#270 喜多方ラーメンを食べてみた。(2020.9)
喜多方ラーメンは日本の三大ラーメンの1つで、太くて平たい麺が特徴です。(ちなみに、画像の地図からわかる通り、残り2つの三大ラーメンは札幌と博多ラーメンです。)
高校の修学旅行で喜多方に行った時にも、『まこと食堂』で喜多方ラーメンを食べました。普段は細麺派の私ですが、濃口醤油が太麺によくからまって美味しかった記憶があります。そして、当時の私の眉毛が喜多方ラーメンの麺よりも細かったのも懐かしい。時代だなー。笑
今回は裏磐梯の美術館に行くことが目的だったのですが、バスで喜多方に行けることがわかったので、喜多方ラーメンを食べることも旅の目的としてました。
しかも、結局はバスではなくレンタカー移動なので無敵です。どこへでも待たずに行けちゃいます。
そして、喜多方市に到着しました。看板のスローガン通り、あたたかい街なんですよ、ホント。詳しくは次回にでも…。
今回、行こうと決めていた坂内(ばんない)食堂は朝ラーをやっているお店なので、駐車場も早くから空いてるんですね。私が駐車場に着いたのは11:45。超人気店とは言えコロナ禍だし、この時間に来店すれば並ばずに食べられるかなぁ?なんて考えてました。駐車場もガラガラだったし…。
しかし、その考えは甘かったんです。
うぉーー!!!
いや、コロナに負けずに行列が出来ていることにホッとした反面、15組待ちって感じでしょうか…。しかも、雨予報だったのにまさかの快晴で、汗だくで待つこと30分。
ようやくのれんをくぐれました。
しかし、店内に入ったものの、そこからレジで食券を買うまでにまだ並びました。食券にたどり着くまでの間、カウンターでラーメンを作るチーム坂内の姿を見ることになるのですが、「厨房の撮影禁止」を掲げているのは、フラッシュ撮影とかされたとか、企業秘密を守りたかったとかだったりするのかな。チーム一丸となってテキパキとラーメンを次々と作って下さるからこそ、客の回転は速いので感謝です。
レジで食券を買うと、半券をもらえます。そこから、席が空くまで水を準備して待ちます。食後に長居する客など皆無なので、店内では待ったのは10分くらいですかね。
遂にカウンター席に案内され、あとはラーメンが着くのを待ちます。そして、5分ほどしたら、遂にラーメンが到着しました。遂に…。
見よ、これが坂内の肉そば(1000円)です。 チャーシューが10枚も載っています。これをガイドブックで見て、その美しい盛り付けに一目惚れ。絶対に食べたいと思ったんです。
しかし、肉そばを注文したものの、私の前に並んでいたマッチョな男性陣が普通のラーメンを頼んでいたため、大食いでもない女性(=私)がチャーシュー10枚を食べきれるのが不安でした。が、それは杞憂に終わりました。全然脂っこくないし、薄切りだからどんどん箸が進みます。柔らかくて本当においしいんです。チャーシューの下に麺が隠れているのですが、久々の太麺との再会。食べ応えがあって、やっぱり喜多方ラーメンはこうでなくっちゃね!!
あと、メンマも沈んでいます。チャーシューの箸休めにちょうど良し。チャーシューの柔らかさと、麺のモチモチ感と、メンマの食感がそれぞれ違って、素晴らしい。三位一体という言葉は坂内の肉そばのためにあるんだね。笑
ごちそうさまでした!!!本当においしかった!!大満足!!!!
坂内食堂ですが、喜多方市以外にも支店があります。京都駅伊勢丹内の京都拉麺小路にも入っているし、実はうちの近所(田舎)にも同じ名前の喜多方ラーメン屋さんがあります。
公式HPがこちら。なんと、海外(カリフォルニア)にも支店が!!
※うちの近所の店がHP上になかったから不思議に思ったら、残念ながら閉店したことが判明しました。
私が店を出た頃には行列が少し短く(10組待ちくらい)なってました。
でも、ここの肉そばは並んでも食べる価値あるから、今並んでる人も期待して待っててね。笑
喜多方ラーメン、恐るべし!!また本場で食べたいなー。
#269 諸橋近代美術館に行ってみた。(2020.9)
諸橋近代美術館は福島県北塩原村にある私設美術館で、サルバドール・ダリの作品収蔵数は世界有数(世界第4位で、スペイン以外ではアメリカに次いで第2位)なんだとか。まるで迎賓館のような美しい美術館は昨年創立20年を迎えたとは思えないほどです。
https://dali.jpと言う名前の潔さと、それが認められるほどのダリコレクションがあるからなのでしょうね。
郡山でお世話になったお寿司屋の大将曰く、スポーツ用品店のXEBIOの創業者が諸橋さんと言う方で、この美術館も作ったのも彼なんだそうです。
諸橋近代美術館を知ったきっかけはEテレの『日曜美術館』と言う番組で、当時開催中だった『ダリとハルスマン展』の存在を知ってしまったからです。しかも、私がその番組を録画したものを見たのは、最終日の一週間前でした。週末を使って自分の都合をつければ行けなくはないです。しかし、その美術館があるのは福島県で、しかもアクセスがそれほど良くない場所に位置していまして…。
でも、やっぱり見たいな…。ダリの有名な髭の写真を納めたのはハルスマンだし、ダリの作品は大好きだし…。しかも、その展覧会は全国行脚しないため、福島を訪れなければ見に行くことができないのです。(この作品はスペインのフィゲラスで撮ったものです…念のため。)
と言うことで、滞在時間実質24時間の1泊2日の弾丸旅行をすることにしました。そして、前回書いた通り、愛知~福島間は新幹線を使えばそれほど遠くないことも判明しました。
レンタカーも前夜のうちに予約しておいたので、開店時間の朝8時に向かいました。と言いたいところですが、開店と10分前から店の前で待ってたら、5分前に案内して下さいました。笑
即乗車&出発しました。マーチで福島を廻るぞ!!
松喜鮨の大将は『福島は交通量も少ないから運転も怖くないですよ』って言ってましたが、郡山駅周辺はさすがに車も多く、少しビビりましたよ。高速道路を使えば早く着く(確か9:20到着予定だったはず)ようですが、私は一般道を使うことにしました。到着予定時刻は10:15…。うーん、長い道のりだね…。涙
すると、不思議なことに、到着予定時刻が走るうちにみるみる縮まると言う怪奇現象が起こり、気が付けば諸橋近代美術館に到着したのは9:29でした。笑
開館時刻が9:30なので、高速道路を利用していたらむしろ早く着きすぎたのでは??一般道も高速並みに空いているだけでなく、信号がないのが辛かったです。笑
さてさて、旅の目的地に到着したので、即チケット売場に向かいました。
コロナ対策として検温マシーンがあったのですが、それがダリの顔になってるところがツボです。笑
そして、そのお隣が券売所です。
インターネットで割引画面を見せると100円引きになりました。行かれる方は、↓で事前にチェックすることをオススメします。
コロナ対策で入場制限をしており、曜日や時間帯によっては外で待ったりすることもあるようですが、土曜日の朝1番だったので待たずに入れました。
館内は撮影禁止のため、写真はありませんが、中に入るとミュージアムショップがあり、その奥が入口となってました。なお、ミュージアムショップ隣にトイレがあり、素敵な絵が飾られてましたが、それも撮影禁止ですので気を付けてください。
『ダリとハルスマン』の感想としては、はるばる観に行く価値がありましたよ。ダリの奇抜なアイディアをハルスマンが工夫を凝らして写真にした奇跡の一枚がたくさんありました。中には失敗作品も展示されていて、いかに苦労して完璧な瞬間を収めたものなんだとわかりました。(フィゲラスで見た、このダリの写真も展示されてました。)
さらに、諸橋近代美術館が収蔵しているダリの作品の展示もありました。バルセロナのダリ美術館で観たようなシリーズが多かったですが、中には『THE・ダリ』って感じの、私好みのものもありました。
個人的にはダリの作品を観るならバルセロナ近郊のフィゲラスにある劇場美術館が最強です。ダリ・ワールド全開でテーマパークのように楽しかったです。撮影も自由にできます。
最後に、このハリボテだけは撮影OKでした。
ミュージアムショップも充実していて、今回の企画展のもの以外も可愛かったです。こんなダリモチーフのドリップコーヒーもあり、数も残りわずかだったため、私がほぼ買い占めました。笑
大満足で外に出ると入館前以上に晴れていて、諸橋近代美術館を太陽が照らしてました。池も綺麗で、しっかり手入れされているんだなぁと思いました。
近所にあったら、散歩に訪れたいくらい素敵な場所でした。
『ダリとハルスマン』は翌日に終了となり、その後はセザンヌの展覧会がやっていますが、11/30で休館となるようです。これは毎年冬季は休みにしているからのようなので、また来年の春が待ち遠しいですね。私も、展覧会の内容によってはまた駆け付けます。
ちなみに、レンタカーで行くのが便利ですが、北塩原村のある裏磐梯にはリゾートホテルがあるので、そこに泊まるのも手です。最寄駅は猪苗代駅で、そこからバスも出ていますが、待ち切れない人はタクシーで向かう人もいるそうです。
私は元々
磐梯東都バス 猪苗代駅8:15→諸橋近代美術館前8:39
を利用する予定でした。
東都バスのタイムテーブルはこちら↓
その後は、喜多方へ向かいました。相変わらず信号のない山道でしたが、少しずつ休憩したり後続車に抜かしてもらったりしながら無事に到着。ちなみに、その時も到着が12:15→11:45となるという磐梯マジックがありましたよ。笑
#268 郡山で廻らない寿司屋に行ってみた。(2020.9)
郡山でシースーを喰らいました。
9月初めに、福島県に行ってきましたので、その時のことを書こうと思います。愛知から福島は遠いように思えますが、新幹線を利用すればわずか3時間で行くことができます。私も行ってみてビックリしたのですが、意外に近いんです。距離的には遠いのでしょうが、日本の新幹線の技術進歩により移動時間が短くなったんですね。本当に日本の企業努力って素晴らしい。安かろう悪かろうの某外国とは違います。失笑
福島に行こうと思ったのが出発の1週間前で、色々調べて予約できたのが5日前でした。JTBで、新幹線と選べる宿付きで35200円ーGO TO割引12320円=実質22880円!!!やすっ!!!
選ぶ宿によっては値段が前後しますが、恐るべし、GO TOキャンペーン…。しかし、Go TO TRAVELとかGO TO EATとか、英文法がおかしいから、名称は何とかしてほしいですね。笑
今回のるんぺんのは以下の通りです。
9月4日(金)
のぞみ382号 15:12名古屋→16:51東京
やまびこ149号 17:00→18:18郡山
9月5日(土)
やまびこ154号 18:30郡山→19:48東京
こだま755号 19:57東京→22:37東京
えっ、復路はこだまですか?って思うかもしれませんが、ひかりやのぞみを復路で使うと、別料金が発生したんですよ。往路はのぞみで行けたんですがね…。
9月4日は台風が西日本に接近している関係で、下りは遅延がありました。が、上りも多少影響があるのかと少し心配しましたが、全く問題ありませんでした。晴れ女なんです、私。笑
定刻に名古屋を出発。
車内は思ったよりは混んでましたが、普段と比べたらかなり空いてると思われます。車内も静かだし、食べ物の匂いとかもないし、ゆったりのんびり快適に過ごすことができました。
今日は拝めないと思っていた富士山も、ほんの一瞬だけ雲が途切れて見ることができました。晴れ女なんです、私。笑
東京駅に着いたらすぐに東北新幹線のホームに向かいます。乗継時間は9分しかなかったですが、余裕でした。
こちらがやまびこの車内。私が乗っていた号車には郡山に着くまでにトータル10人も乗車していませんでした。
途中で上野→大宮→宇都宮に停車して、郡山に到着しました。既に外は暗くなってます。(以降、明るい写真が続きますが、暗くて見にくいため、翌日日中に撮った写真を掲載してますので悪しからず)
ちなみに、郡山駅前には緑の扉があります。これの意味、わかりますか?ちなみに、あのネコ型ロボットとは無関係ですよ。笑
緑=グリーン=GReeeeNで、彼らの曲である『扉』をモチーフにしていると思われます。
これは彼らの足跡=『歩み』をイメージしてるのかな?
GReeeeNのメンバーは福島県出身なんですよね。4人の手形やメッセージもありました。若者はここで座ったり、緑の扉をわざわざ通って歩いたりしていました。
さて、私が福島を訪れた目的はまた次回にするとして、郡山に到着してすぐに夕食を食べました。予約はしていませんが、旅の途中で色々検索して、お店は決めていきました。
それがここ、郡山駅から歩いて5分くらいにある『松喜鮨』です。口コミが良かったんです。
廻らないお寿司屋に1人で行くのは宮城県塩竈市以来か…。暖簾をくぐるのに少し勇気が要りましたが、『1人で行っても大丈夫』という口コミを信じて、中に入りました。
18:30過ぎに入店すると、客は私だけでした。女将さんにカウンターに通され、メニューが渡されました。迷った挙げ句、特上握りを注文しました。私の目の前で大将が握ってくれるのですが、『苦手な食材はありますか?』と聞かれました。食の好みを聞いてもらえるのは、偏食の私には大変助かります。
すると大将が『郡山はね、つい最近コロナ患者が出ちゃって、町を歩く人がめっきり少なくなっちゃったんですよ』っておっしゃいました。そうか、コロナ禍はここ福島でもなんですね…。
早速、お寿司が一貫ずつ出てきます。最初はキンメダイでした。脂の乗った身を少し炙った感じが絶妙で、口に入れると思わずニンマリ。普段良いものを食べてない私でも、これは美味しいと断言できます。笑
トロ、キター!!!普段、マグロはそれほど美味しいと思えない(鉄の味が強いので)私ですが、新鮮なものは全然違う!特にトロを口に入れた瞬間に広がる脂の感じは、今この記事を書きながらも口の中で再生されてしまうんです。塩竃の取れたてのマグロも絶品だったけど、福島もレベル高いなぁー。
鉄火巻も美味しかったです。
私の食べるペースに合わせて、少しずつ提供されるのも、カウンターで頂く廻らないお寿司屋のいいところです。他にも、かに、いくら、うに、玉子焼きなど、大将のおすすめのネタを頂きました。
わかりにくいですが、シジミ入りのお味噌汁も出汁が良く出ていて美味しかったです。赤味噌県民の私にとって、白味噌は珍しくて甘くて大好きなのです。笑
口コミ通り、大将はお話好きな方で、私の地元に旅行で来た時の話をして下さいました。何だかんだ1人旅って寂しいので、カウンター越しに話し相手がいるのってとっても心強いんです。
更に、『なんで福島に来たんですか?』と聞かれ、目的地を答えると、『電車で行くんですか?福島はレンタカーの方が楽でいいですよ。車の量も少ないから運転も怖くないでしょうし。』と言われました。そう、電車とバスで向かう予定だったんですが、乗継が悪く、早起きしないといけなくて悩んでたんです。そうか、レンタカー、いいかもなぁ…。運転嫌いの私は、初めから車は選択肢になかったのですが、やはりレンタカーかなぁ?
大将は最近、カーシェアリングを始めたらしく、郡山駅近くのレンタカー会社の名刺兼クーポンを下さいました。で、大将の話を聞くうちに、福島を廻るには車が便利なんだなーって思いました。ほんと、来てみないとわからなかったです。
お寿司の美味しさはもちろんなのですが、そういう大将の人柄も素晴らしくて、このお店がますます好きになりました。オススメです。また郡山を再訪する際は寄らせていただきます。早くコロナが治まって、郡山にいつもの活気が戻ることを祈っています。
1人旅をする際、地元の方の情報がガイドブックよりも的確だったりするので、たくさん情報がもらえて良かったです。以前、塩竃でお世話になったお寿司屋さんでも、震災後の情報がない中、最新情報を教えて頂いて助かりました。東北旅行では、いつもお寿司屋さんに助けられてますね。笑
~2021.1.13追記~
実は、レンタカー会社のクーポンを大将から頂いたのですが、結局使わなかったため、お礼の品と共に9月に送ったんです。そしたら、大将から年賀状が届きました。お口に合ったようで、嬉しい限りです。
大将から教えてもらったレンタカー屋さんはあいにく既に閉店してましたが、宿へ向かう道中で日産レンタカーを発見しました。閉店30分前でしたが、翌日の空き状況を尋ねるとマーチが空いてるとのことなので予約しました。他社が8:30から空いている中、朝8:00から空いているというのもポイントが高い!!
宿はこちらのドーミーイン。天然温泉が売りで、大将のご自宅はここからすぐとのことでした。笑
部屋も清潔で問題なし!素泊まりだけど、アメニティも最低限揃っているし、十分過ぎるくらいでした。
翌日は旅の目的地へ向かいました。
#267 続・山下清原画展に行ってみた。(2020.9)
昨年末に湯布院の山下清原画展に行って以来、清画伯の作品に魅了されてしまった私なのですが、実は岐阜県高山市にも山下清原画展があるのです。ずっと行きたかったのですが、コロナ云々もあったりでなかなか行けず、最近ようやく念願の訪問が叶いましたのでその報告をさせていただきます。ちなみに、湯布院は撮影NGでしたが、高山は撮影OK(でもフラッシュ撮影はNG)でした。
湯布院の様子はこちらをご覧ください。規模はほぼ一緒です。
入館料は1人700円ですが、JAF会員は割引があるようです。山下トンネルを抜けて、いざ中へ!!画伯の原画が116点展示されているとのことです。わくわく♪
「日本のゴッホ」こと山下清氏(以下、画伯)は「裸の大将」で有名な画家で、ちぎり絵細工のイメージが強いですね。
でも、実はペンでも絵を描いていたりします。湯布院では桜島のペン画がたくさん展示されてましたが、高山では三重県の夫婦岩のペン画がありました。
3歳の頃にかぜが悪化して命の危険に陥り、軽い言語障害、知的障害の後遺症を患いました。白ランニングシャツに短パンがトレードマークの彼の有名な台詞である「お、おにぎりが、す、好きなんだな」がどもっているのはそう言う理由があるんですね。
その後、知的障害児施設の八幡学園でちぎり絵細工と出会い、才能を開花させました。原画展に書いてある説明によると、はさみを持たせるのは危険だと言う理由で学園ではちぎり絵をやらせていたようです。
そんな彼は18歳の時に突如学園を脱走し、1940年~1955年まで放浪(以下:るんぺん)をしました。その理由は徴兵検査を受けたくなかったからのようで、何度か連れ戻されてはるんぺんを繰り返しました。(結局、知的障害のため兵役免除となったようです)
こちらが画伯がるんぺんを繰り返した際の反省文です。湯布院でもありましたが、高山にもコピーがありました。以下、原文ママですが、仮名遣いのみ現在の表記にしました。
僕は毎日毎日うろうろして
遠い所迄歩いて行ってるんぺんをして居るのは
自分でもるんぺんと言う事はよく成いと言うのは知って居て
るんぺんをして居るのは自分のくせか自分の病気だろうと思うので
毎日うろうろして歩くのはくせか病気だから
くせか病気は急になおら無いから
だんだんと其のくせをなおそうと思って居るので
今年一ぱいるんぺんをして来年からるんぺんをやめ用と思って
学園の先生とそうだんをしたので
幾らくせでもなおそうと思えば今からでもすぐ其のくせがなおると言われたから
今度からるんぺんをするのを思いきってやめ用と思います
もしるんぺんをした場合は病気と思われてもかまいません
昭和29年4月11日 山下 清
るんぺんへの未練タラタラな感じが伝わってきますね。まぁ、昭和29年=1954年なのでこの後もるんぺんするんですけどね。笑
画伯のすごい所は所謂カメラアイの能力を持っているところで、るんぺん先ではほとんど絵を描くことがなく、学園や実家に帰ってから記憶をもとに描いているんですって。
細かいところまでしっかり覚えていて、すごいですよね?画伯の作品は実際間近で見ることをオススメします。ほんと、素晴らしい!!の一言ですよ。
そんな画伯は1971年に49歳の若さで脳出血で亡くなりました。原画展の説明によると、最期の言葉は「今年の花火はどこへ行こうかな」だったそうです。
確かに、画伯と言えば花火画!!隅田川、諏訪湖、長岡などの花火大会の様子を描いた作品がたくさんあり、画伯は花火大会を実際に見に行っていたようです。花火をたっぷり現地で堪能した後、家で余韻に浸りながらちぎり絵を作る画伯の姿が目に浮かびます。
ちぎった紙を貼るのは紙の上だけではありません。
ちぎり絵だからこそ、レコードも作品となるのですね。
では、ここら辺で、私が気に入った作品を一気にいくつか紹介します。
うーん、写真ではなかなか伝わらないのがもどかしい…。
ほんと、まじまじと作品を見てしまいました。ずっと見ていられる。
山下トンネルの前にお土産コーナーもあり、湯布院では売られていなかった画集がこちらではあったので購入しました。
で、不思議なことに、この山下清原画展はガイドブックには全く掲載されておりません。何種類かのガイドブックを確認しましたが、なぜか未掲載。こんなに楽しいところなのに、わかってないなって感じです。まぁ、逆に知る人ぞ知る穴場的な存在なのもいいですがね。でも、もっと知られて、たくさんの人に画伯の作品を見てほしいという想いがあります。気になる方はHPをチェック!コロナの関係で短縮営業しているようです。JR高山駅から徒歩圏内ですが、自動車で向かう場合は専用駐車場がないため、近くのコインパーキングに停める必要があるのでご注意を!「山下清なりきり撮影スポット」をやり損ねたので、またいつか再訪しようっと。笑
最近、職場で画伯の話をしていたら、長野県の諏訪湖近くには放浪美術館があると教えてもらいました。同僚曰く、ベンチに座る画伯と写真が撮れるとのこと。行きたい・・・・。るんぺんばかりしたくなる私も恐らく病気です。むしろ、病気と思われても構いません。笑
そういえば、るんぺんは相変わらずちょこちょこしつつも、ブログ更新をずっと怠ってました。すみません。すぐに書きたいことを書かずにるんぺんばかりしてしまうのは自分の癖か病気だと思うのですが、いくら癖でも直そうと思えば今からでも直せると思うので今日から頑張ります。
令和2年10月20日 mura306
#266 チェスキー・クルムロフに行ってみた。(2009.8)
チェコ2日目はチェスキー・クルムロフという街に行ってきました。
首都プラハがポーランド寄りであるのに対し、チェスキー・クルムロフはプラハから南へ、 オーストリアとの国境付近に位置します。 日本ではマイナーな観光地ですが、街全体が世界遺産に登録されている町なんですよ。
ポーランド・チェコ・スロバキアが1冊になったガイドブックのページを見ていた時に、私の目に留まったのが、このチェスキー・クルムロフでした。本の巻頭に載っていた絶景写真を見て、 「ここに行きたい!」って思ったのです。
チェスキー・クルムロフへの日帰りツアーのパンフレットがプラハのホテルにあったのでチェックイン後すぐに翌日のツアーを予約しました。
当日は朝ホテルまでツアーのお迎えが来ました。その後、この銀行前でアメリカ人の母娘2人と、日本人女性1人が乗ってきました。10時前にプラハを出発し、ツアー開始です。
よく見ると、LBBW銀行の屋根がユニークでした。笑
日本人女性は私と同じくらいの歳で、アメリカ人親子との英会話からマルタでの英語留学が終わりヨーロッパを廻っているということがわかりました。盗み聞きするくらいなら話しかければいいのですが何となくタイミングを逃してしまい、人見知りの私は話しかけることができず、行きの車内は完全無言でした。
そんな中、私の携帯が鳴りました。当時の私は中学校教師をしており、部活動でお世話になっていた他校の先生からの電話でした。本当は旅行中に仕事の電話なんて出たくないのですが、仕方なく電話を取りました。
私「はい」
他校教師『あ、先生、今大丈夫ですか?』
私「すみません、今海外なんです…。」
他校教師『えー、すごいですね!!どこにいるんですか?』
私「…チェコです…」
他校教師『えー、旅行ですか?いいですねーー。で、今度うちの学校で練習試合があるんですけど、是非一緒にいかがですか?日にちは8月〇日で、今のところ〇〇中と、××中が来ます。それから…』
私「あの…。今手元に部活動予定表がなくてわからないので、副顧問のKの電話に掛けてもらってもいいですか…?」
他校教師『あ、そうなんですか?わかりました、そうします。失礼しまーーす♪』
…。
せっかく現実逃避で海外に来たのに、お前の電話のせいでぶち壊しだよ!『どこにいるんですか?』じゃねーよ!!海外にいるって私が正直に答えたのは、旅行自慢したいからじゃなくて、金かかるから早く切りたかったからだなんだよ!!!察しろよ!!!!
察・し・ろ!
と、怒りに震えた後は、車窓の田園風景にもそろそろ飽きてしまい、1時間くらい爆睡しました。が、中央分離帯のない片側1車線の高速道路で、隣の反対車線に入り、遅い車を追い越すのを見て、私の目は覚めました。追い越しをしてる時に、対向車が来るのが見えるとドキドキものでした。だって、スピード150kmとか出てますからね?今なら途上国で見慣れた光景ですが、当時の私にはこのチェコでの追い越しは衝撃的で、ハラハラしましたね…。
そんなこんなでチェスキー・クルムロフ到着。 楽しみだなー。
すぐにレストランに向かうと言うことで、そこまでを歩いたのですが、その時にマルタ帰りの日本人女性と会話をしました。どちらから話しかけたかは忘れましたが、今更ながら自己紹介をしました。まぁ、お互いにアメリカ人親子に自己紹介しているのを盗み聞きしていたので知っていたんですがね。笑
その女性はHさんと言い、神奈川在住の看護師さんでした。年齢は私より少し上なのですが、とても気さくで話しやすい方なのと、趣味や好みが似ていてすぐに意気投合しました。そして、Hさん、かなりの美人さんなんですよ。笑
レストランではランチが選べました。Hさんはこれをチョイス。おいしそーー。
一方、私が選んだのはジェノベーゼパスタなのですが、上にかけられたチーズが途中からくどかったかな。そもそも、見た目もイマイチですね。笑
で、昼食後は、30分ほど自由時間があり、2人で写真を撮りに街を歩きました。そう、2人とも写真好きと言う共通の趣味があったんです。
橋を渡りました。
チェコ名物、マリオネットおじさん、発見。
私はプラハのカレル橋上でマリオネットおじさんの演奏を聴きましたが、Hさんは出会えなかったそうで、ここで出会えて嬉しそうでした。
ボリウッドの撮影現場にも遭遇。この時は2年後にインドを旅するとは思わなかったなぁ…。笑
そして、チェスキー・クルムロフ城の中に入る時間になりました。チェスキー・クルムロフ城は13世紀に建てられ、その後次々と増築が行われたようです。わかりにくくて申し訳ないですが、この画像の左部分が最古の建物(フラーデクHrádek)です。
お城のお堀にクマ4匹がいたのがびっくり。少なくとも18世紀からいるそうです。名古屋城のお堀にはシカがいますが、こちらはクマなのですね。笑
お城の中を広末涼子似の城案内ガイド(チェコ女性は卵型の輪郭に薄い唇を持った、広末似の顔立ちが多いような気がするのです。笑)に案内してもらいました。 このガイドさん、台詞を暗記しているからか、目をつぶりながらひたすら説明くれました。時々ため息をついたり、過呼吸にでもなったかのように思いきり息を吸ったりして、私たちを不安にさせました。彼女、何かが憑依してないかね?笑
城内はこんな感じでスロープになっていました。
窓を覗くと、オレンジ屋根が見えてきました。これから一番高いところへ行った後のことを思うと胸躍ります。
で、お城を上り終えたとき、プラハとはまた違った美しい景色が待ち受けていました。
これですよ、私が見たかった絶景は。相変わらずオレンジ色の屋根の建物が並び、緑や川と上手く調和されてて、ひたすら感動。
先ほど歩いていた橋がこんなに小さく見えました。ちなみに、この川はヴルタヴァ川つまりモルダウ川です。
絶景に大満足し、プラハに戻る時間になりました。帰りは、行きの車内3時間の沈黙が嘘のように、Hさんとひたすらしゃべりました。 仕事話やら恋バナやら…。アメリカ人親子にも「あなたたち、とても仲いいね!え、今日出会ったばかりなの?」と驚かれるほど。笑
で、あっという間にプラハ到着。20時近いですが、まだまだ明るかったです。
せっかくなので、夕食を一緒にとることに。本当に、Hさんとこんなに仲良くなれるなんて思わなかったです。
チェコってビールが安くておいしい国らしく、Hさん曰く1杯150円位なのだとか。私はお酒がほとんど飲めない体質なのですが、Hさんに一口もらった黒ビールは飲みやすかった…ような気がします。笑
2009年当時、チェコでメジャーだったのは一番左のPilsner Urquell(ピルシュナー・ウルクェル)でした。
街中にも看板がたくさんありました。
で、二人でひたすら語り、いつか再会することを願ってお別れしました。そして、翌朝、私はデンマークへ、Hさんはドイツへ旅立ちました。なお、Hさんとはその後も日本で何度か会ったのですが、今は国際結婚し、ドイツに住んでいます。超・弾丸旅行で結婚式にも出席してきました。笑
あと、Hさんが留学していたマルタという国にも興味が出てきた私は翌年旅をしました。
本当は今年の夏にオランダへ行く時にドイツ経由にしてHさんに会うことを決めていたのですが、コロナのため航空券を泣く泣くキャンセルしました。Hさん曰く、ドイツはまだ気軽に観光できる状態じゃないようなので、また落ち着いたら会いに行くことにしています。早く会ってたくさんおしゃべりしたいなー。
#265 チェコで1000円コンサートに行ってみた。(2009.8)
プラハでクラッシックのコンサートに行ったので、その時のことを今回は書きます。
気がつけば4時半。お城近辺に何時間いたんだろうか?笑
で、カレル橋の方に戻ろうとすると、コンサートのチラシがちらほら配られていました。1枚目は4曲のパイプオルガンコンサートでした。しかし、知っている曲がなくて、イマイチピンと来なかったのです。
もう少し歩いたら、2枚目のチラシをゲットしました。それはバイオリンのコンサートで、15曲くらいのセットリストを見ると、知っている曲が半分くらいでした。てことで、その場でチケット購入。 開演時間までスタバで時間を潰し、いざ会場へ。
5名の演奏者でのクインテッド演奏でした。1曲目はモーツァルトのLittle Night Musicで、私の中で一気にテンションが上がりました。プロの生演奏は本当に迫力があります。他には、トロイメライ、美しく青きドナウ、天国と地獄を演奏してくれ、最後のアンコールがハンガリー舞曲でした。
あっという間の1時間で、思わずCDまで買ってしまいました。笑
なお、ドレスコードのないカジュアルなコンサートなのですが、チェコ人はドレスなどで着飾っていて、大変素敵でした。まぁ、カジュアルな恰好でも浮くことはないので全然大丈夫でしたよ。ドレスで着飾るチェコ美女は本当に美しかったです。
その後、夕食は1人でチェコ料理のレストランへ行き、チェコ料理を初体験。
単品をいくつか頼み、約6000円ほどの高級ディナーでしたが、チェコ料理、ウマイんです。こちらは牛肉のグラーシュ。元々はハンガリー料理のグヤーシュかな?ビーフシチューですね。大好きな味で、1人でウマイ、ウマイと小声でつぶやきながら食べました。
最後にはスイーツも注文。スタッフのお兄さん(なぜか、ボブサップみたいな黒人)もいい人で、私が1人だからか、気さくに話しかけてきてくれたのも嬉しかったです。
個人的には、酸味の強いポーランド料理はあまり口に合わなかったので、チェコでおいしい料理に出会えたのは本当にありがたかった!!なお、今気付いたのですが、このレストランの店名がMUCHA(ミュシャ)で、絵もありますね。笑
そうこうしてるうちに、20:00になりました。やっと暗くなったって時刻です。 旧市街に行ったら、ライトアップされた夜景がきれいでした。 昼間に見た風景なのに、全然違って見えました。
この天文時計は旧市庁舎塔の下部にあり、2つの円が並んでいるのがユニークです。感想を言うならば、時間が読めねーーー。笑
それもそのはず、上の円は太陽と月などの動きと共に、年月日と時刻を表しているようです。この写真は2009年8月7日午後6時45分頃に撮ったと思うのですが、読めねーーー !
下は黄道12宮と農村における式の作業を描いた暦で、一日に1目盛り動くらしいです。
翌日は、チェスキークルムロフに日帰りで行ってきました。そのことは次回書きます。
#264 プラハ城に行ってみた。(2009.8)
プラハ城は、高台におびえており、ヴルタヴァ川(=モルダウ川)からだと、オレンジ屋根群の頂にあります。
前回書いた通り、像の立ち並ぶカレル橋を渡り、プラハ城に行きました。
その途中で、日本を出てからまだ数日ですが、醤油が恋しくなったので、中華料理屋に行って焼きそばをいただきました。
えぇ、京都飯店と言う名のお店で。笑
満腹になったところで、マラー・ストラナ広場に着きました。後述しますが、この広場では、コンサートを楽しむことができました。
マラー・ストラナ広場からプラハ城はもうすぐなのですが、上り坂を上っていかなければいけません。
途中でマスクを売っているお店がいくつかありました。なぜか、チェコではこのようなマスクがやたらと売られています。笑
坂を上りきると、先ほどまで自分がいた東岸の景色が突然現れました。突然現れた絶景に感動しました。
ようやくプラハ城の入口に到着しました。プラハ城は9世紀半ばに建築が始まり、現在のような姿になったのは14世紀のカレル4世の頃のようです。プラハ城とひとくくりにする中には、王宮だけでなく教会や美術館、修道院、果ては大統領府まで敷地内にあります。そのため、チケットも全ての建築物に入れるものから、1つの建築物に絞られたものまであります。
プラハ城内には、衛兵さんの姿も。
交代式は毎正時に行われています。某歩き方によると、プラハ城の衛兵は美形が多いと評判らしいです。笑
プラハ城の一番有名な建築物は、聖ヴィート大聖堂だと思います。中庭をいくつか抜けると、急に目の前にそびえたつゴシック建築様式の大聖堂はとても迫力がありました。写真を撮ろうとしても、全体を写そうとするとかなりしゃがまないと撮れないくらい。なお、私はここに入れるチケットを買わなかったため中に入っていませんが、大聖堂内のステンドグラスも美しく、中にはチェコ出身の芸術家ミュシャ(チェコ語ではムハ)作のステンドグラスもあるとのこと。当時の私はミュシャを存じ上げていなかったので、見ていないのが悔やまれる…。
こちらが大統領府。今、これを書いていて知りました。笑
このかわいらしい建物は聖イジー教会です。
・・・ごめんなさい、プラハ城のことをあんまり覚えてないので説明が雑ですね。
あ、でも、次の写真のことはよく覚えています。
聖イジー教会の近くの路地を進むと、道路工事をしていました。8月だし暑いのはわかりますが、水着姿で、しかもやる気なく作業する美女の姿が衝撃でした。潮干狩りでもしているのかな?と言うか、チェコは美女が多い!私がこれまでに訪れた国の中で、チェコ女性がナンバーワンだと思います。異論は認めます。笑
そんな工事中の道を抜けたところに黄金小路と呼ばれる通りがありました。
ここでの目玉はこの青い家です。
作家のカフカの家とのことで作業場として使われていたそうです。『変身』で有名ですね。
そろそろ帰ろうと思った時に、撮った一枚。
ほんと、チェコはどこを切り取っても絵になる景色です。
次回はコンサートについて書こうと思います。
#263 プラハのカレル橋を歩いてみた。(2009.8)
2009年の8月に、チェコ旅行に行った時のことをまだ書いてなかったので何回かに分けて書こうと思います。あれからもう10年半経過していることにビックリ。当時の記憶やSNSに残っている日記を参考に書きます。ずっと書きたかったのですが、いつも遠回しにしてました。笑
正直、チェコにはそれほど期待してなかったのですが、結論から言うと訪れて大正解でした!これまで訪れた国の中で、景色の美しさではベスト5に入ります。
どうして寄ったのかというと、日本→ポーランド→北欧を廻る際に、たまたま途中にチェコがあり、地球の歩き方ポーランドにチェコとスロバキアがセットで掲載されていたから『じゃあ寄ってみるか…。』と言う感じで寄ったのです。
ちなみに話は少し逸れますが、プラハはチェコ語でPrahaなのですが、英語ではPragueとなります。まぁ「ニホン・ニッポン」と「Japan」の表記差と同じなのですが、私は初めPrague=プラハとは思わなかったため、念のため説明させて頂きました。
ちなみにポーランドでは友達Mに会ったり、アウシュビッツに行ったりしたのですが、残念ながら写真のデータが飛んでしまったため、一旦省きます。デジカメでたくさん撮ったのになー。
ガラケーに残っているのは数枚の写真だけ…。
ワルシャワ22:40発予定の夜行バスでチェコの首都プラハに向かいました。何だかんだで23:15過ぎにバスが到着したり、eチケットを見せたら書類が足りないと言われた(けど、ネイティブ通訳Mの説明で解決)り、ほぼ満席の車内では隣のスペイン人と肘掛け争奪戦をしたり、トイレ休憩でチェコに入国したと思って両替したらまだポーランドだったり、自販機で間違えてコーラを買ってしまったり(私は炭酸が苦手なのです)と、一晩で色々ありました。号泣
でも、そんな不幸続きの私のテンションがアガる光景が。チェコに入国したとたん、オレンジ色の屋根の家ばかりが見えてきたのです。 そして、プラハに到着。
フローレンツ・バスターミナルに到着しましたが、辺鄙な場所のホテルを予約したため、タクシーで宿まで移動(今ならタクシー移動するような立地の宿なんてありえないけど、当時の私はお金で安全を買ってましたw)し、荷物を宿に置いてから地下鉄でプラハ中心部まで移動しました。某歩き方にホテル情報はおろか、宿周辺地図すらも載ってなかったし。号泣
地下鉄駅構内はこんな感じ。
ポーランド同様、質素で無機質な感じが東欧だなぁと思いました。
パリほどではないけど、近未来っぽいスタイリッシュなデザインのプラットホームは、 メタリックで巨大なレゴブロックが壁中に貼られているような感じでした。レトロ電車はなぜか3人がけの向かい合わせで、きれいだし、おしゃれでした。
駅ごとに違うデザインが面白かったです。
地下鉄Náměstí Republiky駅から出るとすぐに火薬塔が見えましたが、歩いてカレル橋を目指しました。チェコのガイドブックでは、この橋の写真がよく載ってるので、とりあえず行ってみようと思ったのです。ちなみに、夜中から何も食べておらず、かなりの空腹状態だった私は、カレル橋を適当に渡って、その先で早くごはんを食べたいって気分で地下鉄に乗っていました。
しかし、着いてこの絶景を見たとたん、思わず鳥肌。 今まで見てきたどの風景よりも美しい景色がそこにはあり、 思わず涙ぐんじゃいました。見渡す限り、オレンジ屋根の建物と、その頂にあるプラハ城。 そして、この絶景を映すモルダウ川。そう、スメタナ作曲の『モルダウ』はここプラハにあるのです。上手く表現できないんだけど、本当に美しかったです。さっさと素通りするはずが、写真を撮ったりして、何だかんだで30分はこの景色を眺めていました。笑
そうそう、このモルダウ川ですが、チェコ語ではヴルタヴァ川(Vltava)と言います。モルダウ(Moldau)はドイツ語読みです。某歩き方ではヴルダヴァ表記なので要注意です。
これ以降、私はオレンジ屋根の広がる世界遺産の虜となり、いくつか廻ることになります。(この写真はポルトガルのポルト歴史地区)
カレル橋には石像がたくさん設置されています。その多くがキリスト教に関するものです。
聖人像は全部で30体。十字架像を背負った「THE キリスト教」なものもあるのですが、
たぶん、チェコ的に見てほしいのはこれ。唯一のブロンズ像の聖ヤン・ネポムスキー像で、ここにある聖人像の中では最古のようです。
彼の足元にはこんなモニュメントも発見。
たくさんの観光客が触れたことがわかります。触ると幸運が訪れると言う、世界中の観光地でよくあるやつです。もちろん、私も触りました。笑
クリスチャンではない私にも馴染みのあるものがありました。空に手を仰いでいる、この石像の頂にいる人物は誰だと思いますか?答えは、宣教師フランシスコ・ザビエルです。特徴的な頭の頂点が見えませんが、社会の時間に勉強した「あの肖像画」は本人ではないという説もあるようですよ。笑
ザビエルの足元には髷を揺った日本人の姿も。侍がザビエルを支えているのは、鎖国寸前にキリスト教が大流行した日本の様子を表現しているのだろうか?いろいろな顔や衣服の人間に支えられていることから、アジアでのキリスト教布教の成功を表しているようにも見えます。
この橋ではパフォーマーもいます。似顔絵描きがたくさんいる中、私が夕方に通ったときはマリオネットがカルメン(ビゼー作曲)に合わせてギターを弾いているパフォーマーのおじさんがいました。音に合わせてマリオネットが器用に動く様子はまるで生きているみたいでした。
たぶん、このおじさん、「地球の歩き方2006&2007版」の表紙絵のモデルですよ。
橋を渡れば、プラハ城は目の前。で、京都と言う名の中華料理屋で安く昼食を済まし、プラハ城へ。 そこは高台にあるので、さっき橋から見た景色とは反対側の景色が見えました。 これまた絶景。全然見飽きなくて、ずーーーっと見てました。詳しくは次回で書きたいと思います。
#262 インドのカースト制度について思うこと。
カースト制度とはヒンドゥー教における身分制度のことで、インドではジャーティとかヴァルナと呼ばれ、後述する4つの階級に分けられますが、その中でも細分化されており、同じ階級内でも身分の上下があるようです。細かく分けると、その階級の数は3000とも言われています。
1950年にインドの憲法が改正されたことによりカーストは廃止されたと言われていますが、現在も根強くインドに残っているように思えます。現インド憲法では、カーストの異なる者同士の結婚が認められているようですが、実際には同じカーストか近いカースト同士での結婚が好ましいとされています。実際、私がインドのベナレスで泊まった宿のオーナーも、親が決めたお見合い結婚だったと言っていました。なお、以前ネパール人の知り合いからカーストの話を聞いたことがあるので、ヒンドゥー教徒が大半を占めるネパールでもカースト制度は残っているようです。
インドの4つのカーストですが、高い身分から順に挙げると、
①バラモン(司祭)
神聖な職に就けたり、儀式を行える身分。
②クシャトリヤ(王族・武人)
王や貴族など武力や政治力を持つ身分。
③ヴァイシャ(市民・商人)
製造業に従事する身分。
④シュードラ(奴隷・労働者)
農牧業や手工業など生産に従事する身分。
となります。当然、ピラミッドのように身分の高い人の割合ほど少なくなります。
カーストは、職業で分けられているのですが、その職業は世襲制となっており、先祖代々の職業を子孫が受け継ぐ形となります。親がリキシャーワーラー(人力車の運転手)なら、子も孫もリキシャーワーラーなのです。IT産業などの新しい分野でも、その人の元々のカーストによって上下関係があるとのこと。
日本の飲食店だと、ホールとキッチンのように係分担がされていても忙しい時はキッチン係が料理を提供したりするし、テーブルのお皿を片付けている店員に注文や会計をお願いしても問題ありません。しかし、インドでは清掃係に料理の注文をすることはできません。係が細かく分けられており、一般的に汚い仕事ほどカーストが下になると言われています。例えば、テーブル掃除と床掃除では、テーブル清掃係の方がカーストが上になるのです。世襲制のカースト制度には、雇用安定の意味もあるようなのですが、「それは私の仕事ではありません」が良くも悪くもまかり通っているのも何だかなぁ…。
また、警察官は③ヴァイシャに属するとインド人から聞いたのも意外でした。だから、ACなしの2等車で移動していたのかな…?
私たち旅行者でもカーストの階級は何となくわかります。カーストの高い人は全身スーツやブランド物でビシッと決めていたり、インド人の中では肌が白いです。そして、カースト下位の人の衣服はボロボロだったり、髪の毛がボサボサだったり、肌が黒かったり垢まみれだったりします。全員に当てはまるとは思いませんが、カーストと身だしなみの関係はあるように思えます。
私がインドを旅した時、カースト制度を痛感したことが何度もありました。その時のエピソードを2つ紹介します。
まずは、インド名物の値段交渉をリキシャーワーラーとしていた時のことです。ワーラーに目的地を告げると強気な値段だったため、いつものようにお互いに値段を言いながら交渉していました。
すると、ビジネスマン風のインド人男性が現れ「どこに行くの?」と私に尋ねてきました。行き先を告げると、「それなら〇ルピーだ」と言い、ヒンドゥー語でワーラーに強く言いました。言葉は全く分かりませんが、何を話しているのかがわかりました。
すると、その男性は「〇ルピーで行ってくれるよ」と言って去っていきました。そう、インドでは自分より高いカーストの人の言うことには絶対服従なのです。このようなことは、他のお店で値段交渉をしている時にもありました。何も言い返せないワーラーや店主の顔を見て、何だか申し訳ない気持ちを抱いたと同時に、些細な金額でゴネた自分を恥ずかしく思いました。
#062でも、プシュカル行のバス内でインドカーストの闇を目の当たりにしました。
次に、5つ目のカーストについてのエピソードです。先述の通り、カーストは4階級なのですが、実はカーストに含まれない⑤ダリット(不可触民)が存在します。ダリットはハリジャン(ガンジーにより命名された、「神の子」と言う意味)とも呼ばれ、カーストに含まれない被差別民のことです。その数は2億人(日本の総人口以上!!!)とも言われてます。具体的には、屠殺や皮革、糞尿処理、遺体処理、葬儀屋などの所謂穢れた仕事を生業としていたり、物乞いなどで貧しい生活をしている人たちもいます。
日本にもかつて士農工商に含まれない穢多・非人と呼ばれる身分がありましたが、インドと日本では決定的な違いがあります。それは、いくら努力をしても職業が選べない・変えられないことです。現実を受け入れてあきらめるか、改宗して転職するしか生きる術はないのです。
また、学校に通うこともできず、物乞いをする子どもたちが町中にいます。物乞いにも色々な種類があり、ただお金をせがむ子もいれば、芸をしてチップをもらう子もいます。恐らく、インドを旅したことのある人は、初めて物乞いに出会ったときに戸惑ったのではないかと思います。私もその一人です。物乞いから求められた時、金銭を与えるべきか…?インドに訪れる度に考えさせられますが、4回訪印しても、まだ自分の中で答えは出ていません。ただ、金銭を与えるのも、無視するのも、どちらも間違っていないと思うのです。それぞれが実際に見て、感じて判断して行動すればいいと思います。
そんなカーストも、1年に1日だけ廃止される日があります。それが3月の満月の日に開催される奇祭り、ホーリーです。普段は身分制度に苦しめられている人たちもその日だけは無礼講。ホーリーでは神様がインドからいなくなるので、酒やドラッグもセクハラも無礼講となっている無法地帯ですが、楽しいですよ。行動予測不可能の子どもが怖いし、後始末が大変だけど。笑
と、今回は真面目にインドのカースト問題について書きました。日本は恋愛結婚や職業選択の自由が認められていて、私たちは幸せですね。次回こそは、前々から書きたかった旅行記について書きたいと思います。(ほぼ仕上がっているのに後回し…)インドのこともまだまだ書いていないことがあるので、またそのうち…。
#261 愛すべきインドのあるあるをまとめてみた。笑 (後編)
♪インドあるあるを 言いたーい♪
♪インド あるある~♪(RG風)
…すみません。笑
前回に続き、インドあるあるについて書きます。今回も、インドを訪れたことのある方なら、頷いていただけると思います。笑
その前に、今回も笑えるインドの写真をどうぞ。このタクシードライバーは、我々乗客に対して『喉乾いた。水持ってない?』と言い、インド式ラッパ飲みで私の水を搾取したのです。インドでは唾液は不浄とされているため、このような間接的な飲み方になるのですが…。もう既に私が直接口をつけて飲んでるから不浄MAXの水だし、そもそも乗客から水を奪うなよ!!!笑
・・・と言うことで、インドあるあるの後編を始めていきます。
⑨返答がみんな違う
道がわからないときにインド人のおじさんたちに聞いてみたら、全員が違う方角を指差したことがあります。『インド人は嘘つきだ』と言う声が聞こえてきそうですが、インド人は嘘つきなのではなくてただ自分の意見を正直に言っているだけなのです。困っている私のために、各々が(正しいかどうかは置いておいて)自分の答えを述べた結果、私をますます困らせてしまったのですが、これも彼らの親切心から来ているものです。インド人がよく口にするフレーズの1つに、『君が幸せなら、僕も幸せだ』と言うものがあるので、誰かの助けになりたいという気持ちは強いと思われます。もちろん、悪徳インド人もいるとは思いますが、私はそのような人には出会ったことがありません。運がいいだけかな?笑
でも、さすがにマイナーなバスターミナルに行くのに4時間もインド人に振り回された時は疲れましたけどね。笑
⑩インド人は地図が読めない
インド人はなぜか地図が読めない人が多いです。そのため、地図を指しながら『ここに行きたい』なんて言ってしまうと、いつも以上にとんちんかんな場所にバシルーラされてしまいます。笑
インド人に道を聞くときは、行き先の名前を言ったり、写真を見せたり、他の有名なランドマークの名前を挙げたりするといいです。あと、心配なときは何人に尋ねてみると道順の信憑性が高くなります。笑
⑪ジェスチャーが独特
インド人は『no』の時に首を縦に振り、『yes』の時に首を横にかしげます。だから、例えばタクシーに乗るときに行き先を告げると首をかしげますが、これは『OK』のサインですのでご安心を。わかってない訳ではありません。笑
あとは、トイレに行きたいときには小指を立てます。日本で言うところの『彼女』を意味するジェスチャーです。私は使ったことがありませんが、トイレに行きたいときに是非使ってみてください。笑
⑫タクシーで土産物屋に連れていかれる
インドには、乗用車のタクシー以外にも、 オート三輪のリキシャー(トゥクトゥクとも呼ばれる)や
人力のリキシャーなどが走っています。特に、リキシャーには観光客プライスがあり、まずは乗る前に値段の交渉から始まります。
で、言い値の半分くらいまで落としたらようやく出発なのですが、途中で土産物屋に寄ることがあります。頼んでもいないのに。まぁ、きっとそこの土産物に観光客を連れていくとマージンがもらえるのだと思うのですが、そういう時は『No!!!Go!!!』で、中に入らずに行かせましょう。そんな時にも『君が幸せなら…。』の常套句を言われたことがあります。私の幸せは早く目的地に行くことです。笑
土産物屋の代わりに旅行会社に連れて行かれるトラブルも多くあるようですが、幸いなことに私は一度も経験したことがありません。笑
オートリキシャーから降りる際に交渉した運賃から元の言い値に戻っている時があるので、そういう時は道端で大喧嘩しましょう。インド人が大好きだからこそ、私は彼らの悪い行動は正します!!笑
⑬真冬でも車内は冷房ガンガン
インドの移動手段として安くて便利なのが電車です。AC(エアコン付き)1等席、AC2等席、AC3等席、AC寝台席、寝台席、2等席のグレードがあり、特に外国人観光客が長距離移動をする際はAC2等席を使うことがメジャーです。
これがAC2等車内で、夜になると座席が上と下で2段ベッドになり、
シーツと毛布と枕が配られます。
インドの電車旅ではエアコンがかなり厄介なのです。ないと困るけど、あってもちょっと困る。めっっっちゃ寒いので、上着必須です。特に、上段はファンが近いから更に寒いです。また、乾燥した車内では喉を痛めるため、私はマスクをつけて寝ます。不思議なのが、インドではなぜか真冬でもエアコンをガンガンかけていること。OFFにできない設定なのかな???笑
エアコンなしの2等車で移動したこともありましたが、固い座席での長距離移動は快適ではありません。(予約していたAC2等のチケットの日付が違っていて、2等しか取れなかったから仕方なかったんだけどね。笑)
2等車内では、私たちの上の荷台には警察官が寝ていて「何かあったら声をかけるんだぞ!」と言われて心強かったですが、それでもスリが心配で熟睡できませんでした。あと、季節によってはノンエアコンは蒸し風呂です。めちゃ安ですけどね。デリー~ベナレス間が300円とかだし。
インドの電車は時間通りにまず出発しません。特に、北インドで霧の発生する時期(日本の冬にあたる時期)では、数時間単位で大幅に遅れます。停車駅が多いほど、始発駅から遠いほど予定時刻より遅れるため、始発駅から乗る場合は定刻出発だと言われています。
電車だけでなく、インドでは時間の流れが緩やかです。イライラせず、チャイでも飲みながらのんびり待ちましょう。人間ウォッチングをしているだけで十分楽しめますよ。面白い人がたくさんいるので。笑
駅構内に野良牛がいる国なんて、世界広しと言えどもインドくらいなもんでしょう。笑
⑭鳴りやまぬクラクション
インドの道路では四六時中クラクションが鳴っています。ブッブーと言う定番音以外にも♪ドレミドレミ♪のような変わり種まで、とにかくうるさいんです。
そのクラクションの原因が彼らだったりすることもあるのですが、「牛の耳にクラクション」=いくら鳴らしても無駄ですよ。笑
ちなみに、高速道路上を羊の群れが横断することもあるし、歩行者が歩いていることもインドではノープロブレム!だったりします。笑
ただ、インド人がやたらとクラクションを鳴らす理由は他にもあります。日本では、「危ないだろ!」「信号が変わったから早く進めよ!」など、相手にクレームを言いたいときに鳴らすことが多いと思うのですが、インドでは「俺、先に行くよ」「俺、割り込むよ」って感じで自分の意志を相手に伝える意味でクラクションを鳴らしています。で、合流の時なんかは、「俺、先に行くよ」のクラクションの嵐になるのです。そんな、横入りが当たり前なインドではサイドミラーのない車をよく見かけます。合流に失敗して取れたのではないかと、私は勝手に思っています。笑
⑮怪しい誘いに注意
一人旅の日本人女性がインド人男性に暴行を受けるというニュースを時々耳にします。
私はそういう危険な目に遭いそうになったことはありませんが、誘われたことはあります。それは、同行者と別行動を取った時に、いつものボートでガンジス川を渡っている時のことでした。もちろん、即断りましたが、「なんで?」と聞かれたので「あなたのことは好き(like)だけど、loveではないの」と答えると納得?してくれました。それと同時に「宿のオーナーには誘ったことを言わないでくれー」と急に保身に走るボート漕ぎ。え、ワンチャンあると思ってたのかよ?普通の日本人女性は断るぞ?笑 余談ですが、どこで「営む」つもりだったのだろうか?まさかボートの上?笑
カースト制度の残るヒンドゥー教の世界では、お見合いで結婚相手を決められ、結婚する時まで相手の顔を知らないということも多いとか。で、日本みたいに学生のうちから簡単に男女交際をすることも、結婚前に性交渉することもあまりないようです。だからこそ「外国人とのワンチャン」を狙っているインド人男性はいて、それがインドでの性的事件の原因の一つになっているように私は思います。インド人と仲良くするのはいいことですが、人気のないところで2人きりで過ごしたり、誤解させたりするような言動をするのはやめましょう。あいまいな態度が一番だめです。ちゃんとNoと言うこと!
⑯ナンはメジャーではない
日本のインド料理屋でカレーを注文するとナンが大抵付いてきます。タンドゥーリ窯で焼かれたナンは大きくてモチモチで美味しいですよね。でも、インドではナンってほとんど見かけません。私も1~2回しか食べたことないし、そもそもメニューにないのです。
代わりにカレーの友となっているのがチャパティと呼ばれる、丸い形のものです。モチモチの代わりにサクサクで、素朴な味がおいしいんです。薄いピザ生地みたいな感じです。
チャパティを油で揚げたプーリーもジャンキーでおいしいです。
本場のインドカレーはスパイシーで、マイルドにしてもらっても辛くて大量の水を要します。特にイスラムカレーは油ギッシュで、胃もたれをすることもしばしば…。オールドデリーの某人気カレー店はカレーの表面が油の海(写真は油を除去した後。これでも十分オイリー状態)で期待ハズレでした。日本のインドカレーに感動して、本場のインドカレーを期待して食べるとたぶんガッカリします。日本のインドカレー、ウマいもんなぁ。苦笑
⑱3月の満月は要注意
北インドでは、3月の満月の日に、ホーリー(Holi)と呼ばれる色水かけ祭りが行われます。所謂「神無日」で、その間は無礼講となり、カーストも関係なく色水を掛け合います。詳しくは#010で。
このお祭りに参加したくてインドに行ったことがあり、とても楽しかったのですが気を付けた方がいいことがいくつかあります。
まず、ホーリー数日前から祭りは始まっており、観光客も攻撃されることがあります。ただの水ならまだしも、大荷物を抱えた移動中に色水をかけられたらたまったもんじゃありません。私は運よく免れましたが、相方Iさんは電車内で外から水をかけられたり、子ども同士の戦いに巻き込まれて色水をかけられたりしてました。数日前から防水対策必須です。笑
また、シヴァ神不在のインドでは、飲酒も解禁となり、普段は愛すべきインド人が煩悩の塊=恐怖の存在となります。ガンジャを薦めてきたり、女性の体をベタベタ触ってきたりするので本当に要注意です。
シヴァが正午に戻ってくると、ホーリーは終了。
インド人はすんなり撤収し、町から人がいなくなります。でも、まだ酔っぱらっているインド人がいるので人気のないホーリー後こそ注意が必要です。あと、ホーリーを楽しんだあとに体に付いた色粉をとるのに相当苦労します。私たちは宿のシャワーで流しましたが、何度髪を洗っても色が出てきます。私は赤い色粉をやたらと付けられたので、帰国後もほんのり赤髪でした。笑
また、チェックアウト前に部屋内の色粉を極力拭きましたがまだまだ残っていたらしく、あとで宿の方から掃除をするときに苦労をしたと言われました。川などで予め流してから宿に戻ると良かったかもです。でも、川はこんな感じだからなかなか入れねぇし。笑
ホーリーは宿のテラスから眺めるのは一番安全で手軽で面白いかも。笑
ホーリーで「神様」を攻撃したのは誰だ??笑
全部で17のインドあるあるを挙げてみました。インド経験者は納得し、笑っていただけたでしょうか?あぁ、またインドに行って愛らしいインド人達と笑いたいなぁ。