#288 ヨーロッパ大陸最西端に行ってみた。(2016.7)
ヨーロッパ最西端のロカ岬はポルトガルにあります。ここに行こうとした理由はバックパッカーのバイブルである、沢木耕太郎さん著の「深夜特急」がきっかけでした。沢木さん扮する「私」がニューデリーからロンドンを乗り合いバスで旅する途中でポルトガルに寄り、「そろそろ旅を終えても良いかなぁ…」と決意したのがポルトガルの岬なのです。
当時、「深夜特急」は同僚に貸し出していたため、その岬がどこであるかを確認できずに出国となってしまったのですが、まぁリスボンから行きやすいロカ岬だと勝手に思い込んでました。今思えば、ネットで調べたら一発だったのですが、私はその時何故かそれをせず、ロカ岬だと思い込んでました。まぁ、結論から言いますとロカ岬ではなかったんですがね。笑
実際に沢木さんが感動していたのはサグレス岬ですが、ここでは私はロカ岬がその岬だと思い込んでいるため、色々と思い込んでますが、バカだなぁと温かい目でお読みください。笑
さて、午前中は首都リスボン観光、午後はロカ岬へ行くことを決めていた私は、駅の自動改札機で切符を買おうとしていました。すると、中学生くらいの子どもたちがキセル乗車をしようと試行錯誤していました。改札をまたいでみようとしたり、キップを買ったら改札に通す際に一度に複数人で通ったりしてました。怖いんですけど。
お願いだから、同じ電車に乗らないでね…。せめて、同じ車両に来ないでね…。
と思ったら、同じ車両内に彼らの姿がありました。キセル乗車成功、おめでとう…。私はポルトガル語が話せないため、彼らが何を言っているのかわかりませんが、何やら色々と話しています。初めは席がそこそこ離れていたのですが、私の前の席が空くと、座席を移動してきました。そして、ふと振り返り、私の姿を見てきました。やべぇ…、たかられるか???
「ハロー、アイム ミッキー。」
なんと、その中の一人(画像右側)がつたない英語で私に話しかけてくるではないか。
年齢的に、きっと中学校で習ったばかりの英語を使ってみたかったんだろうな。飴を舐めてる姿と言い、(キセル乗車はいけないことだけど)まだまだ子どもなんだなぁと微笑ましくなりました。『やぁ、ぼくはミッキーだよ♪』って、某ネズミーランドのようで可愛らしいじゃないか。笑
しばらくするとミッキー&フレンズは途中で下車していき、車内は一気に静かになりました。笑
目的地のカスカイス駅が近づくにつれ、海が見えてきました。
15:45に、カスカイス駅に無事に到着しました。
駅近くのバスターミナルに移動して、バスで岬に行きたいところですが、なかなか見つからず、インフォメーションセンターで教えてもらいました。
カスカイスのバスターミナルから、403番のバスでロカ岬に移動です。
バスの中はこんな感じ。当たり前ですが、ここでは特に絡まれませんでした。笑
外の景色がだんだんと霧深くなり、だんだん果てに向かっている感じがします。そういえば、沢木さんも『最果ての地』だと言っていたなぁ…。
25分くらいでロカ岬(Cabo da Roca)に到着しました。
ここが最果ての地かぁ…。
最果てに咲く花。
ロカ岬がヨーロッパ大陸の最西端に位置しているということは、この霧の先にはアメリカ大陸があるんだよなぁ…。そこを目指して、大航海時代に偉人たちが出航したんだよなぁ…。
AQUI... ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR COMECA
(ここに地果て、海始まる)
最果てにある石碑には、カモンイスの詩の一節が刻まれていました。
沢木さんはポルトガルで自分の旅に満足して旅の終わりを感じたようですが、私はこの2週間のヨーロッパ旅行をここから東に向けて始めていくんだなぁと言う気持ちになりました。
ここでも、最北端のノールカップと同様に証明書が発行してもらえるので作ってもらいました。
あと、自分宛てのポストカードも書きました。
リスボンに戻り、夕食にシーフードリゾット(arroz de marisco)を食べました。 手長エビの入ったトマトソースのリゾットはかなり絶品!!パセリじゃなくて代わりにコリアンダーが使われているのが嬉しかった。1人前とは思えないようなボリュームだったのですが、ほぼ完食。笑
飲み物はお茶(chά)を注文しました。この chάに関して深夜特急の中で説明があり、私の大好きなエピソードなので長いですがここで紹介(一部抜粋)します。
何ということだろう。私は、ユーラシアの果ての国から出発して、アジアからヨーロッパへ、仏教、イスラム教の国からキリスト教の国へ、チャイ、チャといった「C」の茶の国からティー、テといった「T」の茶の国に入ったものだとばかり思っていた。
ところがそこを通り過ぎ、ユーラシアのもう一方の端の国まで来てみると、茶はふたたび「C」で始まる単語になっていたのだ。
ポルトガルではchaはチャではなくシャと発音するということだったが、「C」の仲間であることに変わりはなかった。私は「C」より出でて、今ふたたび「C」に到ったのだ…。
今から40年以上前に何年もかけて日本からインドまで船と陸路で移動し、インドからは路線バスだけでヨーロッパまで旅をした沢木さんの言葉には重みを感じます。このレストランで飲んだカモミールティーは岬で冷え切った私の体と、Cの国同士の縁を感じた私の心を温めてくれました。
まぁ、沢木さんが最果ての地で旅の終わりを感じたのも、「C」の国の再来に感動したのもサグレス岬だったんですけどね!!!笑
21:00頃宿に戻ると、10人部屋のメンバーが戻ってきていました。 恐らく、チェコで利用して以来のmixドミだったと思うのですが、宿は綺麗で快適でした。が、外はまだ明るく、ホテル前の広場から爆音や歌声が…。この騒音は午前4時まで続き、朝5時に起きなければならない私はほぼ寝られませんでした…。とほほ。