーポプリです。値段は忘れましたが、お土産に買いました。
お酒類もズラリ。
モトヴンは本当にのどかなところでした。あまりにのどかすぎて、モトヴン発のバスが走っていませんでした。宿の人にどうしたらいいか相談したら「ヒッチハイクしたら?」と真顔で回答されました。笑
が、やはり不安だったので、240knで宿の人にパズィンまで送ってもらいました。高すぎる値段設定ですが、安全をお金で買いました。
なお、行きもパズィンあたりで電話をすれば240knでお迎えに来てくれるそうです。5時間も近場の街でウロウロするくらいなら、行きも迎えに来てもらってもよかったなぁと、今になって思います。だって、バスで5時間かかるところが、送迎車だと30分で到着するんですよ?笑
送りの車内から、モトヴンの街を見納め。特に何か観光名所がある街ではなかったけど、クロアチアの田舎町でのんびりできました。
パズィンから次の目的地ロヴィニ(Rovinj)に再びバスで向かいました。
パズィン15:10→ロヴィニ16:00 (43kn)
ちなみに、毎年夏にモトヴンではフィルムフェスティバルが行われるそうです。私が訪問した8月半ばにはもう終わっていた様子でしたが、毎年70本ほどの映画が上映されるようなので、トリュフ、雲海だけでなく映画に興味のある方もモトヴンを訪れてみてはいかがでしょうか。ただ、公共交通機関で行くのには結構苦労しますので、そこは覚悟してください。笑
#078 『河童の世界』を覗いてみた。
妹尾河童さんは、小説家であり、舞台美術家でもあります。彼の代表作である小説『少年H』では戦時中の日本の貧しくて苦しい中でのヒューマンドラマが描かれ、映画化もされました。
そんな妹尾河童さんが『河童が覗いたシリーズ』の本を出版しているのをご存知でしょうか。ヨーロッパ編、ニッポン編、インド編の三部作で、河童氏(彼がいつもドライバー氏などのように、氏をつけて呼ぶのが面白い)がスケッチしながら『興味の赴くままに』各地を廻った旅行記です。
このシリーズの大きな特徴は全て手書きなこと。これには、読者に直接手渡しで届けるような作品にしたいと言う思いがあるそうです。その河童氏直筆のスケッチと言葉による解説が非常に面白いのです。旅好きだけでなく、美術好きな方にもオススメの本です。
なお、こちらが本物のタージ・マハルの装飾。河童氏のあまりにも緻密なスケッチには毎回感動させられます。事実、このスケッチのおかげで河童氏はインドでは特別待遇を受けたりしていました。うらやましい才能です。
では、簡単に三部作を紹介します。
①河童が覗いたヨーロッパ(1976年出版)
297ページにも渡るルポルタージュで、1年間で訪れた国は22ヵ国で、泊まった宿は115部屋!
ルートは不明ですが、
①イタリア ②オーストリア ③フランス
④西ドイツ ⑤東ドイツ ⑥ノールウェー
⑦チェコスロバキア ⑧スイス ⑨スペイン
⑩ポルトガル ⑪ベルギー ⑫オランダ
⑲エール ⑳エジプト 21.メキシコ
22.アメリカ
を廻っています。おそらく昭和50年前後の旅行のため、ドイツが東西に分断されているところ、逆にチェコスロバキアが1つの国になっているところ、今は無きソビエト連邦があるところに歴史を感じます。なお、⑲のエールとは、アイルランドのことです。⑳以降はヨーロッパじゃないのもご愛嬌。笑
部屋の間取りや各国の車掌の服装などがスケッチと共に紹介されてます。賃貸住宅の広告のような真上から見た見取り図が載っている本なんてなかなかないです。
あとは、各地を廻った時に見たり聞いたり感じたりしたことを綴ってます。
この本の中にある、『減点法は旅をつまらなくするから、何事も得点法で前向きに旅をした方がいい』という河童氏の考え方が私はとても好きです。あとは『自分が見たのはその国のほんの一部の姿だから、それだけでその国を知った気になってはいけない』という言葉にも、納得。ついついやってしまいがちですがね、反省します。
②河童が覗いたニッポン(昭和59年出版)
昭和50年代半ば、つまり私が生まれた頃の日本で話題となっていたものを河童氏が実際に訪れ、詳細に解説しています。点字、京都の地下鉄工事、裁判所、入墨などから、はたまた刑務所まで…。なお、ヨーロッパ編と比べて、スケッチと文章がより詳細に変わっていて、本自体は薄くなってますが読みごたえはヨーロッパ編以上となっております。
点字のページでは、盲導犬ロボットの研究所を訪れてます。未だに実現できていないところからして、相当難しい技術なんだろうなぁ。是非いつか実現化してほしい!
刺青のページでは、入墨と刺青(ほりもの)の言葉の違いを力説。入墨は刑罰のための刻印、刺青は肌に施す装飾なのだそう。へぇー。
刑務所訪問では、府中と網走を訪れてます。今とはまた違うところもあるのでしょうが、河童氏のアングルからの解説で、刑務所と収容者に対する考え方が変わりました。
③河童が覗いたインド(1991年)
私のお気に入りがこちら。1978年と1983年に1ヶ月半ずつ訪問した時のことが本当に細かく描かれています。1ルピーが25円というところにびっくり。今は1ルピー=2円以下だし、街も綺麗になって便利になってるけど、カースト制度や宗教感、売り子については変わってないなぁ。インドに行く前に是非読んでほしい本です。
表紙にもなっているタージ・マハルを空から見た想像図が描けてしまうのは河童氏だからこそ。
白タージと黒タージの話は知ってましたが、スケッチがあるとよりわかりやすくていいです。橋を架ける予定だったことは初めて知りました。実現してほしかったなぁー。
インドの電車事情についても細かく描写されてます。気が付けば周りの乗客を巻き込んで巻き尺で座席の長さを測っていたというのが何とも面白いです。だからこそ正確で素晴らしいスケッチが完成するのです。
部屋のスケッチもご健在。2枚目の写真(ウダイプールの宮殿ホテル)はドタキャンされたのに、ホテル外観のスケッチを見せたらスタッフの態度が変わり、翌日スイートルームを用意してくれた(しかも、部屋まで描いたら1/5の値段で宿泊できた!)っていう河童伝説の部屋。好奇心旺盛なインド人たちが大量に集まる姿が目に浮かび、私も思わずニヤニヤしちゃいます。笑
南インドは未踏の地なのですが、河童氏の解説によると、かなり楽しそうな予感です。特に、マハーバリプラムやマドゥライにはいつか行ってみたいです。
この3冊で共通しているのは、『気になったことはとことん調べ尽くす!』という河童氏の姿勢であり、私とも少し似ているなぁと思います。まあ、レベルが違いますが。河童氏には誰も敵いませんよ。笑
河童氏の『覗いたシリーズ』は、時代は違えど参考になる資料がいっぱいです。また、今との比較をするのも楽しい読み方です。ご興味ある方は是非ご一読を。
#077 インド風マサラチャイを自宅で作ってみた。
インドの飲み物と言ったらチャイ。ミルクとスパイスがたっぷり入った「マサラチャイ」がメジャーで、注文した食事を待っている時にサービスで出て来たりもします。アツアツのチャイを、ちびちびと飲みながら時間をつぶすのがインド式の飲み方です。
暑いインドで、耐熱ガラスのコップや使い捨ての素焼きカップに入った熱いチャイを飲むのがよかったのですが、今回のインド旅行では使い捨ての紙コップがやたらと使われていたのが残念。これも時代の流れでしょうか…。
なお、プシュカルの郵便局で手紙を書いていたら、配達員の人がなぜか1杯チャイを持ってきてくれて、ごちそうしてくれたこともありました。笑
そんなチャイは、『水と牛乳を鍋で温めて、沸騰してきたら茶葉(ティーパックに入れる)と砂糖を入れて煮立たせ、最後にティーマサラを入れる』のが一般的な作り方なのですが、正直、牛乳を煮詰めた後の鍋って洗うのが面倒だったりします。牛乳がこびりつくと、なかなか取れないし…。
何とかあの味を簡単に再現できないか…。と思い、少し研究した結果、だいぶ近づいたところまで来たので、紹介します。(なお、まだ研究中なので、ズボラレシピが今後改善される可能性はあるので悪しからず。)
♪マサラチャイの作り方♪
材料
① お湯(300mL)
② 牛乳(200mL)
③ ティーバッグ×3
④ 砂糖 ティースプーン×4杯
⑤ ティーマサラ 3つまみ
その他必要なもの
① 耐熱ボウル
② 電子レンジ
③ ラップ
④ 計量カップ
⑤ 茶こし (必要であれば)
①
沸騰したお湯300mLを耐熱ボウルに入れ、紅茶のティーバッグを1つ入れます。
②
10分蒸らします。その後、砂糖を入れて、よく混ぜます。
③
牛乳を入れて、よく混ぜます。
④
ラップをして、電子レンジで加熱します。(600W×5分) 色をより出すために、ティーバッグは入れっぱなしで加熱しましたが、あらかじめ取り出してもOKです。
⑤
新しい茶葉を2つ入れ、10分蒸らします。
⑥
ティーマサラを入れます。我が家のティーマサラはこちら。今回インドで買ってきたもので、ショウガ、シナモン、クローブ、カルダモン、黒コショウの5種類のスパイスが入っています。インドで買ってこなくても、日本の輸入雑貨店(カルディなど)でも、ティーマサラは簡単に手に入ると思います。
※このレシピはスパイス控えめなので、マサラの量はお好みで調節してください。私はボウルにマサラを3つまみ入れて作りましたが、ボウルの底に沈殿しやすいので、カップに盛り付けてからマサラを1~2つまみずつ入れた方がピリッとしていいと思います。
⑧
お気に入りのカップに注いで完成。牛乳の膜が気になる方は注ぐ際に茶こしを使うといいです。(私は使っていません)
注意事項
① 茶葉はニルギリかアッサムがおすすめです。アールグレイやダージリンだとおいしくないです。今回はティーバッグで作りましたが、茶葉をティーパックに入れたものを使った方が紅茶の色と味がよりしっかり出ると思います。
私が今回使用したティーバッグはこちら。インド製で、タージマハルのエンブレムがおしゃれなやつで、インドのスーパーや小売店で売られています。これには、アッサムの茶葉が入ってます。日本製の茶葉で十分ですが、このティーバッグはamazon等でも販売されていますので、こだわりたい方は是非。笑
② 今回は水:牛乳の比率を3:2にしました。レシピによって1:1だったり、2:1だったりしますが、牛乳が多めの方が過熱した時にいい感じに煮詰まるので、個人的にはオススメです。逆に、膜が苦手な方は牛乳控えめにするといいかもしれません。
③ 砂糖はスティックシュガーだと甘さがなかなか出ないので、白砂糖を使うことを強くオススメします。
④ 今回はマサラを控えめにしました。インドの本場のチャイは、「甘くてピリピリする」という印象です。自分で調節して、自分だけの黄金比率を探してみて下さい。
今回はより簡単に作るために、鍋も茶葉も使わない「ズボラレシピ」をご紹介しました。ただ、やはり茶葉を使って煮出した方がよりおいしいので、時間のある時は鍋でぐつぐつ煮出すことをオススメします。
ティーマサラにはショウガが入っているので、体の芯から温かくなり、これからの寒い季節にぴったりです。体がポカポカ温まるマサラチャイを是非お試しくださいね!
#076 ポテトヘッドビーチでサンセットを見てみた。 (2014.10)
前回の投稿で、『タナロットの夕陽が美しかった!』と書いておいて大変恐縮ではございますが、実はバリ島で一番の夕陽スポットはポテトヘッドビーチだと思っております。笑
このポテトヘッドビーチ(Potato Head Beach)という、へんてこな名前のビーチは、スミニャックから北に少し行った、クロボカン(Kerobokan)地区にあります。何でこのビーチの名前を知っているかというと、当時仕事で携わっていたインドネシア人(バリ島出身ではない)からバリ島でオススメの場所を聞いていたからです。
ウブド地区に1泊した後、スミニャック地区に2泊しました。スミニャックで泊まった宿はこちら。ウブドでは一泊10000円の(そこそこ)高級リゾートヴィラでしたが、こちらは一泊3000円くらい。旅仲間A子とシェアしたので、格安で泊まれました。無料の朝ごはんも色々選べたし、できたてを持ってきてくれるのが嬉しかったです。庶民の私には、こっちの方が落ち着きます。笑
18:00前に、宿の前でタクシーを捕まえて出発。10月の日の入り時刻が18:20なのでもっと早く出てもよかったと思います。
18:15頃、ポテトヘッドビーチクラブに到着。ここはレストランやバーを備えた施設で、警備がすごかったので、気分はVIP。若干場違い感を感じつつ、入ります。 (やはり、私は庶民です…笑)
ギリギリで間に合いました。砂浜には人がそれほどいませんが、施設内には観光客がいっぱいいました。
あれ?ポテトヘッドビーチ、大したことないじゃんって思っていたら…。
空と海がだんだんピンク色に染まってきました。
生憎の曇り空で太陽自体は見えないのだけども、これはこれで絶景だと思います。
ピンク色の空と海の前で甘い写真を、A子と撮ってみました。笑
ポテトヘッドビーチは晴れているときの夕陽もきれいなんだろうな。いつか見てみたいですが、私の中ではこのピンク色の夕焼けが美しくてお気に入りです。あと、ビーサンを履いて、もう少し波の方に行けば、ウユニ塩湖風の天空の鏡風の写真が撮れたなぁ、と、今更ながら思ってます。
なお、バリ島で朝日を見るから、サヌール(Sanur)地区がオススメ。ここもタクシーで朝5時発でスミニャックから行きました。水平線あたりに雲があったので昇ったばかりの真っ赤な太陽は隙間から見える程度でした。でも、だんだん昇っていく太陽を見て、何となくベナレスのガンガーから昇る太陽を思い出しました。
やっぱり、朝日を浴びるとエネルギーがもらえます。砂浜にも徐々に日光が降り注ぎ始めました。
サヌールの砂浜には漁船らしき船が停まっていました。マルタで見かけた船みたいに、船頭に顔が描いてあるのが何ともかわいらしいです。
スマトラ島沖地震の教訓なのか、津波発生時の避難指示が書かれていました。
ちょっと歩くとマーケットもありました。朝は散歩に最適の時間帯です。サヌールで朝日を見た後に是非。
バリで夕陽を見るなら、クタもタナロットもウルワツもいいですが、個人的にはポテトヘッドビーチがベスト。日本のガイドブックではまだまだ知名度は低いですが、だからこそ隠れた夕陽の名所として是非ピンク色の景色に包まれて下さいね♪
#075 バリ島でケチャを鑑賞してみた。 (2014.10)
ケチャ(kecak)とは、バリ島の伝統舞踊。上半身裸の男性たちが輪になり、「チャッチャッチャッ!!」と何度も何度も連呼しながら次々に集団の形を変えていく姿が印象的でした。約3年経った今でも私の耳には彼らの声が残っているし、帰り道に思わず口ずさみたくなるほど、一度聴くと忘れられません。
ケチャにはストーリーがあり、それはどこで見ても大差はありません。簡単に説明すると、こんな感じです。
①半裸の男性陣が輪になり、「チャッチャッチャッ♪ チャチャッチャッチャチャッチャッ チャッチャ♪」と何度も何度も叫ぶ。これは猿の集団を表している。
②魔王が王女に魅了され、何とかして自分のものにしたいと思うが、王女には王子がいる。
③魔王が老人に化け、王女をさらってしまう。魔王は王女に求婚するが拒否される。
④ハノマン(猿の将軍)が王子のもとにやって来て、王子に依頼されたハノマンは王女を探しに行く。
⑤ハノマンは魔王に捕らえられ、火あぶりの刑にされそうになるが、逃げ出すことに成功する。
⑥王子と弟は、ハノマンと猿の集団と共に魔王のもとに行き、魔王を倒して王女を救出する。
歌舞伎同様、化粧や身なりで悪役とヒーローとの違いが明白なので、ストーリーは何となく見ているだけでわかります。半裸の男性陣(猿の集団たち)は常に舞台にいるのですが、BGM的役割だけでなく、時に美しい集団演技をしたり、猿として敵を追い出そうとしたりします。日本人にはキャキャッと聞こえる猿の鳴き声も、バリ島ではチャッチャッチャッで表現されるんですね。興味深いです。
私の持って行ったガイドブックには2か所のケチャ会場の紹介があり、私は2か所とも訪れました。今回はその比較をしてみたいと思います。鑑賞した順に紹介します。
①タナロット寺院
タナロット寺院は島の西側にあるので、日没時に行くのがオススメです。夕陽の名所なだけあり、海に沈むオレンジ色の太陽が本当に美しかったです。これは、バトゥボロン寺院のある岸壁と夕日の写真で、タナロット寺院はこの岩のすぐ南側にあります。
こちらがタナロット寺院。干潮時には歩いて渡ることができます。 写真の左側に人が並んでいますが、並ぶと祈祷師の方から聖水をかけてもらった後、おでこに米粒、耳に花をつけてもらえます。お布施を忘れずに…。なお、寺院自体には、ヒンドゥー教徒しか入れません。
10月半ばの日没時刻は18:00頃なので、ケチャの時間には十分間に合います。
チケットはRp.50000=500円。後で紹介する、ウルワツ寺院の半額の値段で見ることができます。
チケットには18:30開始と書いてありますが、実際に始まったのは19:00前でした。 座席は自由席なので、私たちが入った18:45には前の方のいい席はほぼ埋まっていました。私と旅仲間A子は後ろの方の高台に座って見ることにしました。椅子の席と比べて、前に人がいないので、実は案外見やすかったです。
18:50にケチャが始まりました。白髪交じりのシニアダンサー(痩せ気味)の姿が目立ちます…。よく言えばベテランなのですが、動きはやはり鈍めだったりします…。
次々と姿を変えていくダンサーたちに魅了されます。
ハノマン、登場。
捕らえられ、火あぶりにされそうになりますが、逃げ出します。その時に、足で火を消しながら走るパフォーマンスにプロ根性を感じます。笑
最後に王女を無事救出しておしまい。19:30頃終了です。
私たちは結構楽しめたのですが、ドライバー曰く「俺はタナロットのケチャが嫌いだ!ウルワツのダンサーとは比べ物にならない!ウルワツのダンサーこそがプロだ!」と言ってました。何もそこまで…と、その時は思いましたが、ウルワツに実際に行くと、彼の言っていたことがよくわかりました。
この日は、昼過ぎにウブド地区に到着し、ホテルの人に車をチャーターしてもらい、A子と二人でタマンアユン寺院→ジャティルイ→タナロットの順で廻りました。結構ハードスケジュールでした。
ドライバーのバグース氏は個人的にチャーターの交渉しても、かなり安い値段でバリ島内の移動などもしてくれるようです。いつも、『いつ、バリにまた来るんだ?』と言うメッセージをもらうのですが、私はなかなか行けないので、興味のある方は私の代わりに行ってあげてください。笑
公共交通機関のないバリ島では、車を1日チャーターして、行きたいところに連れていってもらうのが一番効率がいいです。バグースはチップも請求しなかったし、片言の日本語も話せるし、安全運転で信頼できるドライバーです。家族のために、今日も仕事を頑張るバリの陽気なおじさんです。笑
②ウルワツ寺院
ウルワツ寺院はバリ島の最南端にあります。こちらも、美しい夕陽を見ることができ、それを眺めながらケチャが始まるのを待ちます。ウルワツは、デンパサール空港から近いので、私は「ウルワツでケチャ鑑賞→ジンバランで夕食→空港まで送ってもらう」というツアーに申し込みました。私はスミニャック地区にある格安ツアー会社で申し込みましたが、どの地区にもツアー会社はたくさんあるので、宿の最寄で自分の希望に合ったプランを申し込めばいいと思います。
駐車場から少し歩きます。
その際、ドライバーからも言われましたが、野猿に注意です。カメラやメガネなどの光物を彼らは狙ってくるようです。
チケットはRp.100000、つまり約1000円。200円で満腹になれる国ではべらぼうに高い値段設定になります。
会場入口までドライバーに送ってもらい、1人で会場に入ります(A子は既に帰国)。入口で腰に巻く布が貸し出されるので、それを巻きました。18:00開始なのですが、17:30の段階で観光客で席が結構埋まっています。夕陽が沈むのを見ながら待ちます。
18:00になり、ステージ中央に火が灯されます。その頃には、観客席は隙間がないほどの満員御礼でした。
真っ赤な夕陽が海に沈むのとほぼ同時にダンサーが『チャッチャッチャッ』と言いながら入場。総勢50人ほどでしょうか。もう、この段階でバグース氏の言っていた意味がわかりました。声のボリュームが違います。そして、若さもやる気も違います。笑
ショーの前に儀式らしいものがありました。聖水を振りかけていました。厳かな雰囲気。
王子と王子がまず登場。それを歓迎するように、チャッチャッチャッというダンサー達。動画が見せられないのが残念ですが、とにかくすごいボリュームなのです。
写真の左側に白いハノマンがいるのがわかりますかね?
ウルワツでは、観客席からハノマンが登場します。ハノマンが何回も観客席にやって来るので、私のすぐ近くも抜けて行きました。
火あぶりの場面はタナロット同様、ハノマンが火の上を走りました。熱くないのかなー?
終わり方は同じような感じですが、こちらの方がハノマンが英雄のような感じで終わっています。
ウルワツのハノマンは観客席から走り抜けて来たりするので、運動神経&サービス精神半端ないと感じました。笑
19:00頃にショーは終了。その後、希望者はダンサーやパフォーマーたちと写真撮影が
できます。
みんな、快く写真を撮ってくれますが、ハノマンなどの人気キャラは並んで待ったりしなければなりません。ハノマン、近くで見るとこんなに怖い顔をしていたのね…。私の左目が若干モノモライで腫れているのが悔やまれますが…。笑
まとめ
ケチャを見ることが目的なら、絶対にウルワツがおすすめです。本当に動きも声も全然違います。タナロットの2倍の値段を払う価値あり。でも、タナロット寺院の夕陽はオススメなので、ウルワツに行く時間がない方はタナロット寺院→ケチャという流れもまぁアリだと思います。(そこまでケチャに求めないのであれば…。orとにかく安くケチャが見たいのならば…。)
2つ行く場合はタナロット→ウルワツの順で行くといいです。逆の順で行くと、たぶんガッカリ感半端ないと思います。笑
個人的には、私のように空港に行く前にウルワツに寄る感じがルート的にはいいと思います。飛行機の時間にもよるかもしれませんが…。
バリ島に行かれた際は、是非ケチャ鑑賞を!たぶん、私みたいに、しばらくチャッチャッチャッと口ずさむことになること必至です。笑
#074 バリ料理を堪能してみた。 (2014.10)
2014年の10月(ギリギリ乾季)にバリに行ってきました。バリ料理は安くてハズレ無し!が基本ですが、恒例の星評価(超独断)をしながら、紹介させていただきます。笑
1.ナシゴレン (nasi goreng) ★★★★★
まずは、日本でもおなじみのナシゴレン。インドネシア語で「ナシ」=「ごはん」、「ゴレン」=「焼く」なので、いわゆる、インドネシアの炒飯ですね。ボリュームたっぷり。ごはんの味付けが絶妙です。目玉焼きを崩して味を変えてもおいしいですが、目玉焼きは硬めだったりします。笑
付け合わせの『せんべい(クルプッ)』もサクサクでおいしいです。かにチップみたいな味ですが、いかにも手作りって感じの、油の残った感じが私は結構好きだったりします。笑
サテと呼ばれる串がついてくることもあります。
2.ミーゴレン (mie goreng) ★★★★★
「ミー」は「麺」のことなので、ミーゴレンはインドネシアの焼きそば。この写真は無料でついてきた宿の朝食です。これまた、甘めのソースがいい仕事しています。お皿についている赤いソースはサンバルと呼ばれるインドネシア名物の調味料ですが、私にはちょっと辛いので使いませんでした。笑
ナシゴレン同様、色々載っていてボリュームたっぷりです。屋台や宿の朝食で出てくるようなチープなもの(でも、味は最高)から、カフェで食べる豪華でリッチなものまで、さまざまです。
スーパーやコンビニで売っているカップミーゴレンもなかなかおいしいです。日本の焼きそばみたいな湯切口がないので、お湯を捨てるのが、一苦労ですが…。あと、付属のフォークが折りたたまれた状態で入っているのですが、力を入れると、フォークがすぐにフニャッとクの字型になってしまうのも煩わしかったりします。笑
インドネシアのスーパーでは色々な種類の袋入りインスタントミーゴレンが売られていますが、日本でも輸入雑貨店(カルディなど)で売られています。3種類のソースが付いていて、結構本格的な味がします。オーストラリアのスーパーでも5袋入りが格安で売られていたなー。懐かしい。
なお、愛知県にあるリトルワールド(世界一周できるテーマパーク)のインドネシア食堂では、インスタントミーゴレンが使われています。650円もするくせに。笑 まぁ、おいしいから許しますが。
ビーフンゴレンもありますが、私はミーの方が好きですね。 こちらは★4つ!
3.ナシチャンプルー (nasi campur) ★★
ワンプレートで色々なおかずが載っていてお得感満載なナシチャンプルー。ガイドブックで見たら大変おいしそうで思わず注文したのですが、このお店のおかずは辛い物が多かったので評価低め。あと、私自身、色々な味が混ざるのを好まないということも★2つの理由です。お店によって載っているものが違うので、いつかリベンジしたいです。1度に色々な味を試したい方にはオススメです。
4.ミークア (mie kuah) ★★★★
バリには色々な麺料理があるのですが、個人的ナンバーワンはこれ。「クア」とは「汁」という意味。醤油ベースの甘いスープが本当においしかったです。上に載っているフライドオニオンがまたいいアクセントになっています。これも、お店によって載っている具や味が違うみたいです。
5.フルーツシェーク (fruit shake) ★★★★★
暑い東南アジアではシェークをたくさん飲みます。これはパパイヤシェーク。マドラーがおしゃれ。
とにかく安くて冷たくておいしいので、オススメです!個人的には、ミャンマーで飲んだ『ココナッツシェーク』以外はハズレなしです。笑
6.ロブスター (udang Bakar) ★★★★★
バリ島ではロブスターも格安で食べられます。値段は時価だけど、全部で4000円もしなかったはず。最後の夜に奮発して食べました。生け簀で大きさが選べたので小さめのロブスターを選んで、カニも追加。新鮮なシーフードの味は言うまでもなく絶品。炭火で焼いただけなんだけど、だからこそ、素材そのままの味が味わえます。
空港近くのジンバラン地区のレストランで、海の見える席に案内されたのですが、日没後で真っ暗で個人的にはムードは微妙でした…。周りはカップルばかりだったので、お一人様の私は気まずかった思い出もあります。笑
7.ソト アヤム (soto ayam)★★★
チキン(ayam)味の春雨ヌードルです。スープが黄色なのはカレー味ではなく、ウコンを入れているから。脂っこいインドネシア料理に飽きたり、胃腸が弱っている時にこそ、食べてほしいような優しい味です。
8.サテ (sate) ★★★★
所謂、串ものです。具材は鶏肉や牛肉が多いらしいですが、ヒンドゥー教徒が大半のバリ島では焼き鳥がメジャー。つくね状のもの(ナシチャンプルーの画像参照)もあります。この写真は甘いピーナッツソースをかけた焼き鳥。サテはタイやラオスでも同名の料理があるのですが、どれも同じようなものです。インドネシア料理だと思うけど、違うのかしら?笑
9.タフ ゴレン (tahu goreng) ★★
インドネシア風の揚げ豆腐。「ゴレン」には「揚げる」という意味もあるのですね。
英語のfryに当たる言葉なのかな?衣がカリカリです。個人的には、1個食べると結構胃にもたれる感じです。笑
10.バッソ (bakso) ★★
インドネシアの朝食の定番で、春雨の入ったスープです。日本の塩粥のようなやさしい味です。具だくさんなのが嬉しい半分、味が淡泊なので途中で飽きます。胃腸が弱っている時に是非食べたい味です。笑
11. パンシット ゴレン(pangsit goreng)★★★
インドネシア風揚げ餃子です。ワンタン自体には味がないので、甘いタレをつけるとちょうどいい感じです。日本で食べている揚げ餃子と比べてワンタンが厚めなので、1つでもボリュームがあります。
以上です。インドネシアの通貨単位はルピア(Rp.)で、100ルピア=1円なので、値段を見てRp.20000とあると一瞬ビックリしますが、実際には200円です。そして、200円ほどでお腹いっぱいになれちゃうのも、インドネシアのいいところです。是非、色々な味に挑戦して、自分のお気に入りの味&お店を探してくださいね。