#139 ムール貝には気を付けろ。 (2010.5)
ムール貝に当たったら死ぬぞ…。
5月23日
マルタ4日目は、前日に意気投合したTさんと再会しました。
まずは、マルサシュロックと呼ばれる港町へ。朝市が開かれていて、朝から地元の人や観光客で大賑わいでした。
野菜の大きさや形が日本と違っていて、当時の私には新鮮でした。魚や野菜やお土産物が売られているのはわかりますが、服や日用雑貨、ついにはガラクタにしか見えないおもちゃも売られてて、購買層がよくわからず…。
で、ランチはその日もシーフードで、前日食べ損ねたエビとムール貝のスパゲティを食べました。
食事をしながら、Tさんが教えてくれた話なのですが、日本を出る時にお父さんが留学を反対したそうで、説得を続けた結果、ようやく認めてくれた時のT父の言葉が、
『…ムール貝には気をつけろ。当たったら死ぬぞ』らしいです。笑
そんなことは全く知らずに注文した私は、内心ビクビクしながらムール貝を食べました。まぁ、何もなかったし、このスパゲッティはかなりおいしかったのでよかったのですが。なお、Tさんは父の教えを守り、除けてました。笑
当時の私はそれほどムール貝を食べたことがなかったのですが、それ以降ムール貝を食べる度にこの言葉が浮かび、若干ビビります。が、当たったことはないため、今日も私は生きております。神様、ありがとう。笑
その後は、スリーシティーズの1つのセングレア(Senglea)へ。そこには、目と耳が付いた展望台があって、眺めもいいのです。ちょうど、首都ヴァレッタの対角に位置するので、ヴァレッタ全体がよく見えました。なお、スリーシティーズというだけあって、3つの街の総称なのですが、それは
セングレア、
ヴィットリオーザ(Vittoriosa)、
イムディーナ(Mdina)の3都市を指します。イムディーナは夕暮れに行くと雰囲気がいいということで別の日に行ってみたのですが、最終バスの関係上、日没寸前までしかいられませんでした。笑
で、バスでヴァレッタに戻る時に、Tさんが学校の宿題がわからないと言うことなので、私が教えることになりました。当時の私は英語教師の仕事が嫌になって退職して旅をこうして続けてきたのですが、久しぶりにやってみると教師の仕事も嫌いじゃないかもって思えました。自分と向き合えた時間をくれたTさんに感謝です。短時間だったけど、教師冥利に尽きた瞬間でした。
5月24日
マルタ5日目の天気予報はまたしても雨でした。だから、かなりのんびりと準備してたら、出発する頃には雨は上がってました。
まずは繁華街・セントジュリアンへ。ここはディスコやらバーがいっぱいあるので夜はごった返してるらしいのですが、午前中はただの町でした。マルタの家の出窓って、カラフルで味があって、おしゃれです。
お土産を買った後は、プロムナードをひたすら歩きました。その頃には晴れてきたため、海の色もより綺麗になり、写真を撮りまくりました。 地中海に浮かぶこの国には、やはり晴れが似合います。
ランチした後はヴァレッタに行き、騎士団長の宮殿へ。甲冑が宮殿の両サイドに等間隔で並んでて、厳かな雰囲気でした。ちなみに、甲冑は実際に使われてたものだそう。銃や刀などの武器から大砲まで展示されていて、なかなか興味深かったです。この甲冑、かなり重いだろうから、戦うとき大変だったんだろうなぁ。
マルタ騎士団の兵士が兜の口の部分を上にずらす仕草から今日の敬礼ポーズが生まれたらしいですよ。
それから首都ヴァレッタを歩くのですが、急な坂道もあるので歩くと結構疲れます。トラムとか走っていてほしい。笑
その後はマルタ体験ショー(The Malta Experience)へ。体験ショーと言っても、マルタの歴史に関する映画を見るもので、10ヵ国語に翻訳されたオーディオの中に何と日本語放送が! 中国語や韓国語を差し置いて日本語ですよ? まぁ、その割には日本人観光客が少ないのが残念ですが。
この映画ではマルタの歴史がかなりわかりやすく説明されるのでおすすめです。古代神殿のこととか、十字軍やマルタ騎士団のこととかが映像と共に日本語ガイドで解説してくれるのでわかりやすいです。ホストマザーのヘレンが初日に行くべきだと言っていた理由がわかる気がします。この体験ショーは平日なら11:00~16:00(土日は11:00~14:00らしい)の毎正時に上映が開始されてました。
体験ショーの帰り道に、アッパー・バラッカ・ガーデン(Upper Barracca Garden)から眺めた絶景と門番らしき方。
その日の夕食でヘレンが『テレビは家族の会話を奪うものだから良くない!』と、近代文明を批判してたのに、私が夜中に耳にしたのはバラエティーを見てゲラゲラ笑うヘレンの声…。
あのぅ、テレビのコード、切っていいですかね?笑
#138 ゴゾ島とコミノ島に行ってみた。 (2010.5)
コミノいいとこ 一度は行っておいで。 (何もないけどw)
5月22日
マルタ3日目はマルタ本島を離れ、ゴゾ島へ行きました。日帰りで簡単に行けちゃうんです。
まずはマルタ島の西にあるフェリー乗り場までバスで行きました。前日同様、最寄のバス停→ヴァレッタバスターミナル→(乗り換え)→フェリー乗り場という、要領の悪い動きなのですが、公共交通機関がバスターミナル立寄必須のルートしかないから仕方ないのです…。
出発後、しばらくしたらアジア系の女の人2人が途中で乗車してきました。会話を聞いていると…日本語!!会話から察するに、どうやら留学生のようです。そのうちの1人が私の横に座ったものの、シャイな私は話しかける勇気がなく…。
そしたら、「日本人ですか?」って英語で話しかけられ、お互いに自己紹介をしました。すると、彼女たちもゴゾに行くことが判明し、一緒に廻ってくれることになりました!いい人たちだ♪
彼女たちは、マルタの語学学校に通う学生さんたちでした。Sさんは2児の母で、日本で英会話教室の先生をしており、1か月の短期留学中。Tさんは看護師の仕事を辞め、マルタで6ヶ月間の留学予定なんだとか。偶然にも、3人とも出国日が一緒だったことが判明。それぞれ空港は違ったものの、同じ日に日本を出てここで偶然出会うなんて、何だか縁を感じますね。私がトルコ人やエジプト人に囲まれている間に、彼女たちはマルタで英語を学んでいたんですね。笑
フェリー乗り場に着くと、彼女たちの留学仲間と合流。みんないい人で、すぐに仲良くなれました。
フェリーに乗り、ゴゾに無事に到着。Sさん達は留学仲間から観光バスで要領良く廻ると聞いていたらしいんだけど、実際にはタクシーをチャーターしました。
ええ、普通の5人乗りタクシーを、7人でチャーターしました。
つまり、運転手を入れて8人で5人乗りタクシーですよ??しかも、なかなかふくよかな女性が1人いらっしゃる。笑
その巨女の方には助手席にゆったり座っていただき、SさんとTさんが私の膝の上に座り、ぎゅうぎゅう詰めで何とか乗りました。というか、写真からもわかる通り、二人ともヘッドレストを持ったままほぼ立ってますね。カーブとかになると重力に抗うのが大変だったけど、意外に楽しかったです。笑
まず到着したのが、アズール・ウィンドウ(Azure window)。azur=スペイン語で青いという意味の通り、浸食した岩の隙間はまさに『青い窓』のようでした。azureはたぶんフランス語かな?
足元がガタガタの岩になっていて、かなり歩きにくいので、歩きやすい靴が必須です。
その後は、大聖堂(The Cathedral)へ。だまし絵で有名なところで、天井にあったドームは実際は平坦な天井に描かれてました。完全にだまされましたよ。笑
この教会の近くにあったギャラリーのようなお土産屋さんのガラス工芸品がおしゃれでかわいかったです。
大城塞(The Citadel)の高台からはゴゾ全体が見られて、絶景に感動。高い建物がそれほどないため、町全体が見渡せます。退職したてのTさんと2人で語ってたら、境遇が何だか似ていて、意気投合しました。
大城塞もいい感じでしたよー。
そして、ジャン・レノ似のタクシードライバー推薦のシーフードレストランでランチ。私は大好物のエビを注文したらまさかの品切れ。その後、カニ、サーモンに変更したけど、どれも品切れ…。
ジャン・レノ~!むしろ、何ならあるんだい?笑
結局、カマス(barracuda)のグリルを注文。巨大魚が来てビビったけど、完食!
なお、食後のドリンクでも、イタリア人のイケメン留学生がエスプレッソを注文したら機械が故障中でした…。ジャン・レノ~!!
↑ジャン・レノはタクシードライバーだから、実は悪くないけどね。笑
それからは別の教会に連れて行ってもらったら…まさかのクローズ。ジャン・レノ~!!!って思ったけど、降車時にタクシーチャーターが終わってたので、彼は既におらず…。
仕方ないので、教会から歩いてフェリー乗り場へ行きました。ゴゾ島のすぐ隣にコミノ島って言う小さい島があるので、みんなとお別れして、私だけコミノ島に行ってきました。最終フェリー(たぶん16:15発くらい)にギリギリで間に合い、ゴゾから20分ほどでコミノ島へ到着しました。時間がなかったら行くのをやめようかと思ってましたが、間に合ってよかったです。
ゴゾの海も真っ青で綺麗なのですが、コミノの美しさは今まで見てきたどの海よりもクリーミーな水色でした!!そして、澄んでいます。こんな美しい色が自然界にはあるんだなー。色合いとしては、前日の青の洞窟にも似たとこもあるのですが、青い空と日光がさらにブルーラグーンの美しさを引き立ててますね。表現が乏しくてこの美しさを上手く伝えられないのが申し訳ないです。笑
以前からHさん(元マルタ留学生)に「コミノのブルーラグーンの海は超綺麗だよ」って薦められてたのですが、本当に行ってよかったです!正直、他には何もない島なのですが、海の色を見るだけでも行く価値ありです!
海で泳いでいる人もいたけど、私は足を浸けたのみです。岩がゴツゴツしているから、慣れていないと怪我をするらしいので、泳ぎたい方はその点を留意してくださいね。なお、脱衣所らしきものはないため、みんな廃屋みたいなところでこっそり着替えていたと思います。笑
滞在時間わずか2時間で再びゴゾ島へ戻りました。フェリーに乗っている間、波がかなり荒く、みんな立ったまま手すりにつかまった状態はまさにヤッターマン。しぶきは飛んでくるわ、服は濡れるわで大変でしたよ…。
で、ゴゾからはバスに乗って帰宅しました。ネコバスの中も運転が荒く、吊革に必死でしがみつきました。かと思ったら、上り坂になると超減速するため、バスが自転車に完全に負けるし。笑
#137 マルタで青の洞窟に行ってみた。 (2010.5)
青の洞窟と言えばイタリアのカプリ島が有名ですが、実はマルタにもあるんですよ。他にもクロアチアのフヴァル&ドブロヴニク、沖縄の真栄田岬、ブラジル(友人情報で未確認ですが…)にもあるようです。世界各地にもしかしたらあるのかしら?笑
5月21日
2日目は青の洞窟(blue grotto)へ行こうと決意。イタリアでは残念ながら強風のため、快晴の中入場できなかった苦い思い出があるので、リベンジ戦です。
※写真はイタリア・カプリ島の青の洞窟(2007.8)
マルタ島のバスは首都ヴァレッタに寄ってから各地を廻るという、一見便利そうで時間がかかる制度になっています。市町村が運営しているローカルバスみたいですね。ちなみに、上部分が白色、下部分が黄色でオレンジ色の線が入ったかわいいマルタのバスは、あのネコバスのモデルとの噂。私はやたらとジブリ映画の舞台と言われる場所を訪れるのですが、実はジブリ映画には全く興味がありません…。笑
新旧さまざまな型のバスが走っています。ネコ感ゼロで、トラック野郎風のバスもあります。笑
で、ヴァレッタに着いたものの、乗り換えバスがなかなか来ない…。そもそも、バスに付いてる番号も当てにならず、日によって行き先のバス番号が変わることもあるっていう適当っぷり。笑
だから、乗るたびに行き先を確認しないといけないのです。ようやく目当てのバス(38番=ガイドブック通りでしたw)が来たので、行き先を確認して乗車しました。ちなみに、バスのドアはあってないようなもので、閉まることはほぼなく、降りるときはひもを引っ張ってベルを鳴らして運転手に知らせるというアナログ式でした。笑
最近ではボタン式のバスも増えてきたのだけど、一番困るのはひももボタンもないバスです。土地勘のない私には恐怖しかないバスでした。運転が荒いときもあるから、席を立って降りようとすると吹っ飛ばされそうになるし…。笑
で、40分程ネコバスに乗り、青の洞窟に到着。乗り継ぎがうまく行かず、家を出てから2時間近くもかかってしまいました。笑
少し歩いて、船乗り場に着くと、8人ほどでボートに乗りました。ライフジャケットが配られます。
カプリ島では風が強くて中に入れなかったけど、ここでは無事入れました! カプリ島やフヴァル島(クロアチア)と比べると穴が広いけど、振り返ったら真っ青な海があってここでも十分感動しました!思わず、「帰れソレントへ」が心の中で流れました。笑
♪Ma nun me lassà~♪(中学校の時に歌ったので未だに覚えてるw)
ただ、私が青の洞窟に到着したのは昼過ぎなのですが、マルタに住んでいたHさん曰くマルタ島の青の洞窟は午前中に行くといいらしいです。太陽光の入り方が違うんだとか。まぁ、午後でも綺麗でしたが、これから行かれる方は是非午前中を狙って下さい。
その後は昼食後にヴァレッタに戻り、買い物をしました。出発直前に『虹色ジーン(フジテレビ系)』でやってたマルタ特集で出ていたフィルグリー(銀細工)の店、The Silversmith's Shopに行って来ました。この店のフィルグリーアクセサリーは模様が細かくて、かなり可愛いのです。
テレビに出てたおじさんがいて、ピアスとブローチ(母へのお土産)を購入しました。日本のテレビ番組のことを言うと、放送以来日本人がたくさん来て、携帯で番組の動画を見せてくれる人もいるんだとか。
ここで買ったピアス、かなりかわいかったのですが、フック式の方は帰国後に片方を紛失してしまいました…。あと、銀で作られているので硫化しやすいため、空気に触れないように保管しないと黒ずみます。ただ、マルタ十字ピアスは買ったときにもらった箱で保管しているため、8年たった今もそれほど変色していません。
余談ですが、銀製品が黒ずんでしまった時は、
① アルミホイルをクシャクシャにして、入れ物を作る
② 熱湯と大さじ1杯の重曹を①に入れる
③ 数分放置
で、ピカピカに蘇りますよ。
何だか要領よく回れず、2日目終了。バスがなかなか使いこなせないのが反省点でした。「止まります」ボタンが付いてて、車内放送も入って、バス停に名前が付いていて、時間に正確で、安全運転な日本のバスのありがたさを改めて知った一日でした。
#136 マルタでホームステイしてみた。(2010.5)
マルタの船には目があります。船が航路を見失わないためなんだとか。
5月20日
昼前にイスタンブールを出発し、15:00くらいにマルタに到着しました。そして、外を見ればあいにくの曇り…あれ、マルタってずっと晴れてるんじゃないの…?なお、エアマルタの乗り心地は普通でした。笑
ちなみに、マルタ共和国はイタリアの一部ではなく、れっきとした独立国です。イギリス領だったこともあり、公用語はマルタ語と英語で、首都は一番大きい島のマルタ島にあるヴァレッタ。
5つの島(うち、2つは無人島)からなる島国。位置はイタリアのシチリア島の南です。
ちょっとわかりにくいですが、これがマルタ国旗。左上にはマルタ十字と呼ばれる十字架があります。
なぜイスラム教圏から急にマルタに行ったのかと言うと、3つ理由がありました。一つ目はイスラム教圏の合間にキリスト教圏を入れてリフレッシュしたかったから。二つ目はその1年前にチェコで会った旅仲間Hさんからマルタに語学留学していた話を聞いていて、何となく惹かれたからです。3つ目は、次の目的地のチュニジアに近く、船で行けるという噂を聞いたからです。(でも、結果的には船便は廃止されてましたが…。)
マルタでは、6泊7日のホームステイを申し込んでいたので、お迎えのドライバーにホームステイ先まで送ってもらい、ホストマザーと初顔合わせ。ホストマザーのヘレンは初めから気さくな人で、かわいらしいおばあちゃんでした。
簡単に自己紹介し、お茶をしてから周辺散策しようとしたら…
外は大雨!!ヘレンに傘を借りて出かけてみると、途中で雷雨に…。あとで聞いたら、この時期の雨は珍しいようです。到着早々、雨まで連れてきたような感じがして、雨女疑惑が浮上しました…。
程なくして雨は上がって快晴になり、ハトたちも私もひと安心。海が青さを増し、ビーチが一気に綺麗な風景に変わりました。歩くだけで何か癒される理由は、シドニーにいた時に住んでいたマンリーに似た街並だからかなぁ。
で、やや道に迷いつつも帰宅し、夕食をいただきました。ヘレンの作るご飯はいつもおいしくて、マルタの家庭料理を味わえました。夕食を一挙公開します。
夕食はツアー代金に含まれていました。
朝食はセルフ式。こちらも代金に含まれています。
お部屋もおしゃれでいい感じ。英語圏に来たんだなぁと、何となくホッとしました。
私がホームステイを選んだ理由は、中心部のホテルの宿泊代と大して値段が変わらなかったのと、現地の人と触れ合ってみたかったからです。ツアー代金がいくらだったか忘れましたが、1泊8000円くらいだったと思います。2010年当時は、ペリカン便で有名な日通の旅行会社で、そのプランをやっていたのですが、先ほどチェックしたら今はそのツアーはやっていないようです…。
総合トップ 現地旅行会社:日通ペリカントラベルネット:ホテル・ツアー・航空券 現地予約
ただ、語学留学先にマルタを選ぶと、比較的値段が安い&日本人が少ないのでよかったと、件のHさんが言っていたので、マルタでホームステイ&英語留学をするのもいいかもしれませんよ。(写真はHさんが通っていた語学学校、EC)
次回はマルタ観光について書きます。
#135 アレキサンドリアまで遠出してみた。(2010.5)
『できるなら 飛んで戻りたい イスタンブール』
一句できた。笑
5月18日
朝起きたら、小さいGが更に1匹増え、3匹に…。
これまでは、暑い国だから仕方ないって泣く泣く割り切ってたけど、我慢も限界に達し、フロントへ直行しました。後で何とかしてくれることになりましたが、念のため部屋にも、チップと共に『Gを退治して!(イラスト付)』ってメモを残して出発。笑
エジプト3日目はカイロ郊外のアレキサンドリアへ行くことにしました。本当は飛行機を使って、ツタンカーメンの遺跡があるルクソール日帰りツアーも魅力的だったのですが、値段がべらぼうに高かった(確か日帰り7万円とかだった気がする)のであきらめたのです。ただ、最今の中東の治安とか考えると、あの時に行っとくべきだったかもなーとも思います。
カイロからアレキサンドリアまでは車で片道3時間。前日のピラミッドツアーの時と同じガイドさんとドライバーさんでした。私はひたすら爆睡してしまい、気がついたらアレキサンドリア周辺でした。だって、ホテルでは騒音で熟睡できないもん。笑
アレキサンドリアは、地中海に面したリゾート地です。海岸沿いはイスラム圏にいるのを忘れてしまうような景色が広がります。エジプトの混沌とした感じに辟易とした私にはある意味ピッタリの場所だったのかもしれません。笑
それでも、通りに出ると渋滞する車の間を人間が行き交う感じです。また、トルコと比べて、エジプトの女性の服装はイスラム色が強いですね。
観光地をいくつか廻りましたが、トルコのエフェスと同じでローマ遺跡って感じでした。エフェスに行ってなかったら、もっと遺跡に感動してたかなぁ? やはり、奮発して、ルクソール観光にすればよかったかもなー。
でも、リゾート地ということで景色は綺麗です。目の前に広がる真っ青な地中海とヨーロッパ風の街並はカイロとは全く違いました。この地中海の先にはヨーロッパ大陸、もっと言えばトルコがあると思うと、何となく心踊ります。笑
ランチで食べたカラマリマクリ(イカフライ)、おいしかった!エジプト人に絡まれまくることもなかったし…笑
18時過ぎにホテルに着き、ガイドさん&ドライバーさんと別れたあと、恐る恐る部屋に入ると…奴はいなくて、ひと安心。それ以降、一度も会いませんでした。
夕食は疲れからか、食べる気にならず、日本から持ってきたお菓子を食べました。ポストカードを書いたので、ホテルの中の売店で切手を買ったら、ガイドブックの何倍もの値段を請求されました。『今年になって値段が変わったんだ。信じてくれ。』と言われたので、信用して払いました。そしたら…。
5月19日
朝、ホテルにツアー会社の人(日本人)が来て、ツアーの感想を教えてほしいと言われたので、超正直にツアーとホテルの感想を言いました。というか、主にホテルのクレームを…。(ツアー自体は満足だったので勿論そのことも伝えました)
さらに、その時に日本行きのハガキの切手代を聞いたら、やはり私、ぼったくられたみたいで、5倍の値段を取られていたようです…。
『おい、土産物屋のオヤジ!!』とその後文句を言いに行ったけど、まだ店が開いていなくて断念…。エジプト旅行の最後の最後に嫌な思い出が残りました。
#134 エジプト文明に触れてみた。(2010.5)
エジプトの第一印象は最悪でした。2日目で好感度を挽回できるか?
5月17日
朝早起きして、Gのせいで昨夜あきらめたシャワーを浴び、ツアーへ参加しました。 なお、夜中のうちにGはいなくなっていて一安心です。
日本語ツアーなのに参加者はまさかの私だけだったため、現地の日本語ガイドさん、ドライバー、私の3人でツアー開始。シニアの団体とかと一緒だと思ったのになー。
ギザのピラミッド群の入場料が£60≒1200円。結構します。で、ピラミッド内部に入るにはさらに追加料金を払わなければなりません。
クフ王のピラミッドは、他のピラミッドと違い、入場制限(先着150人)があるため、開場時間の8:00ちょっと前にチケット売場に並びました。そしたら一番乗り♪なお、2010年当時の入場料は£100(ポンド)≒2000円でした。
1番にゲートに入り、写真を撮りまくりました。昨日、エジプト人の「洗礼」を受け、エジプトが嫌いになっていたし、写真などで何度も見てきた光景なのに、ピラミッドを目の当たりにするとやはり圧倒&魅了されてしまいました。私と同じくらいの高さの無数の石を、クレーンもない時代にどうやって積み上げたんだろうなぁ。なお、クフ王のピラミッドだけで2.5tの石灰岩が230万個ほど積んであるようです。一つ一つの石が大きいため、入場するのも結構一苦労です。笑
ピラミッドの内部は暗くて冷たく、梯子を渡って斜めに上っていく感じでした。で、クフ王の棺があった所に行き、戻って来る感じでした。棺の周りで怪しい宗教集団が謎の儀式をしていてやや怖かったです。で、彼らが十字架を抱えながら次々と棺の跡地に横たわっていくので、私も真似っこしてみました。霊感のない私は何も感じることができませんでしたが。笑
そんな感じで、中に入っても見所らしき所はほとんどありませんでしたが、ピラミッドの内部に入れただけで満足です。
なお、帽子をかぶっている風のカウラー王のピラミッドは£25=500円と、クフ王の4分の1の値段で内部に入ることができるようです。ちなみに、カウラー王はクフ王の息子。安い日本語ツアーでは、カウラー王の内部見学のみの場合が結構多かったので、パンフレット等で要確認してくださいね。私はカウラー王の方には入ってないので比較できませんが、行くなら是非入場制限のあるクフ王へ!笑
なお、クフ王(右)<カウラー王(左)のように見えますが、実際にはクフ王(138.75m)>カウラー王(136.4m)です。傾斜の関係からか、錯覚します。
なお、メンカウラー王のピラミッドは当時閉鎖されていました。65mしかないので、他の2つと比べるとかなり小さいです。メンカウラー王はカウラー王の息子らしい。マトリョーシカのように、ピラミッドの大きさが代々小さくなっていきます。笑
その後、スフィンクスへ。改めて見ると、有名なこの構図は、カウラー王のピラミッドだったんですねー。
遥か昔はスフィンクスに着色が施されていたらしいのですが、今は風化のためほとんど残っていません。でも、よーく見ると顔に跡が残っています。ガイドさんが色々な写真ポーズを知っているため、スフィンクスとチューしたり、されたりする写真を撮りました。
あ、噂通り、スフィンクスの視線の先には、ケンタッキーフライドチキンがありましたよ。その名も、ケンタッキー・フライド・チキンのスフィンクス店。笑
なお、ギザのピラミッド群ではラクダに乗ることができます。私はやりませんでしたが、1980年代に私の祖父母がラクダに乗っている写真が実家にあります。笑
景色や砂の色の美しさならモロッコのメルズーガ砂漠の方がオススメです。
話はエジプトに戻り、ギザの3大ピラミッドはこんな感じですが、エジプトには90基ものピラミッドがあり、ツアーによってはピラミッド10基ほどを巡るツアーなどもありました。まぁ、私は3大ピラミッドが見られただけで大満足なので、次の観光地に移動します。笑
移動中に、食用のラクダが車で輸送されている様子に遭遇。何だか切ない。
その後は、考古学博物館へ行きました。ここは古代エジプトの貴重な遺産が収蔵されています。有名どころでは、やはりツタンカーメンの黄金マスクですかね。入場料は£50≒1000円ですが、ミイラ室に入るには£100が追加でかかります。また、残念ながら写真撮影は禁止されているので注意です。ツタンカーメンのマスクとか、装飾品とか、お棺とか、本当に綺麗で魅了されたため、思わずパンフレットを買っちゃいました。一見の価値ありです。
その後、イスラーム地区へ。ムハンマド・アリ・モスクのランプが可愛らしかったです。
最後にハン・ハリーリで買い物。エジプトのマーケットには値段がないため交渉が必須なのですが、当時の私はうまく値切れず、ガイドブックに書かれている相場よりもかなり高い値段を言われました。やはり日本人は高く請求されますよね…。
この黄金のペンは10本まとめ買いしたため、1本£1≒20円で買えました♪
その後ホテルへ戻り、ツアーは終了しました。ホテル近くにあるガイドさんオススメのコシャリの店に行き、夕食を食べることにしました。
コシャリとは…。
上段…濃い味の豆入りミートソース(フライドオニオン載せ)
中段…スパゲティを細かく刻んだみたいな麺
下段…ごはん
を混ぜながら食べるエジプトの伝統食です。
まぁ、おいしいけど、ちょっと濃いですね。値段は£3≒60円也。やすっ!
前日のガンバリマクリ(エビフライ)の30分の1の値段です!
1人でコシャっていると、かなりじろじろ見られ、またしても『写真撮ろうか?』って色々な男性に言われました。行く末はわかってる(=チップ請求)ので断固拒否。かなりしつこかったですが。イスラム圏では、女性の一人行動はあまりないらしく、ましてや地元食堂に外人女性が一人でいるなんて…って感じのようです。これがインドだと、「俺の写真を撮ってくれ!」「彼も撮ってくれないか?」と写真祭りになるんですけどね。笑
店を出るとホテルまでわずか数百メートルの距離なのに、タクシーやら物請いやらが次々に寄ってきて、ようやく部屋に戻れました。
で、そこで発見してしまいました。Gを…。しかも2匹…。増えてる。涙
騒音は相変わらずすごいし、どこが4ツ星ホテルだ!!半泣き状態で、奴らと戦ったけど逃げられ(ちなみに、Gと戦ったのはこの時が人生初)、ビクビクしながらもシャワーを浴びたら、直後に停電。20~30分は停電し、懐中電灯を夜な夜な照らす羽目に…。
相変わらずクラクションが激しい中就寝。クーラーを付けないと暑いけど、時間が経つと寒いし、でもタイマーないしで、何から何までデ〇タピラミッドホテル最悪。
…と、2010年当時は思いましたが、電気が安定して供給されていること、騒音が少ないこと、物の値段が決まっていること、チップで親切を買わないこと…など、逆に言えば日本の良さを改めて知るいいきっかけになったのはこのエジプト旅行かもしれません。そして、その1年半後にインドに行き、日本の常識が全く通用しない面白さを知ります。笑
そう、せっかく海外に行くんだから、日本と同じじゃつまらない。私が海外のリゾート地に全く興味を示さないのは、不便や文化の違いを感じながら旅行を楽しみたいからなんだろうなぁ。だから、当時は嫌で嫌で仕方なかったエジプトも、インドを経験した今なら楽しく廻れるような気がします。笑
#133 エジプトでカラマリマクられてみた。(2010.5)
トルコ旅行の続きです。トルコ旅行についてはコチラをご覧ください。↓
2010年5月16日
イスタンブールのアタチュルク空港からカイロへ向かいました。機内放送で、気温43℃と聞いて私を含め乗客一同愕然としました。まぁ、実際には空港から即チャーター車で移動だったので、あまり暑さを感じませんでしたが。
空港が既に砂漠の国っぽくなってました。
この中東旅行ではトルコ→エジプト(今、ココ)→マルタ→チュニジア→モロッコ→UAEを1か月で廻ったのですが、要領よく廻りたかったのと、中東一人旅に若干の不安を感じていた(当時はヨーロッパ中心であまり途上国を訪問していなかった)ため、移動は主に飛行機を使い、現地ツアーを予め申し込みました。まぁ、トルコでは色々あって旅程が変わりましたが(#123参照)、これもいい思い出。退職したばかりなので、退職金を握って贅沢に廻ってきたのです。
という感じなので、空港で冷房のガンガンに効いた送迎車に乗り、カイロ市内に向かいました。宿泊ホテルはピラミッドが見える4ツ星ホテルとのこと。
高速を降りて、いよいよホテル周辺かと思ったら、いきなり未舗装の砂の道になりました。砂埃もすごいのですが、ボコボコ道でびっくり。砂漠の国に来たんだなぁと実感しました。そして、ピラミッドも砂漠の中にそびえ立って…。
と思ったら、普通に街中にあるんですね。笑
近くで見るピラミッドはやはり迫力がありました。 既に夕方だったので、ピラミッドが光に照らされるという、光と音のショーにタクシーで向かいました。
タクシードライバーが『ショーを安く見える方法を知っているぜ』と教えてくれたのが、単に近くのレストランから眺めるというものでした。笑
それくらい、私でもわかりますがね。笑
で、開始時刻の20:00になり、いつ始まるかと意気込んだものの、なかなか始まらず…。マンゴージュースだけで時間をつぶすのも限界が…。
40分ほど経過したら、ピラミッドがようやく光り始めました。英語放送の時間のはずが、ドイツ語放送なので、何言ってるかさっぱり?? でした。会場に行って見なくてよかったです。たぶん、ピラミッドの歴史とかを話していたんじゃないかなー、と。
で、この光と音のショーですが、香港の夜のようなショーを想定していったら…超ショボかったです。うん、感想はそれだけです。笑
で、同じタクシーでカイロタワーへ行きました。別にタワーに興味はさほどないのですが、ドライバーに薦められたので行ってみただけです。
降りたところに馬車がいたので写真を撮ってたら、馬車の持ち主に『馬車に乗った写真を撮るよ。ノープロブレム、ノーマネー!』って言われました。しかし、写真を撮った後、チップを要求されました。仕方ないので小銭を渡したら、タクシードライバーに少なすぎるって言われ、半ギレ。こいつら、グルだな!
気分不快なままタワーへ行き、エレベーターで頂上まで行きました。ここでも同じことが。 スタッフが写真を撮ってくれるって言ったからお願いしたら『チップくれ』だって。ますます不快になりました。スタッフだから大丈夫だろうと、一瞬でも信用した私がバカだったわ。しかも、金をとるくせにブレブレだったし。
ちなみに、カイロタワーの屋上は綺麗ですが、わざわざ高いお金を払ってまで見に行く程でもありません。いわゆる、タワーからのよくある眺めです。外に出て景色を見る感じになるのでとにかく寒いです。そう、砂漠の国の夜は冷えるのです。
夕食はエジプト料理屋へ連れて行ってもらいました。ガンバリマクリを注文。ちなみに、アラビア語でエビフライのことです。ガンバリ=エビ、マクリ=フライなのです。姉妹品としては、イカフライはカラマリマクリ。日本人には覚えやすいですね。このガンバリマクリ、エジプト料理の中で一番おいしかったです。量が多かったし、90ポンド(1800円)もして高かったですが、食べる価値ありです。
ホテルに戻ったら、タクシードライバーに高い料金を請求されました。 馬車男・タワー男・タクシー男の3英傑のせいで、一気にエジプトのイメージが悪くなりました。
4つ星ホテル、デルタピラミッドホテルの入り口には警察官がいて、セキュリティガード付きでした。
そんな4つ星ホテルの浴室には小さいGが…。 Gはセキュリティチェックで一番通したらいけないやつじゃないか。警察官、仕事しろっ!!笑
そんな感じなので風呂にも入れずにエジプト1日目は終了しました。
更に…。寝ようとしてもクラクションがうるさくて寝られなーい!
こんな交通標識もある位、エジプト人はすぐにクラクションを鳴らすから、合奏のごとくまさに毎秒どっかで鳴ってるのです。毎秒ですよ、毎秒!!窓を閉めていても、テレビを付けていても、それを越えて聞こえるてくるのです…。ドレミドレミ♪とか、音が凝っているのもまた腹立たしい。
※この時は衝撃でしたが、1年半後、インドで同じ思いをします。そして、気にならなくなります。笑
早速エジプト初日で濃いキャラのエジプト人たちにカラマリマクリ、彼らと戦うのにガンバリマクった一日でした。もう、イヤ。早く抜けたい。
#132 東日本大震災を風化させないために④ (2012.8)
2012.8.2
被災地旅行4日目、つまり最終日です。
松島に宿泊した翌朝、初日に丸長寿司の若大将に薦められた奥松島に行ってきました。ここは霊観っていう絶景ポイントで、山に登って撮りまし
で、塩竃に再び寄り、同じく薦められた「塩釜水産物仲卸市場」に行ってきました。ここでは、買ったばかりの好きなお刺身をごはん+味噌汁で食べられると聞いていたので、朝食を食べました。
お刺身を選ぶと、その場で捌いてくれます。私が買ったのはマグロとホタテなんですが、本当に新鮮で甘くておいしかったです!
この市場はプロも買いに来るらしく、観光客とプロが同じ場所で買うことができる貴重な場所らしいですよ。実家へのお土産として、マグロの切り身2種類を送りました。翌日には新鮮なままで届きました。
三陸の珍味、ホヤも売られていました。私は食べなかったけど、酒のつまみに
その後は大崎市三本木のひまわりの丘へ。ここでは、毎年8月にひまわり祭が行われ、辺り一面がひまわりに包まれます。その面積は全国二位なんだとか。
ひまわりアイスを食べたところ、キャラメルコーティングされた種が入ってておいしかったです。
私、ひまわりの花が大好きなんです。見ているだけで元気になれます。
途中でスーパー銭湯に寄りつつ仙台へ戻りました。遅いランチに冷やし中華を食べました。冷やし中華発祥の地は仙台なんですよ。もっと言えば、龍亭が元祖なのだとか…。一年中食べられてるそうです。食材を自分で載せるスタイルは高級感が漂い、上品な味でおいしかったです!
で、レンタカーを返し(走行距離484キロ)、仙台駅周辺をぷらぷらしてから、地下街でお土産を買いました。
塩竃の丸長寿司の 若大将に薦められた、喜久福のずんだ餅もゲット。帰りのバスの中で食べました。生クリームとずんだの相性抜群でした。
夕食は利久で念願の牛たん。普段食べてる薄っぺらい牛たんは最早食べられないって位、分厚い牛たんは食感も味も絶品でした。仙台牛たんは、麦飯とテールスープがお決まりのようです。
その後仙台駅21:00発の夜行バスに乗り、名古屋に戻りました。
色々感じて、泣いて笑った5日間でしたが、東北、特に被災地に行って本当によかったです。観光支援をするはずが、逆に地元の方から元気や親切を頂きました。普段はあまり国内旅行をしない私ですが、海外旅行1回分以上のお金を被災地で使いました。少しでも被災地の支援になっていたら幸いです。あれから7年経った今、復興は進んでいるのでしょうか。私は、被災地が復興していることを楽しみに、必ずまた訪れたいと思います。
#131 東日本大震災を風化させないために③ (2012.8)
2012.8.1
朝、ホテル主催の震災語り部ツアーに参加しました。南三陸町の震災当時の被害(人口17766人中、555人死亡、3100人行方不明)と現状、それからテレビで報道された場所にも行きました。
皆さんが一番記憶にあるのは、防災対策庁舎(高さ12メートル)だと思います。津波の避難所になっていたため、近所の住民が避難してきたものの、最後まで『逃げろ、逃げろ、高台に逃げろ』と繰り返しアナウンスしていた24歳の女性をはじめ、42人中32人が亡くなった場所です。避難先であったから、多くの住民が逃げてきたのになんと屋根まで津波がやって来たそうです。ここを復興のモニュメントとして残したいという町の思いと、それに反対する遺族との意見が異なり、2012年9月には取り壊し予定だそう…。
しかし、それから話し合いが何度か行われ、現在では2031年まで宮城県が管理保存することになったそうです。
南三陸の他の3階建ての建物を見ても、津波の水位が記録されていました。こんな高さまで波が来たなんて…。
戸倉小学校は震災前日の余震後に職員会議をしたこともあり、避難先を裏山
ホテル観洋は高台に位置しているため、3階までが津波の被害に遭っただけで済んだそうです。宿泊者に加え、地元の人の避難先としても開放したとのことですが、物資不足に直面し、大変苦労されたそうです。
他にも、老人ホームの寝たきりの方を近くの高校のサッカー部員がおぶって避難させた話も聞きました。私の知らない話も多数あったので、本当に貴重な話が聞けました。
被災した夜、電気がなくて真っ暗な中、夜空の星と翌朝の日の出が本当に美しかったそうです。この絵はホテルに飾ってありました。
南三陸町にあるモアイ像。2体あって、少し被災していますが、チリ地震以降の友好の証だそうです。
その後、石巻市に向けて移動を開始しました。しばらくして、北上川の上の橋を渡ると、左手に見覚えのある丸い建物がありました。よく見ると慰霊碑もある…。そう、そこにあったのが、大川小学校でした。偶然、横を通ったので、立ち寄りました。
大川小学校は、震災により児童108人中74人が死亡(うち、4人は行方不明)、職員も13人中8人が亡くなっています。裏山の足場が悪く、川の堤防まで避難したところ、津波が堤防を越えて浸水し、大多数の方が被害に遭われました。大川小は北上川のすぐ横に位置しているのですが、海からは距離があるため、まさか大津波が来るという予想はされておらず、近所の住民の避難先にもなってたそうです。
教師の指示を聞かずに裏山に逃げた子が助かり、指示を聞いた子が助からなかった…。当時、私も小学校で勤務していたので、他人事とは思えませんでした。
避難訓練を何度もしていても「想定外」のことは起こり得ます。大川小の件については「マニュアル通りの避難をしなかったら助かっていた」という非難も理解できますし、「『未曽有の震災』だったからこそ予測できなかった」という、学校側の言い分もよくわかります。
私がその場にいたら…、自分の児童たちが被害に遭ったら…って色々考えると、涙が止まりませんでした。
校舎はあの日のまま時が止まっていて、誰も何もない床や壁の抜けた教室を見るとやるせない気持ちになりました。どうか安らかに。
それから、今日の宿のある松島まで移動し、車を置いてから電車で再び石巻へ行きました。夜に花火大会があるからです。
石巻では、15000発の花火大会が毎年催されていました。震災の起きた2011年は中止され、2012年は5000発に縮小されましたが2年ぶりに開催されることになっています。そのことを何かで知った私は、それに合わせて石巻に来ることにしたのです、
なお、2012年当時の路線図がこちらです。駅で切符を買いましたが、松島海岸駅~矢本駅まではバスで輸送代行が行われていました。
漫画家、石ノ森章太郎さんの出身地ということで、仮面ライダーやロボタン、サイボーグなどの像が並んでました。
マンガ館もありますが、当時は休業中でした。
石巻の中心部は、歩道橋の半分くらいの高さまで浸水したようですが、復興が進んでいるからか、南三陸や陸前高田のような光景はありませんでした。
花火会場付近では昼に催し物が行われていました。中学生の子どもたちによるソーラン節では恐らく中古の大漁旗で作った衣装で踊ってる姿に思わず涙。
会場では様々なB級グルメの屋台があったので、食べ歩きをしました。
カキクリームバーガーと牛タンつくね。
石巻やきそばも堪能。どれもおいしかったです。
復興に関するモニュメントがちらほらありました。
諏訪湖や長岡からの花火の提供もあり、本当に美しかったです。
特に、中越地震から復興した長岡からのフェニックス花火はエネルギー溢れるものでした。「私たちも復興を遂げたので、あなたたちも絶対にあきら
地元の方々が笑顔で空を見上げる姿が見られてよかったです。 2年ぶりの開催。5000発の中に、石巻の方々の魂を感
花火終了後、電車とバスで松島に戻りました。3日目の宿は「ホテル絶景の館」です。
3日間の移動距離がこちらです。翌日はいよいよ最終日です。
#130 東日本大震災を風化させないために② (2012.7)
2日目は被災地をひたすら北上しました。本当は宮古まで行きたかったのですが、大船渡まで行って南三陸まで戻って来ました。
2012.7.31
朝ホテルを出て、おさかな市場に行きました。そこで干物などのお土産を購入。入口には震災当時の様子が写真で掲載されていました。
今日はまず気仙沼から陸前高田に移動。途中で大きい船が陸にあって、津波で流されてきたんだと実感しました。震災の時に気仙沼は造船所でひどい火災があったはず…。その形跡はありませんでしたが、間取りが何となく残る更地がひたすら続く道はありました。
途中で復幸マルシェにも寄りました。仮設住宅の1階でお土産物店があったからです。
陸前高田に来てまずびっくりしたのが気仙沼以上の壊滅的被害です。気仙沼でも十分大きい規模でしたが、骨組みが残る建物が結構ありました。でも、陸前高田はひたすら更地で、骨組みはほんとポツポツあるだけでした。震災当時の速報で、『陸前高田は壊滅状態』って出ていた通り、まさに津波で何もかもを奪われた町のように見えました。
土の山。陸前高田では、これがどこまでも続いていたのです。
更地、土以外には瓦礫の山がたくさんありました。震災から一年半経過したのに、なんで?って位、そこら中に積まれてました。もちろん、復興は進んでるとは思いますが、集められた瓦礫の山があちこちに定期的に積まれてる姿は、宮城にはあまりない光景でした。
頑丈そうな建物もことごとく大津波で破壊されていました。
海岸沿いから離れた場所にある、津波の被害に遭わなかった綺麗な小学校の校庭には仮設住宅がありました。
そんな光景を見ながら運転をし、橋を渡ると、たった一本の松が…。そう、『奇跡の一本松』です。行き方がわからず困ってたら、周りの人が教えてくれました。
言われた通りに向かうと、『立入禁止』のロープのはるか先に松はあり、その手前ではショベルカーが土をならしてました。
一本松付近で見かけた、仮設の防潮壁の中身はがれきです。
建物に貼られていた「捜索終了」の紙。
一本松のすぐ横を流れる気仙川は湿地みたいになっていて、松の根っこだけが残っ
彼らは北上市から来たらしく、津波前の陸前高田の様子などを教えて下さいました。『奇跡の一本松』は70000本あった松の中で、かなり大きいものだったことと、その目の前にキャンプ施設があったからこの木だけ被害を免れたのではとのこと。他の松は幹が水面からちょっと覗いてる程度で、一本松以外は沼地みたいになってました。
しかし、そんな一本松自体もかなりダメージを負っていて、ぐるぐる巻かれている状態。その年のお盆には撤去ってニュースを聞いてましたが、彼ら曰く近々再生にむけての作業が始まるとのこと。実際、枯死した一本松の大規模な復活作業が行われ、2018年現在でも陸前高田の復興のシンボルとなっているようです。ちょっと安心しました。
途中で見かけた歩道にあった鉄製のポールがぺしゃんこになってしまうほどの勢いだった、あの時の大津波。
その勢いに負けずに耐えた一本松。復興、そして風化防止のシンボルとして、これからも陸前高田の皆さんを元気づけてほしいと思います。私も一本松を見て、元気づけられました。
それから、復興グッズを買うためにかなり内陸に向かったのですが、瓦礫の山はまだまだ続きました。また、仮設住宅や大型バスで店を構えてる飲食店もたくさんありました。当時は『被災地では同じ建物を同じ場所に2年間は作ってはいけ
早速レンタカーのキーにつけてみました。RIKUTAKAと書かれているものは震災時に壊れたブイを使って作られているそうです。紐も色が気に入って買いました。
めかぶラーメンを食べたら絶品でした!以来、めかぶにハマっています。
陸前高田のあとは大船渡へ行きました。本当は宮古まで行くつもりが、思いの外リアス式海岸の道路に苦戦してしまい、南三陸に夕方に戻ることを考えてあきらめました。登坂かつ急カーブが続き、スピードがただでさえ出しにくい軽自動車では後ろに小さな渋滞を作ってしまうことが多々ありました。(ほとんどが片側一車線道路のため)
こういう工事、リアス海岸線沿いでよくやってました。被災地
地震で隆起したアスファルトも多数見られました。被災地はがれき撤去だけでなく、地面の修復工事にも追われていました。
大船渡も被害は甚大だったようで、津波で湾曲した橋がありました。
三陸鉄道南リアス線の駅、恋し浜駅のホームが縁結びで有名な場所ということで、陸前高田から一時間かけて向かいました。
恋し浜駅は、元々は小石浜駅だったのを地域活性化のために改名したそうです。ホームには、貝殻に書かれた願いがいっぱいありました。
しかし、震災後は縁結びよりも、東北復興のお願い事が多く、私のもその一枚になりました。(これは私のものではないですが、とても上手に描いてあるので掲載しました)
当時は南リアス線が運航していませんでしたが、2013年には全線復旧したそうです。NHKの朝ドラ、「あまちゃん」でも三陸鉄道が舞台になっていましたね。
越喜来小学校の前に津波に関するギャラリーがあったので立ち寄ると、震災当時の写真がいっぱい貼られてました。黒い波が来て、少しずつ町を飲み込み、押しては引いてを繰り返すうちに破壊されていく町…。心が痛みました。
帰り道に陸前高田の横を通ったら、今まで我慢してきた悲しみやぶつけようのない怒りがこみあげてきて、車の中で一人泣いてしまいました。カーナビの嘘つき!地震のバカ!津波のバカ!図書館もガソリンスタンドも海水浴場もないじゃないか。自分で希望して被災地にやってきたのに、私は被災したわけでもないのに、被災者の方はもっとつらい思いを抱えていらっしゃるのに、精神的につらくなりました。
その時に、瓦礫の山に雑草がたくさん生えていることに気付きました。もちろん、そのことには前から気付いていましたが、雑草のたくましさに気付いたのです。『葉っぱのフレディ』の話ではないですが、潮にさらされた劣悪な環境でも植物の生命のバトンは続いているのです。軽々しく言えるものではないですが、被災地の皆さんにも雑草たちに負けない強い気持ちでいてほしいと思います。もちろん、私たちが震災のことを忘れず、引き続き支援をしていかないといけないですね。
夜18:00頃に南三陸のホテル、観洋に到着。ここを選んだ理由は「語り部ツアー」が行われていたからです。
2日で328キロ走りました。
ホテルのロビーに震災当時の写真が飾られていました。こちらは南三陸町。
こちらは気仙沼。
翌日に知ることになるのですが、ホテル観洋は高台に位置するホテルのため、津波の被害をほとんど受けなかっただけでなく、避難所として部屋を開放したそうです。
夕食も豪華でした。ウニって苦手でしたが、ここのウニは新鮮でおいしかった!
翌日は語り部ツアーに参加したので、そのことについて書こうと思います。