#007 シドニーで人生初の救急車、入院、手術をしてみた。(2005.1)
みなさん、お待たせいたしました。いよいよ「入院するの巻」です。涙
謎の腹痛が12/27の夕方に発症してから早4日。痛みを感じつつも、自分を騙しながらも親友Oとオーストラリア観光を楽しんできました。
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12/31にシドニーに着き、大学時代の友達であるTちゃん(シドニー留学中)と合流し、新年早々に行われるハーバーブリッジの花火を3人で見ました。それからTちゃんの家で年越しそばを食べ、まったりと飲み食いをしていました。さぁ、寝ようという時に徐々に痛みが増していく感じがあったのですが、とりあえず就寝。
しかし、2015年1月1日の朝6時頃に、「時は来た」のです。
キターーーーーーーーー!!!!!!
とりあえず、近くで寝ているOに事情を説明。今までの痛みとは全然違うのです。お腹をえぐられるような、やばい痛み。OはTちゃんを起こしてきてくれました。
私「T、救急車を呼んで…。」
T「いいけど、救急車は有料だよ。」
そうなのです、オーストラリアの救急車は有料。でも、旅行保険に入っているし、居ても立っても居られない状態だったので、呼んでもらいました。
ほどなくして救急車が到着。Tちゃんが簡単に事情を説明してくれました。しかし、もがく私を見て、救急隊員はありえないことを言いました。
救急隊員「そんなに大したことないと思うよ?病院に行ってもいいけど、お金かかるよー」
怒る気力もないので
私「イヤイヤ、本当にお腹が痛いんです。病院に連れて行ってください。」
しぶしぶ承諾する救急隊員たち。パスポートに日本での住所が書いていなかった(最後の欄に記入欄があるんですよ)ので、救急車の中のストレッチャーの上で、仰向けになりながら書きました。今でも当時のパスポートが残っているのですが、その時に書いた私の住所は殴り書きの上、誤っていました。それだけはちきれるような痛みと戦っていたのです。笑
下り坂を頭から下りていったため、落ちそうになりながらもおそらく7時頃病院に到着。(あとでTに聞いたところ、有名なその高級病院の名前を挙げておいてくれたようです。)ちなみに、たった走行距離8キロの救急車の代金は、2005年当時で165AU$。13000円以上です。そのくせ、あの塩対応だからね。号泣
緊急病棟に到着。ストレッチャーのまま中に入ると、全身タトゥーで血だらけの兄ちゃん達に囲まれました。たぶん、年越しでお酒を飲んで、喧嘩してケガをした患者さんたちだと思われる。そこに、幼気な日本人女性1人(絶賛弱り中)が放り投げられ、診察を待ちました。笑
怖いんですけど…。ここはサファリパークですか…?
しばらく待つと私の番がやってきました。事前に辞書で調べておいた病名を私から言いました。
私「お腹が4日くらい痛いんです。『盲腸』じゃないでしょうか?」
医者はまだ病名を言ってくれませんでしたが、待合室で看護婦さんは点滴と謎の薬と液体を3杯持ってきました。
薬を飲んだ瞬間吐き気を催しました。そしたら「液体を飲んで!ゲロ止め(vomit stopper)だから!」と言われ、謎の液体を飲まされました。ゲリ止めは知っていますが、オーストラリアにはゲロ止めがあるんですね…。笑
しかし、そのゲロ止めがおそろしくマズくて、1杯が限界。もちろん、飲まなければいけないことはわかっているのですが、喉が拒否します。このままだと、ゲロ止めのゲロ止めが必要になり、ゲロ止めスパイラルにはまってしまいます。笑
体格のいい看護婦さんに「早く飲みなさいよ!!」って言われるから、何とか2杯は飲み切りました。点滴をしているからか、喉が全然乾かないのですよ。いや、喉が渇いていてもコイツはおいしく頂けません。また看護婦さんが来た時に「もう飲めません」って言ったら「もういいわよ!!」って言われ、撤去。ふー、ひと安心。
当時はあの味を形容できなかったけれど、あれからインドで飲んだORSの味に似ていたなぁ、と、今これを書きながら思いました。ORSだったのかもなぁ。確証はないけれども。
夕方にOTコンビがお見舞いに来てくれました。TちゃんがOを連れてシドニーを案内してくれて本当によかったです。シドニーで行こうと思っていたブルーマウンテンツアーもイルカを見るツアーも行けなくなり(代わりにTちゃんの彼女と友達に行ってもらった)、Oには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ベッドも確保されたし、とりあえず私の入院は決定のようだけども、まだ病名は不明。盲腸じゃないのかしら?と思いつつ、一晩中点滴を受けながら就寝。
翌朝から、色々な検査をしました。そしたら夕方に医者がやってきて、以下の説明をしてくれました。
①あなたは盲腸ではなく、体内のある管(病名がばれるので詳細は伏せます)がねじれている
②このまま日本にはとても帰せないから手術をしなければならない
③手術をすると、飛行機に10日間乗れないから帰国が遅れる(気圧で傷口が開くから)
④今夜間もなく手術を行う
えーーーーー!!!!
早速家族に国際電話。毎年の年始予定を計算して叔父の家に電話した(奇跡的に電話番号を思い出した自分にびっくり)ら、母と繋がり、事情を説明。職場にも後日連絡をしてもらうことを頼みました。新入社員のくせに、新年早々有休を使うはめになるとは…。しかも、異国で人生初の手術ですよ…?
私の手術前にOTコンビがまたしてもお見舞いに来てくれました。Oとは結局一緒に帰国できず、香港観光も一人で行かせてしまう羽目に…。本当にごめんなさい。
ドラマのようにストレッチャーで運ばれる私を見送るOTコンビ。
手術室に入ったら、「10数えて下さい。」と言われました。10数える前に記憶をなくしました。(全身麻酔ですね。だから、事前に誓約書を書かされました。)
目覚めたのは夜中。手術が終わったのかどうかもよくわからないけれど、布団の上にビニール袋が…。しかも中に何か入っている…?摘出した臓器か何かかと思ったら私のpantiesでした。笑
手術前に、医者から「下着は外して待っているように」とは言われたけれど、下は履いていていいと思ったのですよ、開腹手術だし。と思ったら、当時最先端の「腹腔鏡手術」だったので全身麻酔だったみたいで…。おかげで傷もお腹に小さい×が4か所できただけで済み、翌日の昼には退院できました。当時、同じ摘出手術を日本でしていたら、開腹手術で1週間くらい入院だったと後で知り、オーストラリアの最新医療技術に感動しました。
しかし、オーストラリアの病院食は高カロリーです。ビーフステーキにマッシュポテトとかでした。痛みの原因を解決させた私は食欲も戻り、ガツガツ完食できましたが、あんな不健康食でいいのかしら?
私の命の恩人のドクターと。感謝です。
ちなみにこの高級病院の医療費はトータル2670AU$=¥214,000。全て旅行保険で支払われました。このことがあるので、私は旅行の度にちゃんと保険に加入しています。「備えあれば憂いなし」です。
退院後はTちゃんの家で「愛のない同棲生活」を送りました。笑
Tちゃんは病人の私に歩幅を合わせてくれないスパルタ方針だったので、私の回復は早かったように思えます。笑
かつてのホストマザー、モニークにも会ってきました。
帰国寸前にTちゃんとボンダイビーチに行きました。nudest beachとして有名なところで、トップレスのギャルがわんさか泳いでいます。(余談ですが、その後クロアチアのnudest beachでは全裸の男性がわんさかいました。本来のnudest beachとは「チン百景」なんですね…。笑)
話がそれましたが、とにかくトップレス…ではなく美しいビーチで有名なボンダイビーチが見てみたかったので、行きました。ちょっとだからいいやって思って日焼け止めを塗るのを怠ったら、やけど寸前の日焼けをしてしまいました。帰りの飛行機では、お腹の手術痕ではなく背中の日焼け痕の痛みに苦しむ私なのでした。笑
長くなりましたが、やはり旅に無理は禁物ですね。今回は幸い知り合いがいる先進国で発症したからよかったけれど、怪しい途上国だったら、知らないうちに臓器が取られて売られていたり、使いまわしの器具で変な病気をもらっていたかもしれないし。ちょっとおかしいと思ったら、ちゃんと病院に行くべきだと思います。
皆さんも健康に気を付けて、よい旅を。