#262 インドのカースト制度について思うこと。
カースト制度とはヒンドゥー教における身分制度のことで、インドではジャーティとかヴァルナと呼ばれ、後述する4つの階級に分けられますが、その中でも細分化されており、同じ階級内でも身分の上下があるようです。細かく分けると、その階級の数は3000とも言われています。
1950年にインドの憲法が改正されたことによりカーストは廃止されたと言われていますが、現在も根強くインドに残っているように思えます。現インド憲法では、カーストの異なる者同士の結婚が認められているようですが、実際には同じカーストか近いカースト同士での結婚が好ましいとされています。実際、私がインドのベナレスで泊まった宿のオーナーも、親が決めたお見合い結婚だったと言っていました。なお、以前ネパール人の知り合いからカーストの話を聞いたことがあるので、ヒンドゥー教徒が大半を占めるネパールでもカースト制度は残っているようです。
インドの4つのカーストですが、高い身分から順に挙げると、
①バラモン(司祭)
神聖な職に就けたり、儀式を行える身分。
②クシャトリヤ(王族・武人)
王や貴族など武力や政治力を持つ身分。
③ヴァイシャ(市民・商人)
製造業に従事する身分。
④シュードラ(奴隷・労働者)
農牧業や手工業など生産に従事する身分。
となります。当然、ピラミッドのように身分の高い人の割合ほど少なくなります。
カーストは、職業で分けられているのですが、その職業は世襲制となっており、先祖代々の職業を子孫が受け継ぐ形となります。親がリキシャーワーラー(人力車の運転手)なら、子も孫もリキシャーワーラーなのです。IT産業などの新しい分野でも、その人の元々のカーストによって上下関係があるとのこと。
日本の飲食店だと、ホールとキッチンのように係分担がされていても忙しい時はキッチン係が料理を提供したりするし、テーブルのお皿を片付けている店員に注文や会計をお願いしても問題ありません。しかし、インドでは清掃係に料理の注文をすることはできません。係が細かく分けられており、一般的に汚い仕事ほどカーストが下になると言われています。例えば、テーブル掃除と床掃除では、テーブル清掃係の方がカーストが上になるのです。世襲制のカースト制度には、雇用安定の意味もあるようなのですが、「それは私の仕事ではありません」が良くも悪くもまかり通っているのも何だかなぁ…。
また、警察官は③ヴァイシャに属するとインド人から聞いたのも意外でした。だから、ACなしの2等車で移動していたのかな…?
私たち旅行者でもカーストの階級は何となくわかります。カーストの高い人は全身スーツやブランド物でビシッと決めていたり、インド人の中では肌が白いです。そして、カースト下位の人の衣服はボロボロだったり、髪の毛がボサボサだったり、肌が黒かったり垢まみれだったりします。全員に当てはまるとは思いませんが、カーストと身だしなみの関係はあるように思えます。
私がインドを旅した時、カースト制度を痛感したことが何度もありました。その時のエピソードを2つ紹介します。
まずは、インド名物の値段交渉をリキシャーワーラーとしていた時のことです。ワーラーに目的地を告げると強気な値段だったため、いつものようにお互いに値段を言いながら交渉していました。
すると、ビジネスマン風のインド人男性が現れ「どこに行くの?」と私に尋ねてきました。行き先を告げると、「それなら〇ルピーだ」と言い、ヒンドゥー語でワーラーに強く言いました。言葉は全く分かりませんが、何を話しているのかがわかりました。
すると、その男性は「〇ルピーで行ってくれるよ」と言って去っていきました。そう、インドでは自分より高いカーストの人の言うことには絶対服従なのです。このようなことは、他のお店で値段交渉をしている時にもありました。何も言い返せないワーラーや店主の顔を見て、何だか申し訳ない気持ちを抱いたと同時に、些細な金額でゴネた自分を恥ずかしく思いました。
#062でも、プシュカル行のバス内でインドカーストの闇を目の当たりにしました。
次に、5つ目のカーストについてのエピソードです。先述の通り、カーストは4階級なのですが、実はカーストに含まれない⑤ダリット(不可触民)が存在します。ダリットはハリジャン(ガンジーにより命名された、「神の子」と言う意味)とも呼ばれ、カーストに含まれない被差別民のことです。その数は2億人(日本の総人口以上!!!)とも言われてます。具体的には、屠殺や皮革、糞尿処理、遺体処理、葬儀屋などの所謂穢れた仕事を生業としていたり、物乞いなどで貧しい生活をしている人たちもいます。
日本にもかつて士農工商に含まれない穢多・非人と呼ばれる身分がありましたが、インドと日本では決定的な違いがあります。それは、いくら努力をしても職業が選べない・変えられないことです。現実を受け入れてあきらめるか、改宗して転職するしか生きる術はないのです。
また、学校に通うこともできず、物乞いをする子どもたちが町中にいます。物乞いにも色々な種類があり、ただお金をせがむ子もいれば、芸をしてチップをもらう子もいます。恐らく、インドを旅したことのある人は、初めて物乞いに出会ったときに戸惑ったのではないかと思います。私もその一人です。物乞いから求められた時、金銭を与えるべきか…?インドに訪れる度に考えさせられますが、4回訪印しても、まだ自分の中で答えは出ていません。ただ、金銭を与えるのも、無視するのも、どちらも間違っていないと思うのです。それぞれが実際に見て、感じて判断して行動すればいいと思います。
そんなカーストも、1年に1日だけ廃止される日があります。それが3月の満月の日に開催される奇祭り、ホーリーです。普段は身分制度に苦しめられている人たちもその日だけは無礼講。ホーリーでは神様がインドからいなくなるので、酒やドラッグもセクハラも無礼講となっている無法地帯ですが、楽しいですよ。行動予測不可能の子どもが怖いし、後始末が大変だけど。笑
と、今回は真面目にインドのカースト問題について書きました。日本は恋愛結婚や職業選択の自由が認められていて、私たちは幸せですね。次回こそは、前々から書きたかった旅行記について書きたいと思います。(ほぼ仕上がっているのに後回し…)インドのこともまだまだ書いていないことがあるので、またそのうち…。