世界流離日記

『世界流離(さすらい)日記』と読みます。国内外の旅行での喜怒哀楽の経験を中心に投稿していきますのでよろしくお願いします。なお、このブログ上の画像の使用は禁止とさせていただきます。

#129 東日本大震災を風化させないために① (2012.7)

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東日本大震災から7年の月日が経過しました。震災直後と比べて、自分自身もそして世間も震災について考える時が少なくなったように思います。今でも震災の被害に遭われた方が苦労をされているはずであり、決して風化させてはいけません。今回は震災後に一人で行った東北旅行について自分なりに書きたいと思います。今はもっと復興が進んでいることを願って…。

 

 

私は震災から1年以上経った夏に、1人で被災地を訪れました。当時はボランティアで東北に行く人も多い時でしたが、私が選んだのはボランティアではなく、『被災地でお金を使う』観光支援でした。非難を承知で言うと、被災地の現状が見たかったし、そこから何か感じるものがあると思ったからです。実際、色々考えさせられ、行ってよかったと思っています。

 

 

当時のガイドブックには被災地周辺の情報はほんの数ページしか掲載されていませんでした。震災前のガイドブックを見て、追加情報を手に入れましたが、結局営業していない店がほとんどでした。だからこそ、当時の最新版では情報が少なかったんだなー、と現地で思い知らされました。あるはずのお店が無くなったり、閉店している…。悲しいけど、これが現実なんだな…、と。

 

 

2012.7.30

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7月29日の夜に名古屋発の夜行バスに乗り、翌朝7時半に仙台に到着しました。仙台駅近くでレンタカーを予約していたので、早速取りに行きました。普段軽自動車に乗っているので、今回も軽自動車を選択しましたが、後ほど、それが失敗だったと知ります。

 


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4日間で484キロを走りました。

 

 
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仙台で伊達政宗像を拝んだ後、お寿司を食べに塩竃へ行きました。

 

 

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塩竃はマグロの打ち上げ量日本一の街なので、新鮮なマグロが食べられるのです。この丸長寿司さん、実はガイドブックを見て私が行こうとしていたお寿司屋さんのつもりで入ったら違う寿司店だったという不思議な縁で入ったお店でしたが、ここの大将たちにとても親切にしていただきました。

 

 

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開店してすぐの時間帯だったのでお客さんは私1人だけ。カウンターに座って、回らないお寿司を1人で堪能しました。まぐろづくし8貫を注文したら、色々なまぐろの部位が色々な調理方法で食べられました。今まで食べたまぐろと比べて、やわらかくてあたたかくて(冷蔵しなくても済む距離に市場がある証拠だそう)、新鮮で絶品でした!

 

 

丸長寿司の若大将は本当に気さくな方で、私が観光で被災地を廻ると聞いたら、震災当時のことを教えて下さりました。仙台ではほとんど感じなかった震災の爪痕が、塩竃には残ってました。湾があるから、比較的被害は軽かったそうですが、それでも40人の方が亡くなり、お寿司屋さんにも170センチの弱い津波が押し寄せ、1週間引かなかったそうです。

 

 

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実際、店の近くには津波の跡が残ってました。

 

 

ガイドブックの情報があまりにも乏しいので困っていることを話すと、北上するには高速道路を使ったほうがいいことと、当時の高速無料区間の情報などの被災地情報を大将親子からかなりもらい、松島へ向かいました。帰宅後、このお寿司屋さんにお礼の手紙と私の地元土産を送ったところ、お礼のハガキを頂き、温かい気持ちになりました。偶然の縁に感謝。また再訪したいです。

 

 

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松島は私にとって、日本三景のうちの一景目です。訪れて初めて、日本三景に選ばれる意味がわかりました。

 


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ボートに乗ったら、ひたすらカモメがついてきます。他の人がこぼした餌(かっぱえびせん)でカモメにあげてみたけど、彼らはプロカモメなので、一瞬で私の手元から奪っていきました。

 

 

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松島訪問の際は是非「かもめの玉子」をお土産に。本当は岩手県大船渡市のお土産品らしいですけどね。

 

 

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松島のお土産店で飾ってあった「津波こけし」。潮の影響か、白くなっていました。

 

 

f:id:mura306:20180310124427j:plain松島を堪能した後は、今日の最終目的地の気仙沼に向けて出発しました。お寿司屋さんから、三陸自動車道が一部無料だから絶対使った方がいいと言われたので、(高速道路の運転が大の苦手だけど)泣く泣く石巻まで高速走行しました。

 

 

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石巻で下道になったら、震災復興で何回か片側通行になりました。当時、テレビで見た石巻の病院などの横を通り、だんだん被災地に来たことを実感します。

 

 
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それを確実に感じることになったのが南三陸町の海沿いを走った時。新しく山を切り開いて売地してるみたいにひたすら更地が広がってたり、車の瓦礫の山があったり…。

 

 

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来た大津波の高さが、木の色で一目瞭然です・・・。

 


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家の瓦礫はほぼ完全に撤去されてるんだけど、逆にそれが無を強調してました。残ってる建物があっても、それが何なのかもわからない状態。丸長寿司の大将が『被災地はどこも同じ感じですよ』って言ってた意味が本当によくわかりました。そこも更地に雑草が生えていて、人がいないのです。

 

 

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ホテル周辺はナビが示す地図も全然違ってて、あるはずだった線路や信号や番地はありませんでした。

 

 

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私が気仙沼で宿泊したホテル一景閣。当時、震災後営業再開した数少ないホテルで、節水節電でご迷惑を…と書いてありましたが、全く問題なく快適に過ごせました。

 

 

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ホテルの前は工事中でした。

 

 

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でも、逆にないはずの番地がありました。それが、復興屋台村の気仙沼横丁です。仮設住宅を店にしたような場所でした。

 

 
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ちなみに、笹の後ろのポールは、震災当日の津波の高さなんだとか。

 


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私が行ったホルモン屋さんは、みんなホルモンとビールで楽しそうでした。私も気仙沼ホルモンを堪能。小腸もレバーも何でもありです。

 

 

帰りは街灯がほとんどなくて、真っ暗。あいにく曇ってましたが、晴れてたら星が綺麗だろうなぁ。

 

 

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初日の走行距離は156キロでした。

 

 

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被災地一日目で『がんばろう東北(宮城や地域の名バージョンも多くあり)』のような看板を本当にいっぱい見かけました。

 


ほとんどのトラックに「がんばろう」ステッカーが貼ってあったし、地域全体で必死に復興に勤しんでるように思えました。

 

 

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南三陸町では『津波のバカ!でも、がんばっぺ!』って看板も見かけました…。これが地元の人の本音なのだろうけども、自然災害なだけに怒りや悲しみのぶつける先がないのでしょう。

 

 

被災地の現状と被災地の皆さんの天災に対する前向きな姿勢に色々考えさせられた一日でした。