#083 モスタルで「平和の橋」を渡ってみた。 (2011.8)
モスタル(Mostar)は、サラエボから南西に位置する都市で、バスで約3時間弱かかります。
私はサラエボからバスで向かいましたが、クロアチアの観光地であるドブロヴニク(Dubrovnik)から日帰りツアーも出ています。
モスタルのシンボル的存在なのが、このスターリ・モスト(Stari Most)。この美しい橋にも、ボスニア内戦で破壊された悲しい歴史があります。
予定よりも少し遅れ、17:45にモスタルのバスターミナルに到着しました。モスタルには1泊予定なので、必要な荷物をボストンバッグに入れて、スーツケースはコインロッカーに預けました。
山の頂上に巨大な十字架を発見しました。モスタルもボスニア・ヘルツェゴビナの都市なのでイスラム教徒が多いはずなのですが、この十字架は2000年にクロアチア人(=カトリック教徒)によって作られたそうです。詳しくは後で書きますが、この町では宗教や民族による住み分けがされているのです。
ここでも、ボスニア内戦で被害を受けた建物がいまだに残っています。
このモスクは中に入ろうとしたら、ムスリムしか入らせてもらえませんでした。残念。
橋の方面に更に歩くと、土産物店が立ち並んでました。地面には石をはめ込んでいるので、ゴツゴツしていてちょっと歩きにくいです。スーツケースを預けて来て正解でした。
イスラム国家なだけに、アラビアーンなお土産がいっぱい売られていました。ヨーロッパにいることを忘れてしまうような雰囲気です。それから、モスタルもクロアチア同様、ラベンダーの産地のようです。
中には、内戦グッズと思われるものも…。
『DON'T FORGET』という石碑には『内戦の悲劇を忘れてはいけない』という意味があるのでしょう。
いよいよ、スターリ・モストのすぐ近くまでやってきました。
とても綺麗なこの橋は、1993年11月にクロアチア人兵により破壊され、2004年に再建されました。そして、2005年にはこの地区がボスニア・ヘルツェゴビナで初の世界遺産に登録されました。
スターリ・モストはとても滑りやすい素材でできています。そのためか、凸凹の段差が滑り止めの役割をしているようにも思えました。それでも滑るけれども…。この時も「スーツケースをバスターミナルに置いてきてよかった」と心から思いました。笑
橋の下には、ネレトヴァ川が流れています。橋の高さは24メートル。毎年夏には飛び込み大会が開催されているそうです。これができるようになったのも平和な証拠ですね。
橋を渡ったところにあった、『DON'T FORGET '93』の文字。左後ろの写真が橋が壊された後に作られたつり橋だと思われます。
モスタルでは、橋の西側がムスリム人地区、東側がクロアチア人地区で住み分けがされています。バスターミナル側から橋を渡った私は、たった今クロアチア人地区に入りました。つまり、先ほどの十字架のある側です。今まであったエキゾチックな雰囲気はなくなりました。こちらも内戦の銃弾痕がいまだに残っています。なお、クロアチアの主な宗教はキリスト教ですが、クロアチア人地区にもモスクはあります。
私が宿泊した宿(Kriva Cuprija)がこちら。クロアチア人地区にあります。カッパドキアで泊まった洞窟ホテルのような、石を削って作られた部屋でした。豪華なビュッフェ朝食付き。(€39)
夕食は宿の近くのレストランで取りました。この辺りでは鱒が捕れるからか、名物となっています。私も鱒のグリルを注文しました。焼き加減もよく、おいしかったです。レモンを絞って味を変えてもこれまた絶品。付け合わせのほうれん草のソテーもいい脇役ぶりでした。(29KMマルカ≒1600円)
満腹で大満足した私は、再び橋を渡って、ムスリム地区に向かいました。夕暮れになると街がライトアップされていい感じでした。個人的意見ですが、イスラム国家が最も美しく見える時間帯は日没直後の夕暮れだと思っています。アラビアンなランプと、街中に流れるアザーンが本当にいい味を出してくれるのです。
帰り道(確か、クロアチア人地区)に、ジェラートのお店があったので買いました。これは何味のジェラートだと思いますか?
答えは、コーラ味。感想は… 二度と買うことはないと思います。めちゃ甘いコーラ味で、マシュマロのような食感でした。笑
翌朝、ネレトヴァ川のほとりまで行き、スターリ・モストを下から眺めました。改めてみると、高くて細い橋です。
ほとりにこんな石碑がありました。おそらくボスニア語で書かれているのですが、数字とスターリ・モストという言葉を拾った感じだと、『1993年の11月9日にスターリ・モストが破壊された』という旨が書かれているように思えます。(※あくまで予想です)
橋の東側には展望台みたいなところがありました。あと、内戦中の写真を展示したギャラリーも。そこにあった写真には、避難する子どもの写真などだけでなく、兵士や死傷する市民の姿もあり、私の想像を遥かに超えた残酷なものばかりでした。今でもはっきりと覚えているのが、ひれ伏す市民に対して冷たい銃口を向ける兵士の写真と、真っ白な雪が積もった土に真っ赤な血が大量に流れている写真です。
橋を渡り、ムスリム地区に入ってすぐの所にも、ギャラリーがありました。こちらは固定ビデオカメラで撮影された、スターリ・モストがクロアチア人によって破壊されていく映像を無料で見ることができます。クロアチア人兵士たちが何度も何度も砲撃を重ねていき、橋が徐々に破壊されていく姿には心が痛みました。そして、とどめのロケット弾により、橋は粉々になり、川へと崩れていくのです…。
2004年にユネスコの協力により橋が再建されるまで、弧のない橋の両端で宗教や民族による住み分けがされていました。橋は復元され、通行は可能になりましたが、今でも住み分けは実質行われています。島国の日本に生まれた私には、宗教や民族の大きな対立というものを経験したことがないし、『橋を越えた先は異なる国や民族だから行ってはいけない』というイメージができないのですが、民族や宗教による考え方の違いから今日も戦争が起きているように思えます。なかなか根が深く、難しい問題であるし、ボスニア内戦の概要しか知らない私には偉そうに語る資格はないのですが、少なくとも「お互いの違いを認め、理解しようとする」ということができたら、世界はもっと上手く回るのではないかと思います。
ドブロヴニク行きのバスが12:30に出発なので、バスターミナル方面に戻りました。スターリ・モストを北に行く(バスターミナル付近)と、ネレトヴァ川がより美しい色で流れていました。
ドブロヴニク行きのバスは4番のバス停から出発していました。(25KM≒1400円)
サラエボに続き、モスタルでも日本から贈られたバスが走っていました。
バスは定刻に出発し、ほどなくしてクロアチア国境に到着。警察官がパスポートを回収してスタンプをもらい、無事に入国しました。
このモスタル→ドブロヴニク行きのバスですが、満席だった上、ぐねぐね山道が続いたので、普段バス酔いしない私でも少し気分が悪くなりました。酔いやすい方は酔い止めを飲んでから乗ることをオススメします。
以上、ランダムに2011年夏の旧ユーゴ旅行を挙げてきましたが、廻った順は以下の通りです。
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モスタル(今回)
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ドブロヴニク
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という流れで廻りました。なお、ドブロブニク2011は省略しましたが、昨年8月のクロアチア旅行記はまとめてありますのでよろしければこちら↓をどうぞ。
クロアチアは景色も美しいし、ごはんもおいしいので、個人的にはオススメの観光地です。ただ、その美しい街並みの裏には内戦から復活した悲しき歴史があるということを忘れずに旅をしてもらえたらと思います。そして、お時間があればボスニア・ヘルツェゴビナにも是非寄っていただきたいです。