#244 カンボジアとベトナムの治安と共産主義について
ベトナムは社会主義国であり、町を歩くとこんなプロパガンダ看板をよく目にします。キッチュでかわいいので、個人的には好きなデザインですが、いかにも社会主義を目指しているような絵が描かれています。あ、私はプロバイダ看板を芸術として好きではありますが、社会主義や共産主義の思想は全くありませんからね。むしろアンチですよ。笑
じゃあ、なんでこんな話題を書くのかというと、帰国してしばらく経ち、昔カンボジアに一緒に行ったお姉さまの一言を思い出したんです。それが『カンボジアって、やっぱりおじさんがいないなぁ。』って言葉。2013年当時の無知な私はその理由を知らず、お姉さまの口から出た名前が、カンボジアのかつてのリーダー、ポル・ポト。小学生の頃、テレビのニュースで『ポル・ポト派』って言う言葉が流れてきたことは覚えてますが、まさか独裁者だったなんて…。
で、最近たまたまポル・ポトについての解説ゆっくり動画を「某つべ」で見た(気になる方は『最強のメラ』さんでつべ検索を。この記事もかなり参考にさせていただきました。ありがとうございます。)こともあり、やはりカンボジアを旅する人がこのブログを読むかもしれないから少しは触れた方がいいのかなぁと思いまして書き始めました。ついでに現在の治安についても触れようかと。
ということで、今回は写真少なめな上、ユーモアなしの全く面白くない記事になると思いますのでご了承下さい。あと、なるべくわかりやすく書きますが、何せ政治分野は苦手ですので足りない部分や誤った部分があったらご指摘下さい。
と、予防線を張ったところでw、まずは社会主義(communism)について。社会主義とは、平等な社会を理想とする考え方で、社会主義国家となると、土地や家屋は国家のものとなるため個人財産にはできなくなります。仕事も国から宛てがわれるから、みんな平等に公務員です。『みんな平等』と言うのは一見いい響きですが、真面目に働いていても手を抜いて働いていても給料は一緒だから、当然競争心や労働意欲はなくなります。だって、真面目に働かなくても同じ金額の給料がもらえるのだから…。国民が平等であるはずの不平等な社会に疑問をもってしまえば、国の体制は一気に崩れるのでしょう。ソ連の崩壊が、社会主義国家の存続の難しさを物語っていると思います。教育でもそうだけど、ある程度の競争心は必要だし、完全平等だと個性は失われるんですよ。だから、みんなで手を繋いでゴールする運動会とか、お姫様ばかりのお遊戯会とかどうかしてるって私個人は思います。
脱線しました、すみません。そして、その社会主義を極めたのが共産主義。『完全に平等なんだから、国という制度すらも要らない』という究極の考え方のようです。だから、思想からすれば共産主義国と言うのは存在しないはずなので、共産主義を掲げている国は正確には社会主義国(共産社会を目指して革命中)となりますね、うーん、難しい。頭が悪い私には全く理解できない思想です。
こちらが社会主義国家の国旗です。共通点を見つけましょう。
赤いんですよ。そして、星。日本共産党の機関紙名も「赤」が付いてますし、赤は共産主義のシンボルカラーというイメージですね。
もちろん、真っ赤ではない社会主義国もありますし、逆に国旗に星がついている国が全て社会主義国ではありません。(アメリカとか、星いっぱいだけど違うし。笑)
こちらの国旗をご覧ください。
真っ赤な背景に黄色い遺跡。社会主義国っぽいですよね。これ、共産主義時代のカンボジアの国旗なんです。わずか40年前、クメール・ルージュという政治勢力が主権を握っていた頃(1976~1979年)のものです。その時のリーダーがポル・ポト(本名サロット・サル)でした。
彼は共産主義を学んで傾倒し、原始共産主義と言う形でカンボジアに取り入れようとしました。『人民は農業さえしていれば幸せに平等に暮らせるんだ』という極端な考え方なのかな?まぁ、百歩譲って、ここまでは何とか理解しよう。日本にも縄文時代とかあったからねぇ。「その頃は貧富の差もなかった」と、小学校の社会の時間に習ったし…。
しかし、時は10000年前ではなく、1976年のカンボジア。当然文明がある程度は一般市民にも浸透していたことでしょう。便利なものを知ってしまうと、それがなかった時代に戻ることは困難だと思うのですが、ポル・ポトはカンボジアを更にいい国にするために知識人や技術者達を集めました。そして殺害。
え、なんで?全く理解できないのですが。
ポル・ポトは、『農業をして、平等な社会を作っていくために文明は必要ない』と考えていたそうな。その考え方はあまりにも極端なのです。ただただ農業をしていれば階級も貧富差もないし、知識も娯楽も要らない。国民全員が農民となり、財産は没収され、貨幣も廃止されました。まさに、原始時代に戻ろうと言う考え方です。
それを極めると、例えば
文字が読める人(知識人だ!)
ラジオが聴ける人(知識人だ!)
時計が読める人(知識人だ!)
娯楽を楽しんでいる人(農業をやれよ!)
さらには
メガネをかけている人(賢そうだ!)
手がきれいな人(農業をやってなさそうだ!)
美男美女(恋愛=娯楽してるにちがいない!)
などが次々と粛清されたそうです。
正気ですか…?
その処刑をされた国民の数は(資料により異なりますが最大で)300万人。当時のカンボジアの人口が800万人だと言うことから、1/3の罪なき国民がわずか3年で独裁者に殺されてしまったのです。3年で300万人って、1日あたり3000人は殺してますよ…。
当然の結果として大人が減り、国家として成立しなくなりました。知識人たちが、いや、そもそも大人がいなくなれば当然ですよ。
しかし、ポル・ポトは、国の運営が上手く行かなくなったことを「国の内部にスパイがいるからだ!」と考え、13歳以下の純粋な子どもたちを兵士にしてスパイを探し出そうとしました。そして、怪しい人物は家族や知人共々処刑しました。結果、国の要職に就くのはクメール・ルージュに洗脳された無垢な子どもたち。
こんな『修羅の国』状態のカンボジアですが、当時は完全鎖国をしていたため、この暴君の存在と国家の惨状は他国に漏れなかったのです。が、国内で反政府軍が結成され、ベトナム軍と手を組んでポル・ポト軍と戦いました。当然、子ども兵士ばかりのポル・ポト軍はベトナム軍にあっさりと負け、1979年にポル・ポトによる独裁政治は終焉を迎えたのです。その時、人口の85%が子どもだったとのこと…。私が生まれるほんの少し前のことです。
しかし、ベトナム軍はポル・ポトを取り逃してしまい、ポル・ポトはクメール・ルージュを率いてベトナムと闘争を続けました。が、1996年にポル・ポト軍は完全に崩壊し、自身も1998年に心臓発作(でも、体に毒薬反応があるため殺害疑惑あり)で死亡しました。今から約40年前に恐怖の独裁政治がカンボジアで行われ、そのリーダーが20年前まで生きていたことがビックリです。
ポル・ポトは地雷を次々に埋めたのですが、場所を記さなかったため、罪のない方々が地雷の被害に遭われ、今でも撤去作業が行われています。また、遺跡を巡ると内戦の爪痕が所々にあります。
そんな経緯があり、カンボジアでは現在でも中高年層が男女ともに少ないのです。運良く生き永らえた彼らですが、当時は粛清の恐怖に怯え、親族や友人を亡くし、地獄のような毎日を送っていたことでしょう。幸せな余生を過ごしてほしいと願うばかりです。間違っても、そのときの話をカンボジアの方々に尋ねたりしないように。カンボジアに限った話ではないですが、政治の話を現地の方とするのは時にトラブルの元となりますので避けましょう。
そして、今のカンボジアの治安はと言いますと…。シェムリアップの治安はすこぶる良かったです。とにかく、人が優しかった!飛びっきりの笑顔で迎えてくれ、申し訳ないくらいこちらの要望に応えて下さいました。バンさんとか、フレディとか、宿のお姉さんとか、本当に親切でした。
ただし、気になることがいくつかあります。1つ目はクメール・ルージュの残党が国内に潜伏しているらしいので、注意しようがないですがそのことは頭に入れておきましょう。実際に、クメール・ルージュの仕業かどうかはわかりませんが、私がラオスで会った日本人男性は、カンボジアの首都プノンペンの宿で何者かに監禁されたそうです。事件の経緯やどうやって逃げ出したかは忘れましたが、『プノンペンはヤバイ!』と言う彼の言葉は忘れられません。今から10年以内に起きた話です。
2つ目は、先ほども少し触れた地雷について。日本も含めた外国の支援もあって、地雷はかなり撤去されたようですが、山林にはまだまだ埋まってるようです。観光地で公道になっている所は問題ないと思いますが、少し奥まった草むらには入ると不発の地雷が埋められている可能性がありますので、勝手な行動は絶対にやめましょう。マイナーな遺跡巡りをする場合はガイドをつけると安全かもしれません。
ただ、私が見てきたカンボジアはいい思い出ばかりです。もちろん、日本と比べると犯罪発生率は高いと思うので、他の外国に行く時と同じように貴重品をきちんと管理して上手い話には乗らないようにすれば大丈夫かなぁと思います。
ベトナムについては、現在も数少ない社会主義国家となっていますが、プロバイダの看板以外では社会主義を感じることはありませんでした。思想を勘違いされそう&可愛いのがなかったのでやめましたが、プロバイダなグッズを買い占めたくなる感情には駆られましたが…。このレトロでキッチュな可愛さ、誰か理解してもらえますか?笑
治安に関しても、やや構えて入国しましたが、ホーチミンの中心部で夜中に歩いていても治安の悪さは感じませんでした。夜遅くでもバイクシャワーは健在で、いい意味で人気があるから安全でした。が、大通りを一本入ったりすると一気に人気がなくなることもあるので、心配なときは無理をせずにタクシーを利用しましょう。あとは、交通事故には十分気を付けましょう。ベトナムの横断歩道の渡り方は#239をご参照下さい。
ということで、長くなってしまいましたが、今回は主にカンボジアの歴史について触れてみました。未成年や若者の人口が多い国なので、彼らの若い力で良い国を作っていってほしいと願うばかりです。そして、大人が子どもの鑑となるような社会でありますように。
本当にざっくりとした歴史を話しただけですので、関心をもたれた方は是非ご自分で詳しく調べてみて下さい。